ACKNOWLEDGMENT

The Remasculinization of Korean Cinema

      KYUNG HYUN KIM

アップが前後していますが、ボチボチ全文訳に挑みたいと。

 

 

謝辞

この書ははじめ1990年代の中頃に企図されたーその時期は韓国の様々な新聞や雑誌が不健全な国内映画産業は数年の間にほとんど駆逐されるだろうと報じていた時期である。かかる予想が当てにならないことはすぐに証明された。それどころか21世紀初頭の韓国シネマは、活発な国内映画産業の中でも最も記憶に残る興行記録の一つを保持している。ハリウッド映画の独壇場だと思われた近代的で多様な劇場しかないような上映環境にあって、韓国シネマは普通ではなかった。輸入映画の割り当てがより制限され、映画がone-screen release に頼っていた時期よりも多くの観客を、韓国の映画作品は集めていた。韓国シネマは年間興行収入のベスト5をすべて塗り替えた2001年に史上最高潮に達したのである。その年は、2002年に再び収益よりも製作コストが急激に上回る前にあって、数十年この方、業界全体がはじめて高い収益を上げた年であった。それ以後はCinema Service とcj Entertainmentという2大配給会社間の買収、売却、破産、それに噂が相まって、業界紙のトップを飾るようになっている。

 新世紀のはじめの二年間(2001-2)は粗野なコメディの人気高騰とニューコリアンシネマの衰退として記憶されるべきである。「月を蹴飛ばせKick the Moon」、「My Wife Is a Gangster妻は極道」、「Hi,Dharma」、そして「Marrying the Mafiaマフィアとの結婚」といった作品が何ヶ月も興行成績のトップを占め、つまらないオチのコリアンシネマとして記憶に残るだけであり、「酔画仙Chiwaseon」の林権沢、「The Resurrection of the Little Match Girl」の張善宇Jang Sun-Woo[、「The Trigger」の朴光守Park Kwang-su、および「Turning Gate」の洪常秀Hong Sang-suといったその名がコリアンニューシネマの同意語であった多くの監督のプロジェクトが軌道に乗ることはなく、投資家たちに利益をもたらすのだと示し得ない限りで、「興行成績は決して誤らないのだ」。1980と90年代に出現した若き映画製作者の一群に冠せられた「ニュー」という接頭語はもはや通用しなくなっていた。その作品は、複合型映画館の時代に新しい世代の映画ファンたちを惹きつけることが出来なくなっていたのだ。

 本書を通して、私は「フェティシズム」、「欠如」、「男根」といった精神分析用語を採用しているが、それは理論を確認するためというより最近のますます〈西洋化〉するコリアンシネマをよりよく解明するためなのだ。現代の韓国は資本主義社会でないのと同様に儒教社会でもない。大部分の韓国の人々は以下のことに同意すると確信する、すなわち現今の社会は彼/彼女の自己自身や自我、そして自尊心を表すよう求めているのだと。たとえそれが謙虚な儒教的賢者へと自己を訓育する希望を失うことを意味するとしても。この二十年間のニューコリアンシネマは、主体性の特殊な概念の中央に位置するテーマや個性化やナラティブ(つまり自分自身を制度的な抑圧や家族の責任、個的な不安から懸命に逃れようとする近代的な個人のイメージ)を求めて来た。この新しいイメージを造形する行為に腐心することで、最近のシネマは、民族的な伝統文化の豊穣化ではなく、むしろそれらを急速な消失と併行していると論じ得る。言葉を変えて言えば、この書はグローバル化する韓国にあって〈ネイティブ〉の意味が時代遅れとなりつつあるその文化的風土について語ることを目的としていると。

 私はこの本を書くにあたって、多くの人たちや機関の援助に感謝している。韓国財団は1999-2000年のソウルでの半年にわたる研究を支援する貴重な助成金を提供してくれた。韓国映画コミッション(KOFIC)と韓国映画アーカイブはまたこの研究に不可欠だったアーカイブや作品へのアクセスを与えてくれた。KOFICのKim Hey-jun事務総長はこの書に掲載された映画の一場面の写真を提供するという好意を示してくれた。彼とその助手のミスKim Mi-hyunは写真の転載の法的資格を得る援助をしてくれた。カリフォルニア大学アーバイン校(UCI)、アジア研究協会北東アジア評議会(NEAC)の人文科学センターは旅費やその他の諸経費のための資金を与えてくれた。さらにまたこのプロジェクトに大きな役割を果たし困難だが愉しい著作作業に集中する時間を与えてくれた、私の属する学部の学部長とUCIの前議長、Karen LawrenceとSteven D. Carterにも感謝したい。

 示唆や助言を与えてくれた多くの友人や同僚には特に感謝する。David E. James, Esther E. Yau, Henry H. Em, Chris Berry, Jim Fujii, Chungmoo Choi, Ronald B. Tolentino, Akira Lippit, Eunsun Cho, Marsha Kinder, Ted Fowler, Kim U-chang, Soyoung Kim, Jinsoo An, and Tony Raynsは論文の段階から原稿の諸部分を読んでくれ、著述を続ける励ましを与えてくれた。Kathleen McHughとNancy Abelmannもまた第8章を書くのに役立つ編集上の有益なコメントをくれた。Asia Pacificシリーズの編集者の一人であるRey Chowには彼女の招待を引き延ばしていたこともあって、ことにお世話になった。David Scott Diffrient は原稿全体を校正してくれ、多くの思慮深い洞察を提示してくれた。デューク大学出版の二人の匿名の読者も鋭い出版上の注意を与えてくれた。韓国の二つの映画雑誌Cine 21とKinoの友人たちは韓国語映画評論と批評を出版する機会を供してくれた。韓国語で書き自分の考えを韓国の読者に伝えることはこの書を仕上げる全行程でとてつもなく寄与する行為であった。Kim Young-jin, Chung Sung-Ill, Lee Yeon-ho, Lee Young-jae, Huh Moon-young, そしてNam Dong-Chulの功績は特筆に値する。

 素晴らしい見識を示す多くの監督たちと私は舞台裏の物語を共有してきた。その多くの逸話はこの書には含まれていないが、時に退屈でしばしばつまらないプロセスを経た韓国の映画産業のカラフルな背景を描くのに役立った。ことに朴光守、林權澤、張善宇、朴Ki-hyung、洪常秀、それに李滄東は偉大な同朋であった。大部分の映画は数年の間に作られた。彼らの作品を数え切れないほど繰り返し観てその才能あふれる映画製作者を分析し解明しようと全力を尽くしたが、それでも私の議論の全ては彼らが創作するに際して払った厳格さや苦役にはとうてい及びはしないと確信している。

 両親のByung Kon KimとYeon-sup Lee、二人は常に私の学術研究を支えてくれた。最後にGinaの鋭敏さと忍耐と愛のすべてが同じようにこの書に貢献している。多くの点で彼女はこの書の共著者である。

 

 第三章の一部は、「これが戦争の記憶のされ方か? 林權澤監督作品「太白山脈」における誘う性と再男性主義化されたネーション:韓国ナショナルシネマの創造」(David E.JamesとKyung Hyun Kim編集=デトロイト:ウェイン州大学出版2002)という違った形で発表された。第四章は早い時期に「最近の韓国シネマにおけるポスト・トラウマと歴史の記憶:A single Spark(1995)とA Petal(1996)」(Cinema Journal, vol41,no.4(2002))95-115として。第五章は先に「ニューコリアンシネマにおける男性の危機:朴光守の初期作品を読む」(「positions: east asia cultures critique,vol.9,no.2(2001)369-99」として出版された。第九章の一部は韓国語で「Each Man Kills the Thing He Loves: 映画「シュリ(1999)」と「Joint Security Area(2000)」における逸脱する工作員、国防、ブロックバスター美学」(Paek Mun-im編集のjsa(Seoul, Korea:Saminsa,2002).として発表された。

 

 アメリカにおけるほとんどの図書館とコリアン研究者たちはMcCune-Reischauer システムとして知られているローマ字表記に準拠している。韓国語の語彙やタイトルと名前のローマ字表記は、変則的な書記法に則る名前以外はこの規則に従っている。アメリカでリリースされている作品を持つ若干の監督たちの名前は標準的なローマ字表記システムを使用しないでいる。すなわちJang Sun-woo、Park Kwang-su、Im Kwang-Taek。韓国語の名前はまた苗字を先にというネイティブスタンダードで翻訳されている。

『コリアンシネマの再男性主義化』

KYUNG HYUN KIM
“THE REMASCULINIZATION OF KOREAN CINEMA” 
DUKE UNIVERSITY PRESS DURHAM AND LONDON 2004)

 
第一章第二節
 どこにも行き場がない:市民権を無くした道行く男たち(p52- 55)
 
朝鮮戦争(1950-53)休戦後7年にして作られた韓国で最も 記念すべき映画「誤発弾(兪賢穆監督1960制作)は、 経済的に立ち行かなくなった絶望的な家族を描いている。 この作品の最も率直な場面の一つが、 殺風景な家の一隅に横たわる老婆の歌う古い歌「 ここを出て行こうよ!」によって表現されている。 死の床に着く女性の恐ろしく暗い叫びは作品中で幾度か反復され、 家族が占めることを余儀なくされている残酷で窒息しそうな領域を 私たちに想起させるのだ。 家は土間の中央にベッドが据えられた掘っ立て小屋に過ぎない。 マル(maru/明けっぴろげの木製の床) に横たわるのが見えるその老婆は他の家族から隔離されえない。 家には八人(with one more due⁑この部分訳せず)の家族に部屋は二つしかなく、 皆はホールに群れるしかないが、 そこは粗末な屋根に蔽われた裏庭の土地という空間なのだ。 家は戦争の被害に遭ったソウル郊外の山地に北からの避難民が一時 的に潜んでいる共同体である解放村に属している。 同じ時期に作られた「下女(金喜泳監督1960制作)」 のそれとは異なり、 家は外的脅威の招きよせられる以前でさえ居住不可能なものであっ た。どこかに移されたいという母親の望みのない欲望には、 作品の歴史的な背景がはっきりと現れている。歴史は、 消されているというより、「出て行こうよ!」(韓国語では、 この母親の台詞は“カジャ”と二音節で発音される) というシンプルなフレーズを通して強固に喚起されるし、 休戦協定に調印された後においてさえ戦争の恐怖を留めているのだ 。家はここ韓国にあり、同時にどこか他にある。 共産国北朝鮮と資本主義韓国の二つへの朝鮮の分割は、 故郷に帰りたいという古典的な亡命者の単純な欲望を成立させるも のではない。


 ロードムービーというジャンルについての議論のための出発点とし て「誤発弾」のこの場面を選ぶことはアイロニックかもしれない。 この不動で脆く年老いた老女のイメージは、 西欧の観客の親しんだロードムービーというジャンルの慣例にほと んど合致しない。韓国文化では、故郷・避難・失郷はすべて、 無理やり家族を引き裂いた暴力的な近代の歴史のおかげで、 戦後世代に対してだけでなく心臓の張り裂けるようなエモーショナ ルな情感に訴える意味を持っている。そして、 多くの人が被った家を無くすことや家族が離散することで、 路の意味は通過でも自由でもない場所として展開されるのだ。 それは、回復の及ばないトラウマ経験、 帰る場所のない市民権喪失、実現不能な路を残し て死んでいく見込みといった経験を人々が体験する場所である。 路は一時的な場所に過ぎないが、しかし、 民族統一の遠い見通しと近代化という暴力的な介入を経て、家/ 故郷(home)や家族を無くした数千人の避難民にとっては永遠の場所でもあ る。死の床に横たわりつつ絶望的に「ここを出て行こうよ!」 と繰り返す老女のイメージは、 韓国のロードムービーのある兆候をよく示している。 その兆候とは、南に逃げて来て以来、自分の家/ 故郷は永遠に失われたのかもしれないという恐れを意味する。 特に強調されなければならないのは、韓国映画における路は、 多くの暗黙の仕方で家/故郷に結び付けられているということだ。 家/故郷と家族は韓国のロードムービーの多くには現れないが、 現れないことはその完全な 消失を示唆するものではない。逆にそれらは常に再-想起され、 フェティッシュ化されている。植民地主義、戦争、 近代化のために引き起こされた悲惨で残酷な歴史に対する反応とし て、去勢され、 トラウマ化された韓国の男どもは路に繰り出すのだ。 登場人物たちは、圧倒的な風景に視覚的に取りこまれ、 また歴史的な受難の犠牲となっているが、 そのことが絶えざる流浪を再び決定付けるのだ。「 イージーライダー(デニス・ホッパー監督1968制作)」や「「 テルマとルイズ(リドレイ・スコット監督1990制作)」 といった、登場人物たちが家/ 故郷から逃亡しようとする多くのハリウッドのロードムービーとは 異なり、 韓国映画は自分たちの家族と過去を再設定しようという無駄な努力 をし、喪われた家/故郷を追い求める男性や女性を描くのだ。


 市民戦争(朝鮮戦争) 前の時代を生きぬいた最も早い時期の作品の一つ「 故郷は心のあるところに(韓瀅模監督1948制作)(「 心の故郷」1949年ユン・ヨンギュ監督作品のことか⁑訳者注)」 から、比較的最近に制作された「風の丘を越えて西便制( 林權澤監督1993制作)」に至るまで、韓国映画では、家/ 故郷はと捉えどころのない場所である。 朝鮮戦争後の時代に北や南の映画として製作され多くの喝采を受け た作品において、 汚染され疲弊した肉体から歴史的な苦痛を一掃する調和の取れた共 同体社会である家/故郷を求める欲望は強烈に示されている[1] 。強固な家/故郷を定めることの不可能性は、永遠に路を旅する「 風の丘を越えて」の流浪音楽家同様に、家/故郷を探すこと、 そしてはっきりとした民族的アイデンティティの代理として、 絶え間なく続けられる空間として、今なお路を活性化されている。 80年代と90年代を通じて、 ロードムービーの流行は計り知れない。この章で論じられる「 風の丘を越えて」は93年に初めて封切られた時、 ヒット記録を塗り替えた。80年代最大のヒット作「鯨捕り( 裴昶浩監督1984制作)」もまた、 ピョンテの成長の旅を描いたロードムービーである[2]。 たとえば「馬鹿宣言(イ・チャンホ監督1984制作)」や「 ギャグマン(イ・ミョンセ監督1988制作)」 といった多くの他のコメディ映画も、 トラウマ的傷を負った主人公が自らの健康を回復し救済を求めよう とする場所である路が舞台だ。私はこの章で、 家族の絆を持たない苦痛、オイディプス的不安、そしてポスト・ トラウマ的衝撃を記した路に裸で横たわる主人公の苦難について論 じる。


 模範的なロードムービーは、植民地的過去、戦争、 そしてそれに続く分割の記憶がぎっしりと埋まった歴史的言説の条 件のみならず、 男性的言説から方向転換した新しいシネマを作ろうとする努力を一 貫して挫折させる現代におけるディレンマをも、 決定付けているのだ。あらゆるロードムービーにおいてと同様、 自己の再生はこれらの映画においても目標としてあるが、 しかし映画の終わりに再構築される主体性なるものは男性のそれだ けなのである。 民族の歴史の過程で生み出された暴力のおかげで破壊されてしまっ た家/故郷を再生させようとする強い衝動は、 ロードムービーにおいてさえヘゲモニー的な語りの慣例を解放しは しないのだ[3]。20世紀を通じての日本およびアメリカによる 植民地的軍事的占領は韓国の男性と女性を弱体化させ悩ませてきた が、 女性たちが主に映画の主題的関心の範囲外に置き去りにされて来た 一方で、 男性のトラウマがこれらロードムービーの多くの語りを駆動する最 も中心的なものとして現れている。この章で焦点化される「The Man with Three Coffins」「風の丘を越えて」「Out to the World(Yo Kyun Dong監督1994制作)」三つの映画すべてにおいて、 亡くなること(「The Man with Three Coffins」と「風の丘を越えて」)や外国移住(「Out to the World」)によって、妻をなくすことが描かれており、 男性主人公すべてが苦しめられる。映画が始まってすぐとか、diegesis(語り手による出来事の説明⁑訳者注) がまさに始まる前に起こる現実の死とか失踪とかにより、 女性の欠如や不在が男性的アイデンティティを混乱させつつ脱中心 化している。 アメリカのロードムービーに典型的に表現されている田舎くさい従 順さから自らを遠ざけるのではなく、男性の登場人物すべてが、 この喪失や家/ 故郷の代替や回復のために小高い韓国の風景の中にある雪の路をさ まようのだ。しかしこの回復の過程で、 これらの韓国映画は男女間ではなく二人の男性登場人物の交渉に注 目が集められていく。結局、妻は若い女性に代置される(「 風の丘を越えて」の場合は若い娘)が、 それでも女性はまだドラマに付随的なままで、 彼女自身のナラティブを導き出すことは出来ず、男 性の価値ある対象物のままである。 エディプス的な力により生み出されたこれらの緊張を介して、 個人的なトラウマを克服しようとしながら、 再充電された男性性が出現するのである。
 
(映画名は出来る限り扈賢贊著『わがシネマの旅― 韓国映画を振りかえる』(凱風社2001)に従った。訳者注)
 
 

[1] 「血の海(朝鮮映画 監督1969制作)」や「花の娘(朝鮮映画 監督1972制作)」 という評価の高かった北朝鮮の作品にあってさえ、 路は苦難の場所として描かれている。
[2] 「鯨捕り」に関するより詳細な議論のある「序章」を見よ。
[3] 同じパターンをアメリカのロードムービーにも見ることができる。 一方で合衆国のロードムービーは映画の諸ジャンルにより発展させ られ公式化された神話をしばしば破壊したり不安定にしたりするが 、他方で男性性を再構成してもいるのだ。換言すれば、 ロードムービーは、 歴史のある瞬間において去勢の脅威によって混乱する男性的主体を 回復するのに役立っている。Ina Rae Harkは「ハンドルの向こうやバイクの上の男性は、 スピードを出したり、カーブを曲がったり、 どの出口のスロープを取るか決定したりするが、 それこそが男根的興奮を与えるのだ」と書いている。(“Fear of Flying: Yuppie Critique and the Buddy-Road Movie in the 1980,”in The Road Movie Book, ed Steven Cohan and Ina Rae Hark[New York: Routlege 1977],214)