どなたかご存じないかと

Melissa Wenderの書の「謝辞」で、下線部の方の漢字名が分かりません。

ご存じの方はぜひ、ご教示下さい。Wender氏は90年代に日本で調査されていました。

 

 

 多くの人々の協力がなければ、ここまでの成果はなし得なかった。日本での研究過程では数え切れないほどの人々から援助、助言、宿泊所、それに饗応を受けた。これらの援助を与えてくれたすべての人たちに感謝したい。特に在日の従軍慰安婦裁判を支える会、従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワークのメンバーたち、中で小林英子、金(キム)英姫(ヨンフィ)、梁(ヤン)澄子(ヂンヂャ), 朱(チュ)秀子(スジャ)、朴(パク)和美(ファミ)、朴(パク)在(ヂェ)哲(チョル)、そして木野村照美:ふれあい館の鄭(チョン)良(ヤン)二(イ)、中根正一、Kim Ku-goと裵重度:河賢一と民権協のスタッフの皆さん:斎藤信行と在日韓国人問題研究所(RAIK)のスタッフたち:大阪KMJ在日コリアン・マイノリティ人権研究センター)の皆さん:ハンギョレ研究会のすべてのメンバー:私のコリアンダンス教室の皆さん。また以下の方々のおかげでもある。Kim Duk Chul, 姜信子, かわかみちひろ朴保。また石純姫、 姜濟淑?Kang Je-suk、 宮地忠彦、小柳あきこ、そしてKim Kyong-yunとの素晴らしい会話にも。柳美里は親切にも私と会ってくれた。李恢成は私の質問に答えるのに必要な時間を十二分に取ってくれた。中田統一は電子メールを介してまた直接に会って励ましてくれた。宗秋月と金蒼生と過ごした日々は大いに啓発され楽しくもあった。二人とも生涯の友になることを願っている。宋連玉の友情と常にウイットに富んだ会話はすこぶる有難かった。彼女が大阪での宿泊所を提供してくれたのは天の恵みであった。彼女の妹と姪もまたこの上なく寛容であった。徐京植船橋ゆうこはいつも知的なアドヴァイスに限らず多くのものを与えてくれた。「メリケン」のメンバー、Kim Suna, 古川あつこ、栗林れいこ、そして森下育彦は、私のわがままを許してくれかつ挑発してくれた。古川さんと西研さんとKim SunaKim Hyun-chulと何時間も語り合ったことは忘れることがないだろう。Kim-Riの家族の人たちには表現できないほどの感謝の気持ちを抱いている。