"Sopyonje"( p60-66) in "The Remasculinization of Korean Cinema" by Kyung Hyun Kim

西便制』(p60-66)

 家/故郷への渇望が現実化しない時、その家/故郷を回復しようとするフェティッシュな欲望は路において暴力を生み出す。『西便制』は、辛酸を嘗めながらも自らの美学を完璧にするべく追いやられた強迫的な流浪音楽家を通して、民族や家/故郷に対する脅迫を描いた映画である。映画ではユボン(Yu-bong)は、太鼓だけを伴う伝統的な声楽音楽であるパンソリを演じ続け旅する音楽家の家族を率いている。パンソリは最も人気のある民話[1]の幾つかを荘重に語るのだが、地元の音楽に対する公衆の関心は急激な近代化の時期にあっては急速に衰えていく。拡声器からの大きな音で通りを満たす「ベサメ・ムーチョ」という西欧のメロディーが、金もなければ自分たちの芸術を技術的にアップグレードさせる手段もないユボンとその家族の意気を阻喪させる。映画では数分のシーンである妻を亡くすという出来事がユボンをいっそう社会から疎外し、仲間が招いた時でさえ彼は反抗してソウルに戻ることを拒否するのだ。『西便制』は、40年代前半の日本による植民地時代から激しい工業化の70年代までの強烈ではかない30年に及んでいる。しかしユボンのデラシネ的な性格は映画の設定時間より前に、彼の師との衝突に根ざしていたのだ。彼と旧友との居酒屋での議論で明らかにされるのは、彼がパンソリの師匠の夫人と恋に落ち、彼女が道ならぬ恋ゆえの自殺という形で犠牲者となったために、ユボンはパンソリの師匠から破門されていたのだ。ユボンは仕方なく音楽を諦めるか、若い娘ソンファ(Song-hwa)を妓生(高級売春婦)にすることで音楽をeroticizeするかしなければならなかった。

 『西便制』は93年に思いがけず大ヒットした作品である[2]。ハリウッド映画の進出が韓国の映画市場においてピークに達する折にリリースされ、『西便制』は外国の輸入物に対する国家的逆襲となった[3]。外国文化の侵入に反抗し、民族美学の殿堂の中でパンソリの場所を確保しようとする俳優たちの闘いは、ハリウッド映画の猛攻撃に対する韓国映画興行の困難な闘いを想起させた。『西便制』の興行的な大成功は、映画がハリウッド的なアクションや滑稽な喜劇を用いる必要がないという事実を示したことで注目された。物語は基本的にはクローズアップを避け、長いシーンとロングショットによって展開された。また映画のサウンドトラックにおけるパンソリの使用は、メロドラマが普通、西欧のクラッシクの序曲に基づいて構成されるとする観衆の期待をは裏切り驚かせた。穏やかな静止カメラを通して抑制された「恨(ハン)」の情念の効果的な表現がなされているという、映画に対する肯定的な所感が批評家と関係者の双方から出された。

 『西便制』に関して面白いのは、互いに並行する二つのナラティブ(世代の異なる二人の男の生を一緒に組み合わせた『The Man』のように)をシャッフルしていることだ。おのれの夢をまったく実現することなく死んだユボンの悲劇的な物語が、彼の養子トンホを通して説明される。トンホは、70年代に韓国の地方を巡り家族の軌跡を探している。ほとんど音楽的才能のなかった息子は頑固な父親と彼が強制する苦行に反抗した。今や薬品会社の営業マンとなって働きながら、自らの過去を諦めつつ受け容れ始めている。しかし過去は数十年経ったあとでも容易には克服できない。ユボンとソンファを知る多くの人々との出会いを通し、トンホは自分の父が遥か昔になくなっており、別の機会に養子にされた姉は今や盲目であることを知る。ソンファを介して伝統的な声楽(ソリ)を開発し継続させようと献身することで、ユボンは社会から疎外されるだけでなく、ソンファから視力を奪う(彼女をより優れた歌手にするはずだと信じて)という罪をも犯してしまうのだ。

 今や自らの過去との和解を求めている成熟した息子の視点を通して、ユボンによる家族の解体を語るナラティブの構造が、作品のクライマックスでトンホとソンファを同じ一つの場面に配置するのだ。長い探求の果て、彼らはとうとう小さな酒幕(宿屋を兼ねた居酒屋・訳者注)で出会い、それほど会話を交わすことなく、また互いが遥か昔に別れた姉弟であるのを確認することもなく、一緒に音楽を演奏する。トンホは太鼓で姉に合わせる。二人が夜を徹して熱心に「沈清伝」を唄う場面(最後まで喜色満面だった顔から汗を流しながら)は、林權澤監督の他のどの映画のセックスシーンよりも感極まりエロチックである。彼らの躍動する姿はカメラによって敏感に捉えられ、林監督独特のロングテイクとはある意味でかなり異なる方法で編集されている。二人が興奮の最高潮に達し、擬似オルガスムスの頂点に到ったとき、シークエンスは最後にクローズアップを採用するのだ(酒幕の主人は後にソンファに、二人はまるでセックスするかのように音楽を演奏していたと告げる)。

 時には文無しで田舎町をさまよう家族に路は途轍もない苦難をもたらすものだが、その路の美しく優雅なショットとは対照的に、ソンファはとトンホのこの演奏シーンは淡々と描かれる。それでも薄暗いシーンによって醸し出される情緒は作品を通して次第に高まって来ていたすべての緊張感を一挙に解放し、それまで家族の再結合を妨げていた父親の死を姉と弟との音楽的な“性交”が言祝ぎかつ悼む。このゆゆしきクライマックスにあって作品の主人公のユボンはその不在により顕在化するのだ。なぜならユボンの恐ろしさがトンホの表情に微笑が生まれる時に思い出され許されるのであるから。ひとたび朝が訪れると、しかし二人は異なる路を歩まざるを得ない。泥まみれの路に停まるバスにトンホは飛び乗る。その路は今では朴正煕のセマウル(新しい村)運動による産業化で舗装されているのだが。そして盲目のソンファは幼い娘に手を引かれてにわか雪の降り始める路へと戻って行く。

 組織的に映画を醸成させる広範囲のメカニズムこそが実は恨(ハン)の民族的情念であり、音楽という媒体であり、音楽を通して映画が恨(ハン)の対象(フェティッシュ)を再分節する。ここではともに内なる抑圧によって意味を付与された〈フェティッシュ〉と〈恨(ハン)〉との入り組んだ関係に焦点を当ててみる。恨(ハン)は20世紀全体に渡ってコリアンの忍耐力の試されるものとしてあった苦痛や悲しみを昇華する心情だと伝統的には理解されている。林權澤の映画を語る際にもっぱら動員される言葉の一つとしてよく指摘されるのだが、その恨(ハン)の意味が『西便制』では、ユボンと彼の家族が才能や民族美学を保護する決意をなんら認められることなく社会の周辺に追いやられることで、いっそう強調されている。作品はメロス(音楽)とドラマのメロドラマ的配置によって恨(ハン)を強調している。換言すれば、メロドラマの約束事が過剰ともいえる映画の悲劇――ユボンの社会的周辺化と彼の妻の死、ソンファの視力と愛する弟の喪失、トンホのエディプス的葛藤とその後の無益に終わった家族を探すこと――を通俗的な観衆に馴染み深いドラマ的構成によって再調整するのだ。優れたパンソリと美しい田園風景はそれでも大多数の若い都会の観客には馴染みないし、彼らを高度にアンビヴァレントな視点に置く[4]。このメロドラマの約束事の中では、ソンファが歌う美しい音楽と燦然たる韓国の風景は、国土の美と美学とを奪われてきたと信じる観衆が理解している喪失感とユボンから想像される去勢(男根の欠如)とに対して、それらを補償するフェティッシュな対象としての役割を果たしている。もしこの解釈に従うなら、『西便制』は、“潜在的に逸脱する女性のセクシュアリティ”を制限し抑制しようとする退行的な作品であり[5]、そこではあくまで父親が家族の中心として再構成されている。Chungmoo Choiが別のところで論じているように、ソンファに対するユボンの暴力が修復不能なのは、民族(主義)的美学の外貌の下に、ソンファを肉体的に傷つけてまでも排他的に自分のものにしようとする彼の性的な欲望が隠されているからだ[6]。Choiによれば、『西便制』は女性に取り返しのつかない暴力を広めるマッチョな欲望の孵化によって民族主義的言説を駆動させている。完全に抑圧され周縁化されたユボンのような男性が自分の力を爆発させ得る唯一の領野であり肉体であるのが女性なのだ[7]

 しかしながら、『西便制』の物語空間にはChoiのフェミニスト批評を逆撫でし横槍を入れる二つの衝動がある。一つ目は、『西便制』が家族メロドラマのコードや慣例の多くを具現しているとしても、家族がその放浪を止めたり、一箇所に落ち着ついたりすることができなかったから正真正銘のメロドラマだとレッテルを貼るのはきわめて難しいことだ。作品の最後の方でユボンとソンファが迫り来る冬の辛く寒い日々をしのぐための廃屋を見つける時でさえ、ユボンの家父長的権力は家族を再建するには弱くなりすぎている。ユボンは今や年取り老いぼれ、身近な環境さえ統御できないでいる。一つ例を挙げよう、ソンファに食べさせるために鶏を盗んできたあとで、ユボンは隣人にしたたかに打擲される。家父長的言説の支配的な観点からすれば、ユボンがソンファに与えてきた暴力にもかかわらず、彼の家父長的権力は空間的な支配権が欠如しているかぎりでは絶対的であり得ない。さらに家というプライベートな空間さえ、これら旅する音楽化には安全ではあり得ないのだ。旅芸人たちにとって究極的にはその家である路にあって家父長の権力には限界があるのだということを認めるなら、もはやパンソリという美的な伝統を維持する若々しい声を持ち合わせない以上、ユボンは自らのフェティッシュ的な疚しい欲望を現実のものとする唯一の対象たる女性の身体を領有し自らの支配権を書き込もうするしかない。しかし安住の地などないため、ユボンはその潜在的な男性中心主義を実現できず、自らの権威と妥協せざるを得ないでいる。観客に自分の暴力に共感させ、ついには許させるかのように、最後にユボンは自らの夢をなんら実現することなく哀れな死を迎える。このどこにも寄る辺がないという感覚が疫病のようにユボンの死後も広がっていく。トンホとソンファ、そして彼女の娘の三人が束の間の再会を果たしたあとの作品の終わりの方では路にたたずむ後姿が描かれる。トンホはソウルに戻ろうとしてバスに乗るのが最後のシーンだし、ソンファは娘とともに田舎の田園地帯の放浪を続ける。彼らにとって家/故郷がもはや捉えどころのないものでないのは、路こそが家/故郷の存在する場所であるからだ。

 (二つ目は)「家/故郷」としての路の形象化が『西便制』の中ではヘゲモニー的な男性性を脱中心化するだけでなく、成長した息子の追想として語られるユボンの物語という枠組みを持つナラティブの構造は、父に向かって公然と反抗するというオイディプス的な葛藤を脱臼させるのだ。その代わり今や彼自身が父親であるトンホは過酷で辛辣な父親から自らを差異化する特性を作り出すことで新しい男性のアイデンティティを再記述している。この男性性の更新は彼の幼少期の記憶の回復と経歴との和解に基づいている。私の考えでは、ユボンというよりむしろトンホこそ決定的な役柄なのであり、作品の中心的な主題(subjectivity)なのだ。観客が記憶と歴史にアクセスする中心的主体(subject)としてトンホが描かれることで、作品は二つのことを成し遂げる。まず第一に、死んだ父親の記憶を回想する若い息子の視点を設定することで、虐待を受けてはいたが今やトンホは父親によって解体されていた家族を再結合する新しい力を持つ子どもとして登場する。(次に)このことは、観る者を打ちひしがれた犠牲者の視点へと集中させ、それこそがあらゆる所与の社会における支配と搾取のコードに挑むメロドラマの公式における重要な点であり、Thomas Elsaesserがメロドラマにおける根源的にして転覆的機能として認知したことへとつながっていくものだ[8]

その破壊的な要素にもかかわらず、『西便制』が父親ユボンから息子トンホへと移り行く直接血はつながらないものの男性の直系的な系譜の閉域から抜け出していると論じるのには無理があるだろう。ユボンというよりトンホの視点による『西便制』のナラティブに焦点をあてるのは、作品の男性中心主義的傾向を完全に脱臼させるというよりは、むしろ強固にしているだろうと、Choiの指摘するのは間違っていない[9]。作品は、父の声(ソリ)にちなんで名づけられた丘Sorijeにトンホが到着するところから始まり、姉を見つけたあとの別れで終わる。一家の歴史に耐えて今や父として過去の罪悪感の重荷から人々を解放し苦痛に満ちた過去との和解を果たしているが故に、トンホは作品の主人公として出現するのだ。『西便制』と同じ年にリリースされた朴光守の『あの島に行きたい(1993)』もまた、友人の父の遺体を埋葬しようと故郷の町を訪れたあと、自らの40年の過去を回顧する中年の知識人のナラティヴという同じような戦略をとっている[10]。亡くなった父親が戦争中に島の無辜の住民の多くを殺戮殺したことに責任があるため、朴の作品は暴力に満ちた歴史やその子の個人的な記憶と村の集合的な記憶との両方を介して暴力の歴史と罪深い父の残したツケの後始末を扱っている。和解することは単純にトラウマ的過去を忘却したり、喪われたものを闇に葬ったままにすることではなく、世界が崩壊した時の凍てついた破片であるその瞬間を呼び起こし追体験することであり、そして苦痛を癒しトラウマを克服し、苦悩やハンを超越することだ。過去と和解しようとする『西便制』のようなポスト・トラウマ的な作品の試みでさえ、相変わらず男どもの領域においてだけ遂行される葛藤に止まっている。疑いなく暴力的な歴史と父の暴力の犠牲であるソンファはナラティヴの権能の枢軸となるイデオロギー的支柱から排除されたままだ。彼女の挫折と苦悩は単に間接的に分節され、トンホが引き継いだ男子相続に沿った一つの系統的なナラティヴに付属するに止まっている。ソンファは、トンホが家/故郷に帰るあとも路の上に残されたままなのである。

 

[1] 作品ではっきり描かれる二つの民話は「春香伝」と「沈清伝」である。

[2]西便制』の制作会社「Taehung」は封切り劇場で数週間続き、7万枚から8万枚のチケットの売れることが期待されていただけだった。だが作品は6ヶ月以上続き、ソウルだけで百万枚のチケットを売り、韓国映画の興行記録を破った。地方のチケットがもう百万枚に達することで、『西便制』は歴史上韓国映画の最大ヒット作となった。この記録は『シュリ』が、ソウルだけでも30以上のスクリーン(『西便制』は一つのスクリーンにオープンしただけ)における典型的な映画上映の配給システムの変更の恩恵を蒙り、99年に韓国映画の記録を書き換えるまで6年間続いた。

[3] 80年代後半の市場を開放せよという合衆国の要求にやむなく路を譲っていた韓国の映画興行は、93年にはすでにUIP、ワーナー・ブラザース、ウォルト・ディズニー、20世紀フォックスの4社のアメリカ映画会社が活動していた。その時までに、80年代後半から穏やかに進行していたアメリカ映画に対するボイコット運動はもはやあまり効果的でなかった。反抗されることなく前例のないペースでハリウッド映画は国内の市場を支配したのだ。『西便制』が一般メディアで大きな注目を浴びている時、「クリフハンガー」と「ジェラシックパーク」が『西便制』以上に、数百万枚のチケットを売り上げることとなった。

[4] 家族と韓国の劇場で見ていながら、人生の大半を都会で過ごしてきた二人の両親は、韓国の広い平野が近代化と工業化によっても損なわれていないのに気づき喜んでいた。『西便制』の成功を記念して出版された本の中では、読者が映画のロケに用いられたスポットを実際に旅行できるよう細心の地図を描いた旅行案内をしていた。

[5] Nick Brown、「社会と主体性―中国メロドラマの政治的機制」(『The New Chinese Cinema: Forms, Identities, Politics, ed. Nick Brown et al.』(ケンブリッジ、英国;Cambridge University Press.1994)、41。

[6] Chungmoo Choi、「ジェンダー政治学、『西便制』と『族譜』における耽美主義と文化ナショナリズム」、”in Im Kwon-Taek: the Making of a Korean National Cinema, ed.David E. James and Kyung Hyun Kim(Detroit: Wayne State University Press,2001)、107-33.

[7]

[8] Thomas Elsaesser,「音と怒りの物語―家族メロドラマの観察」in Film Genre Reader, ed. Barry Keith Grant(Austin:University of Texas Press,1986),

278-308.

[9] Choiはトンホの帰還が「北朝鮮のナラティブの多く(「血の海(1969)」や「花の少女(1972)」)における、革命を完遂し闘争勝利の功績を求めようと戻ってきた革命の子供たち」と対比されうることを示唆している。彼女は書いている。「トンホは植民地音楽を超えて民族音楽の優秀性を再確立しようとするソンファの試みの正当化しようと戻って来る。」(Choi、” ジェンダー政治学、『西便制』における耽美主義と文化ナショナリズム」、”in Im Kwon-Taek: the Making of a Korean National Cinema, ed.David E. James and Kyung Hyun Kim(Detroit: Wayne State University Press,2001)、121.私は映画の終わりの部分については少し違った解釈を持っている。トンホを物語全体にわたって不在であっても最後に社会主義者の反乱の勝利を主張するために英雄的に帰還する男の子たちと比較するのがさほど適切だとは言えないのは、北朝鮮の映画が満たされず報われない愛に染められた過去をノスタルジックに渇望するものでないからである。社会主義リアリズムの映画は悲嘆するためではなく、容易に想像されるように反植民地主義の勝利を祝うために植民地的過去を喚起するのだ。そうすることで革命的・歴史的・象徴的主体としての男根的主体を構成することが、ポスト・トラウマ的、ポスト・コロニアル的アイデンティティを導くことになる。他方で『西便制』は、〈父の名〉が中心的主題(subjectivity)として公布され公式化されてきたポストコロニアルな時代以前の過去を想起するのだ。その現在時はいまだ混乱を極めている時代である。といういのも、喪われた何か、少なくとも現実世界では永遠に手の届かない何かとして男根(死んだ父、ユボン)が認識されて初めて祝福が起こりうるという、叶わない愛やトラウマや喪失のせいなのである。とはいえChoiの指摘、『西便制』が民族的な美学の回復は男性的主体の回帰だけが成し遂げ得る性的な問題だということを強く示唆する作品であるため、作品の最後における異性愛の再統合がほとんど見落とされていると述べているのは間違っていない。

[10] 朴光守監督の作品のより明確な議論に関する第五章を見よ。