黄英治『こわい、こわい』と原佑介『禁じられた郷愁』の交差的読解

〈別の仕方で〉読むこと。アルチュセールランシエール、マシュレーによる『資本論を読む』(1965ちくま文庫版1996)p028-031によれば、マルクスが例えばスミスとリカードを読む読み方には「根本的に違う二つの読解原理」が働いていると。第一のそれは、マルクスは自分の先行者であるスミスの言説を、自分自身の言説を通して読む。スミスのテクストが、基準としてのマルクスのテクストを通して透けて見えるといった読み方であるが、その結果は、「一致と不一致の目録、スミスが発見したことと彼が失敗したこと、彼の功績と過失、明敏さと見過ごしとの明細書でしかない」というものだ。これとはまったく異なるのが第二の読み方である。第一の読み方が「見たものと見そこないという対になって結合された事実確認で支えられているにすぎないために、奇妙な見そこないの罪を犯している」、そこでスミスが見たものと見そこなったものとが結合して存在するという問題を見る読み方である。「見える場と見ない場との必然的な見えない関連、見えないものの晦冥な場の必然性を、見える場の構造の必然的効果として定義する関連」を読もうという読み方である。
『こわい、こわい』のテクストが見ているのに見なかったこと、小林勝が見ているのに見そこなったこと、『禁じられた郷愁』のテクストが知っているのに書かなかったことを、テクストの余白を読む、テクストの無意識によって語らせるという読みの戦略が可能になりはしまいか。これらのテクストが見えるテクストから何を見なかったか見損なったか、何を読み出し何を読み出さなかったかということの〈必然的な見えない関連〉という〈晦冥な場〉を、新たにここで読み出そうという試みの可能性と不可能性とを浮き彫りにする戦略は可能だろうかと問うことである。
アン・ローラ・ストーラーの「人種と植民地支配における親密なるもの」という副題を持つ『肉体の知識と帝国の権力』2003はフーコーセクシュアリティ理論に圧倒され感銘をうけながらも、同時にそこには植民地における人種の問題が欠けており、そこで植民地における人種とセクシュアリティとの関係の追究を始めたのだと語っている。『禁じられた郷愁』の「終章」の「小林勝は、朝鮮人を憎みさげすむ感情が自分のなかで暗くうごめいていることをはっきりと自覚しており、その感情に人間的自由を束縛されていた。かれのポストコロニアル文学は、なによりもまず、かれ自身の人間的自由を束縛するものに対する抵抗であった。かれが生涯の最後に発した『私は私自身にあっては、私の内なる懐しさを拒否する』という宣言は、その抵抗の結晶であった。そしてそれは、抵抗であると同時に、かれの『故郷』に対する逆説的な愛の表現でもあった。『懐しい』と言ってはならぬ――『一片の骨』をかつての植民地に埋めたいと願う引揚者の郷愁とは異なる方向に突き進んだ小林勝の朝鮮への愛は、かれが最後に叫んだこの言葉によってきわまった」p372-373という小林勝像、朝鮮への郷愁を拒否するという「逆説的な愛」を読み出す『禁じられた郷愁』というテクストが小林勝のテクストに何を読み出し何を読み出さなかったか、見えているのに見なかった見損なったものとの関連にはストーラーの指摘する植民地におけるセクシュアリティがありはしないか、というところから始めたい。
アルチュセールたちは『資本論』を、経済学的でも社会学的でもなく、哲学的に読むのだと宣言する。『資本論』の哲学的読み方は罪のある読み方であり、自分の過ちを「よき過ち」として要求し、その過ちの必然性を証明することでそれを弁護し、読み方として自分で自分を正当化する例外的な読み方であり、およそ罪ある読み方に対してその罪のなさについての簡単な問いを突きつける。すなわち「読むとはどういうことかと」p22。だからここではアルチュセールの言う「罪のある読み方」をすることになり、端的に言えば〈誤読〉であり、その誤読がもたらす〈正統性〉の持つ安定性なるものを問うてみたいし、ひいては「読むとはどういうことか」という問題にまでおぼつかない足取りながらも迫ってみたいのである。
『小林勝作品集』1975の第一巻の劈頭を飾る小説「フォード・一九二七年」1956を見てみよう。『禁じられた郷愁 小林勝の戦後文学と朝鮮』2019にあっては、「秘められた叙情」という標題のもとで論じられる「鮎」に次いで、二番目に取り上げられる作品である。テクストは「後期には完全に姿を消す」「叙情的な描写」、「朝鮮に対する深い愛情と郷愁の感情がにじんでいる」p90作品として「鮎」を語り、「朝鮮に対する戦後的な罪責感と小説『鮎』に織り込まれたような原初的で肉体的な愛着――この二つの感情は、小林勝のなかでつねにはげしくせめぎ合っていたように見え」、しかもその「朝鮮に対して負債があるという意識は」「むしろすぐれて意志的であり、その意味で人工的なものであった」と語る。「意志的」だというのは、小林の朝鮮に対する「負債」を単なる一時的な、その場限りのものに終わらせることなく、終生に渡り持続させてくパトスの謂いであり、小林勝文学の特徴をよく言い当てているとも見うる。
「フォード・一九二七年」は「よそ者意識の芽生え」という標題のもとで、「風土のふるさと」が大連だとしても「言語のふるさと」は日本語だと語る清岡卓行の『アカシアの大連』1969を踏まえて、「小林勝の植民地小説においても『風土のふるさと』と『言語のふるさと』の断絶は重要なテーマの一つになってい」て、「自分は場違いな存在なのだという植民者二世の潜在意識があぶり出されるのだが、そのときに決定的な契機となるのは、生まれ故郷であるはずの土地で自分が言語的に孤立しているという事実の自覚である」p94。朝鮮が「風土のふるさと」ではあっても、朝鮮語は「言語のふるさと」ではなく、「言語のふるさと」はあくまで日本語だったいうのだ。テクストは「フォード・一九二七年」の主題の一つを故郷での言語的孤立の自覚にあると語る。テクストはその後、小説のストーリーを追いながら作品の「テーマ」を次々と取り出すように続け、その取り出された「テーマ」について、テクストは例えば「民族間の主従関係をつくりあげることによって被植民者を支配するはずの植民者は、皮肉にもやがてその主従関係そのものに呪縛され、思考と行動を支配されてしまう。植民地主義的な主従関係の幻想におどらされる支配者は、小林勝がこの作品をつうじて描いたように、その無能さが暴露されたとき、じつにちぐはぐで滑稽な姿をさらすことになる」p100というようなものである。この批評は、十歳の少年「ぼく」が町はずれの丘の上に建つ西洋館に住んでいる呉服商トルコ人一家のもとを姉と一緒に訪れた際、持って来た空気銃、ふざけて撃った玉がトルコ人の娘に当たってしまった出来事についてのものだ。
     ぼくの眼の前には少女の白い踵のところにわずかにくいこんでいる鉛のたまがちらちらしていた、何事か叫んでいる子供たちのせわしなく動く口が、家の中から走り出してきたトルコ人の恐怖で見開かれた大きな眼と重なった、ぼくらをとりかこんだ朝鮮の大人たちが見えた。そして誰一人としてぼくに何も言わず、何の怒声も浴せず、事件の張本人でありながら全くの部外者の如くあつかわれた時の、たとえようもない虚脱感がぼくの全身をとらえていた。


――それは何故か? という疑問が言葉として湧いて来たわけではなかった、しかしぼくは自分が何か特別な部外者であることを漠然と感じつづけていたのだった。p25


こうテクストを引用し次のように語る。「山の中腹あたりで、フォードが日本人姉弟に追いつく。後部座席には女の子を抱いた朝鮮人たちが座っていた。大したけがではない、と少年をこわがらせないようにおどけた調子でいう運転席のトルコ人が、手まねきして『さあ、今日は乗りませんか、河の方へ行ってみましょう』と誘う。罪悪感と羞恥心にたえきれず、どうすればいいかわからなくなった少年は、姉のスカートに顔を押しつけ、その場で号泣する」。このあとに先に挙げた「民族間の主従関係」についての批評が続くのである。
さらにまた、


警部補の父親の愛蔵品である猟銃と、トルコ人の娘の足を誤射してしまうおもちゃの空気銃は、植民者二世がしだいに身につけていく植民地主義の暴力の暗喩として、非常に効果的に用いられている。はじめは朝鮮人女中をおどしてからかうだけだった弾の抜かれた猟銃が、トルコ人の娘を実際に傷つけることになる空気銃に変わる。さらに、長じて兵営に入ることになった主人公は、必要もないのにわざわざ父親の猟銃をかついで町を再訪するのである。スンギーは、かつて女中として主人公の家に出入りしていたにもかかわらず、かれの顔を識別できず、ほかならぬ猟銃をみてようやくかれのことを思い出す。被植民者にとって植民者とは要するになんなのかを暗示する再会の場面である。このように、植民者二世の内面で構造的にはぐくまれてしまう植民地の人びとに対する暴力性が、銃の表象をつうじてたくみに描き出されている。作品全体にただようある種のとらえどころのなさは、生まれ育った植民地を愛情と暴力がからみ合うかたちでしか抱きしめることができない植民者二世という存在の微妙さからくるものであるようにみえる。p102


物語の中の銃から被植民者と植民者との力関係、「植民地主義の暴力」性を間然するところなく読み解いている。「銃の表象」については、「万歳・明治五十二年」の「万歳騒動」に巻き込まれ朝鮮人を射殺してしまった大村が朝鮮人からの報復に怯え「植民地主義の暴力を象徴するその銃を、もはや片時も手放すことができなくなる」し、「大村の主観ではあくまでも護身用なのだが、もちろん植民地の人びとの前でそんな理屈は通用しない」p294-295と、朝鮮人から自らを守る「護身用」と朝鮮人を殺す「射殺」の具という銃の二面性を、テクストは精確に分析している。続けてテクストは語る。植民地主義における「他者との出会い損ない歴史」を語る平田由美の文章を引用し、


支配者が被支配者と出会わないこと、被支配者の民族性や人間性の奥深さを想像したり理解しようとしたりしないこと――それは、植民地支配の結果というより、むしろその存立条件であった。被支配者の人間性への想像力は、支配の正当化のさまたげになるからである。それゆえに帝国は、被支配者を「教化」するなり、「膺懲」するなりして、「主体でありうる他者」を眼前から消し去ろうと躍起になった。被支配者の民族的尊厳をおとしめ、その文化を「野蛮」で「後進的」なものとさげすんだ。そうして、かれら自身がみずからを劣等だと感じ、帝国に対するみずからの異質性を忌むように仕向けた。植民地体制は、被支配者に対する支配者の嫌悪と侮蔑のみならず、被支配者自身の自己嫌悪をも養分にする貪婪な怪物であった。p104


ここでもテクストは優れたポストコロニアル文学論を展開しており、植民地における植民者日本人の「ぼく」の(言語的)孤立、植民者と被植民者との関係が滑稽な人間のあり様、銃に表象される植民者の被植民者に対する暴力、さらには植民者と被植民者という非対称的な関係における「出会い損ない」を指摘していて、要するに植民地主義が被支配者と支配者の両者の人間性を毀損する「怪物」なのだという指摘は大いにうなずけるものだ。
ところで「フォード・一九二八年」におけるセクシュアリティということから、あげておきたいのは『継続する植民地主義』2005の金富子「植民地期・解放直後の朝鮮における公娼認識 女性の身体をめぐるナショナリズムジェンダー」の以下の一節である。「開港以降に日本人居住地を中心に発達した日本式の公娼制度」を「統監府は朝鮮人売春婦を公娼制度に組み込」み、「一九一六年に統一的な」法制度を確立したあと、「一九二九年には朝鮮人売春婦の数が日本人のそれを上回り、東アジア全域(日本・台湾・「満州」・サハリン・中国本土)に国境をまたいだ人身売買ネットワークが構築され、多くの朝鮮人女性の娼妓化が進展していった」のは、まさに「フォード・一九二七年」の「一九二七年」当時であったことを念頭に置いておきたい。「フォード・一九二七年」という作品の背景にはこのような「朝鮮人女性の娼妓化が進展」する状況があったのだ。
「女中」のスンギーがどのように描かれているか、父親の「ベルギー製五連発の猟銃」を「ぼく」が戯れに手にした時のスンギー、


彼女は小柄なわりには、驚くほど豊かにもり上っている胸をつき出して、銃の前に立ちふさがった。p17


「ぼってりとふとった」p21姉と一緒に訪れたトルコ人の家で、


白いズロース一枚の裸の女の子が、太った足をなげだしてべったりすわっていた、頭髪は、まさしく金髪だった、小さなダンゴ鼻の両側に見開かれている眼は灰色がかった青い色をしていた。p22


続いて、二人の前に現れた薄汚い小犬が「ぼく」に唸り声をあげる、


ぼくは空気銃を引きよせ、怒りのために混乱しながらポケットから鉛の弾をとり出してつめた。
姉はこまかく、びっしりと並んだ歯をみせて笑いながら、少女の体をくすぐっていた、少女は砂の上を転げまわって叫びながら、白い手足をもがいていた、ぼくは銃身をのばし、よたよたと体をくねらせながら、少女の方へ近寄って行く小犬へ銃口を向けていった。そして、そのいやらしい尻が銃身の前へ来た時、引き金をひいた……p24-25


これらの表象がエロチックな隠喩的語彙に満ちているのは明からである。また「遠いところでやられていた戦争は名前も大東亜戦争とあらためられ」たのは、東条内閣の閣議決定による一九四一年、「ぼく」が「外国語学校の学生」であったある朝、「下宿の台所でぼくは、不意に台所の壁が、斜めに倒れかかってきたのを見た、しばらくして、ぼくは体がぐっともちあげられたのを感じた。誰か、女が二人でぼくを運び、ねかしつけてくれたのだった、女の手は二人とも柔らかかった。夕方になると、別の女が大豆まじりのお粥を煮てくれた。朝になると、これまた違った女が味噌汁をつくってくれた。――女ばっかりしかいないんだ、東京は女ばっかり」。もちろん東京が「女ばっかり」なのは男が徴兵されていることを暗示している。


セクシュアリティの換喩的(メトミニック)な語彙と言えば、「銃」がある。「ベルギー製の五連発の猟銃」と「空気銃」。銃がペニスの換喩(metonymy(メトニミー)/隣接性が共通性を生むとされる換喩は隣接性が恣意的偶然的である以上、どのような対象に対しても成立するとされる)としてフィクションの中で機能するのは言うまでもないけれども、「兵器は、男性アイデンティティの重要な要因であり、家父長制が機能するためには、決定的な要因である」というベティ・リアドン(『性差別主義と戦争システム』1985p81)の言葉をあげておく。「銃」が現実の銃を指し示す記号であるとしても、同時にそれはシニフィアン(意味するもの)として男性性器つまりペニスをシニフィエ(意味されるもの)とするとも見うるだろう(シニフィアンシニフィエ言語学者ソシュールの用語で、語をこの二つからなると考えた)。そして猟銃の向けられるのが被植民者のスンギー、空気銃がトルコ人の娘というように、銃口の向かう先が二人の女性であるのに注目すれば、この行為が「ぼく」の二人の女性に対する性的な欲望ないし性行為への欲望の表象であることになるのは言うまでもない。もう少し踏み込んで言うなら、父親の猟銃でスンギーをおどすのは、「ぼく」の行為というより父親の欲望の代理表象なのかも知れない。というのも、毎晩家の者とろくに口もきかずに黙って銃を磨いているような男なのだから。父親の銃(ペニス)は家の外に広がる(金富子の指摘した)「朝鮮人女性の娼妓」に向けられているのだろうか、それとも同じ家にいる「女中の」のスンギーに向けられたものなのか。「ぼく」がスンギーに対しては父親の所有になる本物の猟銃、トルコ人の娘には「ぼく」自身の持ち物である「おもちゃの空気銃」という対比からすれば、前者が父親の欲望の代理表象、植民者である父親の被植民者である「女中」のスンギーに対する欲望の代理表象として、後者は「ぼく」自身の欲望の実践だという風にも、さらには後述するようにトルコ人が西欧人一般ないしは他者全体を暗示するなら、「ぼく」の欲望は女性一般に対する欲望という風にも読めよう。いずれにしろこの銃の場面は、植民者が銃という暴力装置で被植民地の人たちを(性的に)凌辱することの寓意(アレゴリー)だという読みの可能性は排除しがたいのではないだろうか。付け加えておけば「よたよたと体をくねらせながら、少女の方へ近寄っていく」小犬はまた他者(のペニス)の換喩として「ぼく」の欲望の対象である少女が他のペニスに凌辱されそうになったことからその競合する相手に対し銃を発射したというよりは、小犬が少女の飼い犬(所有するもの、彼女の一部)だとするならむしろ少女の提喩であり、「小犬が現れるや」少女たちが「嬉し気な叫び声をあげ」、小犬が「ピョンピョンはねながら甘え声を出した」ところには、「ぼく」が少女にとり憑かれていることだけではなく、「犬は知らん顔をしていた」と自分が無視されることに対し、『禁じられた郷愁』の言うようにそれまで言語的に孤立していた植民者としての怒り(プライドの毀損)から、「いやらしい尻が銃身の前へ来た時、引き金をひいた」のだということでもあろうか。


テクストの語る「トルコ人」について一言述べるなら、「鋭いカギ鼻と青い眼をもったトルコ人の夫婦」p13、「赤毛の生えている手」を持つ男p19、「金髪のトルコ娘」p24とあり、『禁じられた郷愁』が「日本人たちが勝手にトルコ人だと決めつけているだけのように読めるようになっている」と語るのも、人種的に見るなら、金髪や青い眼はトルコ人らしからぬ風貌なのだからであろう。とはいえここでテクストの語るトルコ人の記述は人種的に間違っている〈取り違えている〉、小林勝はトルコ人がアジア系の人たちであることを知らずに誤ってトルコ人と語っている、というような批判は当たらないだろう。ここはむしろ『禁じられた郷愁』の語るように実際にはその一家がトルコ人かどうかは分からないものとして、そのゆえに「小説全体にある種のおかしみを生む効果をもたらしている」というように読むべきなのであり、それを指摘する『禁じられた郷愁』の語りは慧眼であるとも言えよう。スンギーに向けられた銃口、「ぼくは、おやじがいつも弾丸を抜いておくのを知っていた」のだから、あらかじめ不発であることが明示され、トルコ人の娘の場合は、「空気銃」が子どもの持ち物であるところから、「おもちゃの空気銃」(『禁じられた郷愁』p102)と見てよいだろう。不発の猟銃とおもちゃの空気銃という両者の表象は「ぼく」の欲望が始めから不成功に終わることを暗示しているとして、それは「ぼく」がまだ十歳の少年だからだろうか。あるいは植民者二世としての「ぼく」には性的な交渉が不可能であること(不能であること)を、植民地主義への批判として提示していることを暗示しているのだろうか。
ここで表題「フォード・一九二七年」の持つ修辞的効果を見ておくと、トルコ人の持っている自家用車が「(一九二六、七年の)古ぼけたフォードだった」とあるのに、「一九二六」年ではなくわざわざ「フォード・一九二七年」を表題としているのはその「一九二七年」が小林勝の生年であることから、この「フォード」を「ぼく」の分身ではないかと想像させることだ。小説の現在時は「ぼく」が「小学校五年生」つまり十歳前後、一九三七年頃と推定される。その「ぼく」が「クラスで一番小さな体」p9を持ち、「二年生のときに、小児結核と診断されたくらい――これは誤診だったが、――弱弱しい体をしていた」p17というテクストの語りが、製造後十年を経たフォードが今や、「四角い黒い車体は色もはげ落ちていたし、幌もしみだらけになって、たるんでいた、走るとぜいぜい苦るし気な息をもらし、ひどく震動するのだった」という語りと呼応する。そしてもしこのような「ぼく」とフォードとの呼応から「ぼく」の代理表象だと仮定するなら、製造後十年を経てガタの来ているフォードに乗るトルコ人は、「ぼく」を支配する父の代理表象であるという解釈も成り立つ。代理というのは「フォード・一九二七年」というテクストに父親が不在だからである。「ぼく」の回想にその一端が描かれるだけ。ベルギー製の猟銃、「それはおやじの自慢のものだった、毎晩家へ帰ってくると、おやじは家の者とろくに口をきかずに、黙りこくって銃を磨いていた」、「しかしおやじは、ぼくがそれに手を触れることを絶対禁じていた」。父親に関する記述はこれのみで、小説の現在時には終始不在の表象としてある。十歳の「ぼく」は〈男でない男〉として女性を犯す振りをしか出来ないし、失敗を予定されているのだけれども、ここでその行為を阻むのがトルコ人であることが興味深い。「こわくないか、スンギー、こわいだろう」と銃(ペニス)を向けスンギーを脅している時、「玄関の方でパ、パーン、とすさまじい音が起った。ぼくとスンギーは同時にギャッと言った」。この「パ、パーン」という擬音語は銃のそれ(「ぼく」の〈取り違え〉)でもあるようだけれども、実際はトルコ人の乗るフォードがエンストを起こした音なのだ。父の代理表象であるトルコ人が息子の性行為を妨害するのは、息子である「ぼく」がまだ父の命法を受け入れ、母親(女性)を棄却するまでには成長していないからなのであり、いわばエディプス期を克服しない少年は、成人となるためには母を諦め(想像的な去勢を受け入れ)、父の名としての象徴界に入る、象徴としてのファルス(象徴的な意味での男根)を身につける必要がある。父の代理表象としてのトルコ人は、時期尚早の「ぼく」の性的欲望とその行為を禁じ(猟銃に触れるのを禁じる父親同様に)、おのれ(父の名)を受け入れよ、と迫る。「あなたも乗りませんか? みんな乗っています」p20、そうトルコ人は「ぼく」を誘惑ないし挑発するのだ。一方トルコ人の娘には弾丸を発射(射精)をするにはするのだけれども、成功したと言い難いのは「白い踵のところにわずかにくいこんでいる鉛のたま」とある「わずかに」がその兆候である。幼い病弱でやせっぽちの「ぼく」には女性をレイプすることなどできはしないのだ。「ぼく」がまだエディプス期を克服していないのは次の語りがそれを示唆している。トルコ人の誘いに「一人では不安だった。いつかぼくは、姉と二人で行ってみようと決心していた」と姉(女性/母親)頼みであり、トルコ人の娘を誤射した帰途、フォードに乗ったトルコ人がやって来ると「ぼくは姉のスカートにすがりついた」p25し、トルコ人が「さあ、あなた、今日は乗りませんか」と誘って来ても、「ぼくは姉のスカートへ顔をおしつけ」p26るばかり、姉(女性/母親)にまとわりつくだけで、トルコ人の誘い(象徴界への参加=エディプス期の通過)を拒み続けるのである。これでは男性的機能の発現としてのレイプは不可能なのであろう。


少年である「ぼく」が成人となるには想像的な〈父親殺し〉が不可欠であり、それはトルコ人の村からの追放という形で成就する。「トルコ人が町へはいって来たのは昭和のはじめだった。ぼくは乳飲児だった。トルコ人が町から出て行った時、ぼくは東京の外国語学校の生徒だった」とあり、トルコ人がやって来たのは一九二七年頃、その年に「ぼく」は生まれ、東京の外語学校の生徒だったのは一九四一年頃、「故郷」への帰還はおよそその二年か三年後、「ぼく」は十六、七歳、思春期に入る歳だ。だから「東京は女ばっかり」と女性を「女」として、性の対象として見ることができ、柔らかい手も感じることが出来たのであろう。フォードに乗ったトルコ人の去る光景、「艶気のなくなった丸い顔は、フォードの幌のようにたるんで、かすかにふるえている。フォードは、次第に小さくなって行く」p31と描かれ、幼かった「ぼく」の身体としてのフォードとともに、老いてたるんで「艶気」もなくなったトルコ人の父親も過去のものへと追いやられるのである。
スンギーとの再会のシーン。「おやじから借りたベルギー製五連発の猟銃」を肩に担いで、かつて住んでいた「洛東江のみなもとの町」、「スンギーの住んでいた家」へやって来る。


――スンギーは居るはずはない、とぼくは思った、嫁に行って、そしてもう子供もいるだろう。
土塀のかげに、頭髪をたばね、銀色の朝鮮のかんざしを一本さしこんだ女が子供を抱いて細い美しい声で歌をうたっていた、ぼくはその女にスンギーのことを聞いてみようと思ったのだった。
――スンギーは居ませんかね。
ぼくは永い年月をいっぺんにとびこえて、女に問いかけた。すると女はふりかえり、黙ってぼくの顔をみつづけた、ぼくにはすぐにわかった、白い、平たい顔と、細い眼をもった女がかつての十八歳のスンギーであることを。女は、ぼくの長細い、青白い顔の中に、小学校五年生の少年を見出すことは困難なようであった、が、ベルギー製五連発猟銃が、スンギーに記憶を呼び戻したのだった。そしてぼくは、スンギーの家の縁側に腰かけスンギーと話をしたのだ、スンギーの眼はいっそう細くひきつり、もう疲労をあらわす皺が広いひたいに、うっすらと刻まれていた。彼女の胸は驚くほど薄くなっていた、何かがスンギーから青春を永久にうばい去ったことは事実だった、そして、その何かは、スンギーから青春をうばっただけではなかった。p29-30


スンギーとの再会のシーンはこれだけである。この簡潔というか素っ気ないテクストの語りは何を語っており何を語っていないのか。『禁じられた郷愁』は、小林の前期の朝鮮人の描き方が「ミツバチやサンゴ虫と変わらぬほど個性のない、一種の画一的な」朝鮮人であり、「スンギーも、生活に疲れた顔を見せるだけで、その内面についてはなにも語らない。ものいわぬ朝鮮人たちは、名前も顔もなきにひとしい周辺的存在にすぎず、なにかを考えたり感じたりすることがないかのようにぼんやりと後景に引いている」p110と的確な批判をしている。「スンギーと話をした」は十六、七歳になった「ぼく」が猟銃(ペニス)を身につけ象徴界に参入し、他者とのコミュニケーションが出来るようになったことを示唆するのか。またスンギーにわざわざ会いに来たのはそのペニスの誇示のためか、あるいは性的な欲望のためなのか、しかしスンギーはもはやかつてのような性的な魅力「驚くほど豊かにもり上がっている胸」ではなく、「驚くほど薄くなってい」て「ぼく」の欲望が萎えてしまっていたのか、テクストは明示的に語らない。スンギーの青春を奪ったのが「何か」としか語らないテクストも、植民者による収奪を暗示しているのだろうというのはすぐに連想できるのであるけれども、その奪ったものが「青春」だけではなかったというのは何を連想させるだろうか。ここではそれが彼女の性的魅力だという読みもあながち的外れでないようにも思える。
それにしてもテクストは素っ気ない。「スンギーと話をした」にも関わらず、会話の内容もなければ、彼女の抱いていた子どもが誰の子か、結婚はしているのか、夫はいるのか、などには一切触れないのである。これは「ぼく」の朝鮮人の女性に対する無関心の表象なのか、それとも会話とはいえ確かなコミュニケーションが成立していないことの暗喩なのか。
“Im Kwon-Taek  the making of a Korean National Cinema”2002(『林權澤 韓国民族映画の創造』)に収録された Chungmoo Choiの“The Politics of Gender, Aestheticism and Cultural Nationalism in Sopyonje ant The Genealogy”(「『西便制』と『族譜』におけるジェンダー政治学、審美主義及び文化ナショナリズム」)は飛びぬけて素晴らしい『西便制』論を展開している。映画の終わりの方で、義理の息子トンホが去り、ユボンとソンファが二人で村はずれの一軒家で暮らすシーンについて(以下は拙訳。映画の詳細は周知のことだと推測されるので割愛する)、


すなわちこのシーンはユボンがソンファの視力を奪うために注ぎ込んだ毒が次第に効果を発揮しているのだ。ソンファの盲目を確認したあとで、彼は自分の目的をソンファに告げる。二人が互いに腕を組んで遠ざかるシーン、盲目のソンファはくるぶしをあらわにした質素な黒のスカート、白いブラウスの上に明るい色のセーター、そして首にまいたウールのスカーフの上に編んだ髪が垂れている。続く二つのシーンでは、彼女は上まで編み上げた髪にとてもゆったりしたチョゴリという伝統的な既婚女性の身なりなのだ。
これらの視覚的イマージュはプレ植民地時代の朝鮮の妓生(キーセン)文化を思い起こさせる。その時代、若い娼妓が男性のパトロンによって処女を奪われた時、髪を束髪で結い上げ男根を思わせる簪(かんざし)で固定する。この儀式は婉曲的に“髪上げ”と呼ばれている。これはパトロンが娼妓を自分の愛人としたことを意味する。この言い回しは決して一般女性には適用されない。にもかかわらずソンファのお下げから束髪への髪型の変化は彼女の地位の変化を指示している。明るいブライダルカラーと対照的な濃い色調の衣服はまた妓生を連想させてしまうのだ。p108


Choiはユボンがソンファをレイプしたという疑似的近親姦(ソンファは養女である)の物語として読んでいるのだ。「頭髪をたばね、銀色の朝鮮のかんざしを一本さしこんだ女」であるスンギーと、『西便制』のソンファが重なる。「若い娼妓が男性のパトロンによって処女を奪われた時、髪を束髪で結い上げ男根を思わせる簪(かんざし)で固定する」というChoiの指摘に従うなら、スンギーという女性の〈現在〉が、「プレ植民地時代の朝鮮の妓生(キーセン)文化を思い起こさせる」点で極めて異なった様相を呈して来るだろう。「フォード・一九二七年」は植民地時代の話だからスンギーが「妓生」であるはずはないとしても、「男根を思わせる簪で」髪を束ねているという表象、女性(の髪)を貫く簪(ペニス)という形象はまさに性交そのもののメタファーとして、スンギーが性的な兆候を強く暗示する女性として浮かび上がって来るのだ。とはいえ「彼女の胸」が「驚くほど薄くなってい」という目撃証言はスンギーという女性に関する残酷なテクストの語りであるとも言えはしないだろうか。まだ二十歳代であろうスンギーが性的に強烈な表徴(簪に貫かれた髪)のもとで語られつつ、その一方で性的な魅力を喪失(性的シンボルとしての乳房の稀薄化)している女性であるというのはあまりにも酷薄な事態だとも言えよう。それにしてもスンギーに触れるたびにその「胸」のふくらみに目を向ける「ぼく」の視線はテクストの語りの大きな指標であるだろう。女性の形象化に際して「豊かにもり上がっている胸」とか「彼女の胸は驚くほど薄くなっていた」と〈胸=乳房〉という身体の一部に固着する(フェティッシュ)かのようなステレオタイプ化された表象形式を用いるのは、朝鮮の植民地化と〈女性の植民地化〉との間に連続性があるのか否かという疑問が湧き上がるのを否めない。これはフェティッシュな欲望の表象なのだろうか。テクストはさまざまなセクシュアリティの徴候を示しつつもそれ以上は見ない
ついでながら、上の引用に続いて、「以上のことは、ユボンが無防備な養女を盲目にした上にレイプし情婦にしたということを作品が暗示しているのだ」と語るChoiの論文は「植民地化されたコリアン男性が、植民地化された同朋女性や去勢された自身に暴力を加えることで、そのナショナルアイデンティティと男らしさを奪われたことに応えようとするそのやり方について論じ」るのだと、挑発的な言葉を綴っている。Choiの映画の細部にこだわり興味深い論を練り上げていくその批評はまさにフェミニスト読解の手本のようなものである。だが、その観客たち(ことにマチズモを内面化しているナショナリストたち)の神経を逆なでするような論調であることは否めない(ちなみにKyung Hyun Kimが“The Remasculinization of Korean Cinema”でChoiの読解を批判的に取り上げているp60-66。ChoiとKimの関連する箇所の日本語訳は「Liangのブログ」を参照。https://blog.hatena.ne.jp/gsnjsfpct136/gsnjsfpct136.hatenablog.com/ Kimは私たちのメールに答えて日本語訳をブログにアップすることを許可してくれたけれども、Choiからは返答がなかった)。なるほど映画『西便制』が美しい国土、素晴らしい音楽(パンソリ)を織り込み、「民族の自尊心を呼び起こ」すものであったのは、その観客数やパンソリのリバイバル(ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の主題歌「オナラ」がパンソリを採用していた)を見てもよく分かるとはいえ、「植民地化された男性」、「男らしさを奪われた」男性の「ナショナルアイデンティティ」の回復(ここだけを見て多くの観客は感動したのだろうか)の〈失敗〉を、女性に対して暴力を振るうことで抑圧支配を成し遂げている点を見ないことであり、ここにも見えるものと見ないものとの錯綜した関係が見て取れる。


少年が皇国青年となる過程において、セクシュアリティがどのように関わっているか、他者である女性、植民地の女性という二重の他者である「女中」との関わりを通して、植民地の男性がどのように(性的)主体を立ち上げるのかという問題系の周辺をめぐる作品として読む可能性と不可能性を問うことは、「フォード・一九二七年」をセクシュアリティという読解格子で読むことは、おそらく「悪い読み」に属すであろう。誤読だと、テクストを逆なですると言ってもいいだろう。「フォード・一九二七年」を「ぼく」が「ほろ苦い悔恨とともに思い出すような場所」p157としての朝鮮を描いた作品と見るのがおそらく正統的な文学的読みなのだろう。とはいえここで示したかったのはこの誤読を正当化するとかより優れた読みだと強弁するがためではなく、アルチュセールのひそみに倣って「読むとはどういうことか」を考えてみたいからである。  
後年の小林勝が回想するかれの文学の原点とは、象徴的な意味やあとづけの解釈ではなく、文字どおりの開始時点を指す。小説家小林勝が誕生したのは、朝鮮戦争が続く一九五二年の秋、あの粗末な手帳を手に入れた東京拘置所であった。p66
テクストは「象徴的な意味やあとづけの解釈ではなく、文字通り」と弁明している。「禁じられた郷愁」というかたちで植民地朝鮮、戦後の朝鮮との関係を主要テーマとする小林像には、「警視庁の留置場に放り込まれ」、「そこで韓国に追放されていく朝鮮人たちと出会い、声をひそめてかれらと語り合った」後、小菅の東京拘置所に移送され」「紙とペンを手に入れるや、『警視庁のあなぐらの中からたまりにたまっていた怒りがふきあげて、いま小説を書いているのだという意識はなかった』という精神状態で、いくつかの小説を一気に書き上げたという」p66-67小林自身の言葉に基づく小説を書くことの始まりがあったからだ。実際に小説を書いていたから「文字通りの開始時点」だと言うのである。作家のアンビヴァレントな心情的側面を焦点にする小林勝像にはこの「原点」はふさわしいものだろう(原点・原型・原像・原体験・原初的という語がテクストには頻出する)。「植民地郷愁をいだくことに対する違和感やうしろめたさ」、あるいは「素朴なノスタルジアと戦後的な植民地タブー意識の相克」p84という角度から、朝鮮という故郷を喪失した作家としての小林勝を再構築するには当然とも言える処置だ。しかし原点=始点=始まりはフィクションであり、語の意味での原点なるものは存在しない。始まりは存在しない。原点がフィクションだとするなら原点は無数に設定し得るだろう。換言すれば「禁じられた郷愁」という読解格子によって原佑介は見事な小林勝像を描いて見せたとはいうものの、他の読解格子の可能性は幾つもあるだろうということであり、その一つが先に述べたセクシュアリティであり、以下に見る資本主義であり、天皇制である。


『フォード・一九二七年』という表題にもう少しこだわるなら、「フォード」という車種の特異性がある。フォードはアメリカを代表する自動車だし、フォーディズムは、チャップリンが早くも一九三六年に『モダンタイムス』でベルトコンベア式の生産様式を揶揄していたあのスタイルの代名詞だ。自動車フォードは紛れもなくアメリカの資本主義の提喩(synecdoche(シネクドキ)/部分を全体で表す)なのだ。トルコ人がどのような経緯でこのフォードを手にしたかについてはテクストは語らない。が、テクストにおける資本主義(批判)もまたこのフォードによって導かれるだろう。「警察署長も自家用車をもっていなかった、郡守のキムなにがしも、大地主の李なにがしも持っていなかった、ポプラの広大な林を邸内に持っている高利貸しの石上なにがしも持っていなかった、十八も部屋のある家を新築して人々の度肝をぬいた拓殖銀行の坂本なにがしも持っていなかった/ところで、このトルコ人だけが自家用車を持っていたのである」p11と、たった一台の自家用車を大邸宅を持つ「拓殖銀行の坂本なにがし」の大邸宅と比較し、前者をもちあげるという諧謔(かいぎゃく)、けれども諧謔だけではなく、次に見るように日本帝国軍とそれに続く資本家たちによって朝鮮の土地が侵略される光景が短いながら的確に示されているのだ。「この山奥に」最初に兵隊が続いて警察がやって来た。さらに「商人がやって来た、銀行の支店がやってきた、金貸しがやってきた」p12と朝鮮の人々を搾取する人たちや機関の到来が告げられる。「拓殖銀行」とは、1908年に設立された東洋拓殖株式会社の金融部門であり、東拓は日本帝国の朝鮮統治時代において、日本の農民の植民事業をつかさどった国策会社として悪名高い組織である。その草創期には「日韓共同事業」的な色彩が強く、皇室による持ち株支配が強かったとも言われている。後述するようにここでも天皇ヒロヒトの暗い影を読むことが出来よう。


トルコ人は町の西側につづいているドングリ山を安い値段で買いとった(中略)、そこでトルコ人は山がすでに自分の所有にかわったこと、私有財産は尊重すべきことなどを明瞭に示すために、麓一帯へ、まぶしく光る有刺鉄線を張りめぐらした」p13という件(くだり)などから、テクストが共産党員の小林勝らしい語りを紡いでいる。「所有」や「私有財産」が主にマルクス主義の影響の強い経済用語であるのは周知のことなのは、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』1884を思い出せば十分であろう。トルコ人が裕福なのはフォードが「移動する商店だった」p13からであり、「時計屋の東京堂や酒屋の近江屋」がトルコ人のような〈営業形態〉を知らなかったのか面倒だからなのか、総じて来客を待つばかりなのに比して、トルコ人はフォードで駆け巡り営業する。優劣は自明だ。しかもトルコ人朝鮮人とも差別することなく付き合う。対して日本人の商店主たちは「朝鮮人なんかと友達づきあいをしているトルコ人」と話をするのは「わざわざ朝鮮人と対等関係になろうとするものだ、という考え方がごく普通にあった」p15(強調原文)。朝鮮語を話し(トルコ人が「子供たちに朝鮮語で話しかけた」p19とある)被植民者の朝鮮人たちをも顧客として取り込むトルコ人の商法が店にいて客を待つだけの日本人の商店主たちよりは格段に資本主義を生きている。日本人店主たちは植民地権力に守られているから呑気に商売も出来ようけれども、〈さまよえる〉流れ者のトルコ人には何の後ろ盾もなく懸命に営業するほかないのだろう。またフォードをアメリカの提喩とするなら、一九五〇年代の日米関係を背景にアメリカの経済的力量を目の当たりに見せつけられていことから生じる日本との差異をテクストに読むこともできるだろう。


エンゲルスマルクスも)は、国家や一夫一婦制や私有財産などを自明の(普遍的)ものとするヘーゲル的な歴史観に抗し、それらが歴史構成的なもの、ある歴史的文化的な条件のなかで生まれたものだと考えた。エンゲルスの言う「私有財産」の発生、これをフェミニスト思考の側からひと捻(ひね)りすると「すべの男がすべての女を恐怖状態にとどめておくことによって成立する、意識的な威嚇のプロセスにほかならない」とレイプを語るスーザン・ブラウンミラーは『レイプ・踏みにじられた意思』で「階級制や奴隷制私有財産といった概念はすべて、女性を力で隷属させる行為から派生したものだ」p9と主張する。歴史的に振り返って、男が女を暴力によって奪いレイプするという習慣が、最初は配偶者に対する保護権として成立し、やがて男性権力の固定化である父権制にたどり着いたのではないかという仮説を打ち建てる彼女は、「父の家」を確立するための礎石として、この男にとっての永続所有物、動産としての女があり、それが所有権なるものの始まりではなかったのかという大胆な主張をしている。それにしても「家族、国家、私有財産」とこの三つをセットにして探求したエンゲルスの書は、現代でも家族=家父長制・男性中心主義、国家=帝国主義植民地主義私有財産=金融資本主義・新植民地主義としてその制度をより強固に維持しているように見える。しかしここには「人種/民族」が抜けている。マルクスエンゲルス社会主義の社会になれば人種/民族問題は解消すると楽観的に予測していたのが時代的制約のためだとしても、二十一世紀にあってはフーコーセクシュアリティ論には人種問題が欠けていると考えたストーラーとは逆に、ここではエンゲルスやブラウンミラーの説に人種/民族の問題を介入させなければならないだろう。


「ぼく」の後身として冒頭と末尾の二か所に出て来る敗残兵、戦地に上等兵と残された兵士の「ぼく」の最期。「ぼくの眼の前を、こちらに背をむけて、フォードが小さくなっていく、それは次第に小さくなっていく、ぼくの熱っぽいまぶたが、段々と重くとじ合わされながら、去って行く車をみつめている、(もう一週間もすれば後ろにいる健康な男は出発して行くだろう、ぼくの指の骨を彼の胸のポケットにほうりこんで)とぼくの心がつぶやく」。これが一編の末尾、死を前にした「ぼく」の感慨だ。この作品の「ぼく」は変わることなく弱々しい男、小学生のころは小児結核と誤診されるほどであり、外国語学校の生徒だった頃は「配給の豆ばかり食べていたのでぼくは下痢をおこしていた、町に売っているのはトコロテンとレモン水だけだったので、ぼくの体はいっそうよわっ」ていて下宿で卒倒するほどであり、最後は死に瀕しているのだ。これらの表象が植民地の男性のmasculinity(マスキュリニティ)(男らしさ)の構築の不可能性を暗示していないだろうか。彼の性的な欲望は決して充足されることなく、他者と出会い損ない、女性と出会い損ない、自分とも出会い損なっている哀れな植民者には「男らしさ」など望むべくもなく、こうした人間として欠如だらけの存在を生産するのが植民地体制なのだ、ということを「フォード・一九二七年」というテクストは示唆しているのだろうか。ついでに言うと、付き添いの「健康な男」(衛生兵)が「胸のポケットへほうりこんで」持ち帰る(かも知れない)ことは、「ぼくの指の骨」を提喩として読むまでもなく、「ぼく」自身(ペニス?)のシニフィアンとして、健康で勇ましい「上等兵」(帝国日本/軍部)に「ぼく」の回収されることになる事態を意味し、朝鮮人たちが「トルコ人や日本人がいなくなったって、みんな結構うまくやってくさ」という植民地支配の不当さに「ぼくの気付きようはあまりにも遅かったのだ」という述懐から分かるように、その植民地支配の不当さに気づかないような愚かな「ぼく」はどう抗おうが、つまるところ、国家(帝国日本)の臣民に過ぎないことを、テクストは語っているのだ。


黄(ファン)英(ヨン)治(チ)の短編小説集『こわい、こわい』の「あとがき」、〈作者の意図〉ということについては、『こわい、こわい』の作者自身があらかじめ先回りしてその意図なるもの意図らしきものを語っているという点に注目しておきたい。もし伝統的な読み方をするならここに作者の意図が作者の言葉で記されている以上、もはや為すべきことはない、ということにならないか。であるなら「あとがき」はその言っていることとはその内容とは別のことを言っているという風に読めばどうなるか。「あとがき」は単なるあとで書いたものという審級を超えて別の意味を生産する機能を持つという〈意味〉を読み出すことも出来なくはない。書かれた小説からそこに込められた作者の意図や主張を読み出すという考え方をしないなら、正しく作者の意図を探り出すという読み方をしないなら、意味と意味についての知の棲みつく場としてのテクストが多くのことを語り出すだろうし、読者はその声に耳を傾け〈間テクスト〉的な読みへと誘われる。この『こわい、こわい』と先の『禁じられた郷愁』との二作を選んだのは、磯貝治郎主催の「在日朝鮮人作家を読む会」で二〇一九年の七月(第462回)と十月(第463回)において取り上げられた作品であるという〈偶然〉と称すべき経緯からだ。
彼女は結婚当初、長男の嫁ということで姑の風当たりが厳しかったこともあり、オモニを恐れつつ、格別に心を砕いていた。その気遣いは、いつしか歳月によって、妹とオモニの間にあるものとは別種の親密さというか、女同士で深い秘密をわけもつ絆のようなものになっていた。嫁と姑の関係が円満なのは、ありがたいことだった。」p87「煙のにおい」という短編は実に複雑な作品だ。まず母親は一貫して「オモニ」と呼ばれ、夫が「朴(パク)書房(ソバン)」と呼ばれるのとは対照的に名前がない。「書房(ソバン)」は「婿」に対する敬称と理解しておく。妻もないし妹もない。朴(パク)書房(ソバン)」と呼ばれるのとは対照的に名前がない。「書房(ソバン)」は「婿」に対する敬称と理解しておく。妻もないし妹もない。名前の出てくるのはあと一箇所、語り手「私」の弟の徳輝(トッキ)だけ。引用した「煙のにおい」の一節に戻るなら、「女同士で深い秘密をわけもつ」という一節には「indifferent〈無関心/非差異化〉」という語の持つ二重の意味が想起される。「秘密」という表象は「女同士」に対する無関心(理解の拒絶・伝達の不可能性)を表し、神秘化ないし神話化であり、同時に「女同士」は二人の「女」の差異を違いを抹消する均質化全体化する表象の仕方である。さらにつまり、「嫁」と「姑」という立場、存在(社会的位置づけないし家族における位置づけとしてのロールプレイ)の仕方にある相違を抹消し「女同士」と二人を「女」一般に還元するばかりか、そこに「わけも」たれているものを「秘密」と表象することで、「男」である語り手はそこにあるものを自分には分からない神秘的なものとして理解することを放棄する。「女」を他者とする「男」の典型的な語り=表象だとフェミニズムは主張するかも知れない。


ところで作品はオモニという「女」の死を通してその一生を浮かび上がらせる作品だと、「あとがき」の作者の言に倣って言うことができる。「ある在日朝鮮人の死には、植民地主義の歴史と現在が深く刻印されている」とテクストの「あとがき」は語る。この一節には何の異論もないだろう。とはいえ、「煙のにおい」という作品をテクストとして読むことで、ちがった声も聴くことが出来る。オモニに名前のないのはこのオモニが「在日のオモニ」なる人々の代理/表象として読めるのは言うまでもないとしても、ではなぜテクストは「朴書房」と「徳輝」だけには名を与えているのかという矛盾(めいたこと)が疑問として浮かび上がる。父親が「朴書房」と呼ばれることは語り手たる「私」も朴姓だと判断できるし、弟に至っては「朴徳輝」とフルネームを知ることが出来る。翻って母親は姓も名も分からない。「オモニ」とだけ表象(represent)することで在日のオモニを代理(represent)する(ことになるだろう)テクストは何を語っているのか。「煙のにおい」というテクストには「嫁」「姑」「長男」という男性中心主義的家父長制を顕著に意味する語彙が頻出する。この次第は「煙のにおい」という作品が在日の家族・家庭に根強く残る家父長制を問題化するものとして、あるいは在日の家族の間では未だにこの家父長が生きている現実のそのままの描写なのだと近代的な文芸評論風に読める。しかし別の仕方による読みもある。「在日一世の男の例にもれず大いに儒教的なアボヂ」、妹に「中学を卒業したら就職しなさい」という「死刑宣告」にも等しい宣言をする。兄に大学進学を認め、妹には中卒で就職せよなんて、とてもじゃないけど二一世紀の話ではなく、二十世紀中葉までのことだろう(と素朴に思えて来る)。そんな決断しかできない彼は、まったく家父長そのもののアボジであるとはいえ、家長は家族がいて家長なのであり、アボジ一人では家族が成立しない。最初にオモニがいる。「アボヂを家長としてつねに立てていた」オモニ、アボジを家父長とするオモニがいて、はじめてアボジは家長となる。つまりこの家父長制を成立させているのは、アボジのみならずオモニ(他の家族)の協力があってこそなのであり、オモニがアボジの共犯者、家父長制の共犯であることを示唆していないか、という風な読みの可能性。中卒で働けというアボジに対して、面と向かって反対することをしないオモニが、妹を定時制高校に進学させるようにしたのだけれども、これはちっとも問題の解決にはなっていないだろう。そこにはやはり厳然たる〈差別〉がある。それを「そんなオモニに感嘆したこと」と語るのはこの共犯性を象徴する表象であるだろう。果たしてこれが「現状では最善の解決策」なのか。「長男」の大学進学の犠牲になり定時制高校〈にしか〉行けない妹。「長男」の大学進学は妹の「定時制高校」への進学と交換(バーター)されるものなのだ。
さらに耳を傾けよう。「自分の進学が、妹の勉学や、きっと抱いているはずの夢の妨げになる……。暗闇で不意に殴られたみたいに、体じゅうの血が炭酸水のように湧き立った。そうなるだろうことは、どこかで感づいていた。そ知らぬふりをしていただけだった。卑しさが放つすえた悪臭を嗅いだ」という一節。最後の「卑しさが放つ悪臭を嗅いだ」はアボジに代理表象される男性中心主義的家父長制への違和感というか嫌悪感がこのテクストには漂っている。アボジ儒教主義をそれとなく(というより自己に都合の好いように)受け入れその恩恵をこうむっている自己、とはいえそのことに安住し得ない「男」としての自分の対象化、批判的視点の表象であるという風に読むことも出来よう。オモニの共犯性を表象しつつ、そして当の男性中心主義的家父長制を批判するというテクストの複雑さを見ないなら、それはあまりに安易な読みだろうし、テクストを在日の一家を描いた作品という解釈に収斂させてしまうだけである。
さらにここで触れておきたいのが「オモニ」という呼称である。オモニは母親、つまり子を生(な)した女性に対する呼称である。女性をオモニと表象することは産む性であるのを前面に出すことだ。誰の何という書で読んでのことだったかは失念したけれども、オモニを女性の表象として持ち出すことは、子どもを産まない女性への抑圧になるとかなんとか。リプロダクション(出産・生殖)の問題だ。女性をオモニとかハルモニと呼ぶなら、そこには子を産まない女性が排除されることを含意する、あるいは女性は産んでこそ女性、さらには一人前になるには子どもを産み育てなければならないという社会の風潮を助長すると、そうフェミニズムは主張している。だから家父長制というのは〈男女のカップリング〉のもとでの〈正常な異性愛〉を基礎とするものであり(そうでなければ子どもという再生産が不可能になる)、必然的に非異性愛を排除することを含意する。異性愛を正常と見なす大きな物語の上に成立するシステムなのである。
このことは何も言葉狩りをしている訳でないのは、デリダの言うように言葉が引用可能性によって反復されるものであり、語義が一義的に決定されるのではなく常にコンテクスト/文脈による規定を待っているとするなら、この語の使用(レジスター)のコンテクストこそが問われなければならないということである。またたとえば「慰安婦の(にされた)ハルモニ」というステレオタイプ化された表象は、「ハルモニ」が子を産み孫を持ちという〈血〉のつながりや家父長制に汚染された語と見うる一方で、「慰安婦」が生殖/出産と分離された性の消費のシニフィアンでありつつ「ハルモニ」がまさに生殖/出産のシニフィアンでもあるという対照的な指向を持つとするなら、この「慰安婦のハルモニ」という表象はまさに「慰安婦」という性にまつわるアンビヴァレントなあり様を言い当てているとも考えられるのだ。


現代の家族制度では、「家制度」を取らない以上「姑」「嫁」「長男」に代理表象される語彙は〈死語〉である(はずだ)し、これら〈死語〉である(はずの)語彙の頻出するというその頻出による異様な〈強調〉がかえって現代における儒教主義なるものの抑圧的性質ならびに遍在性を浮かび上がらせているといったことが言えないだろうか。「嫁」や「長男」という強制的な役割(ロールプレイ)を生きることを強いる家父長制。ということはこのオモニの死という物語を語るテクストは、「植民地主義の歴史と現在が深く刻印されている」ばかりか、儒教主義的男性中心主義的家父長制の「歴史と現在が深く刻印されている」という風にも読めることになる。たとえ共犯者だとしてもオモニの人生/生活がアボジに臣従する被抑圧者のそれであるのは間違いないし、同時に「妹」に代理表象される者に対しての加害者でもあるという二重性や複合性、差別の複雑さがここにも表象されているのではないだろうか。ついでに触れておくなら、抑圧的な男性中心主義的家父長制が「父」を抑圧者たらしめているのは自明であるとしても、その「父」が同時に日本の、帝国の抑圧の犠牲者であるという両義的性質も指摘されなければならないし記憶しておく必要もある。そればかりか同時に家族の成員に対して抑圧的な「家制度」が植民者から家族を守る防波堤となっていた点も見過ごす訳にはいかないのである。(梶山季之の短編小説「族譜」の家長薜鎮英(ソルチニョン)を見よ)


『禁じられた郷愁』というテクストが家父長制をどのように語っているかを見ておくと、たとえば「日本の家制度」p136「家父長主義丸出しの弁明」p144という言葉に代表されるように家父長制の問題群に触れているのが分かる。またフェミニズム的視点については、後藤明生の『夢かたり』について、植民地から引き上げる人々、「六十何歳かだった祖母も一歳になるかならないかだった妹も、家族ぐるみで朝鮮人たちから笑われていた。コウゴクシンミンを笑ったコウゴクシンミンを、コウゴクシンミンが笑っていた」という一節を引いて、「しばしば『東洋』や植民地は女性として、それを征服し『開化』する『西洋』や帝国は男性として表象されてきたが、文明的・帝国的マッチョイズム幻想にとらわれた男性植民者にとって、自分側の『女子ども』(保護の対象)と一緒にされて相手側の『女子ども』(征服の対象)に笑われることは、去勢されるに等しい、けっしてあってはならない最大の屈辱だった」p193と述べている。「コウゴクシンミン朝鮮人)を笑ったコウゴクシンミン(日本人)を、コウゴクシンミン朝鮮人)が笑っていた」というかつての支配被支配の逆転したさまを、朝鮮人の側から、朝鮮人の発音(「朝鮮なまり」)を用いて表現したもので、「日本人も朝鮮人もむりやりごちゃ混ぜにした皇国臣民なる観念的で無内容な人間像そのもののグロテスクさを」、後藤が「皮肉」っているのだとテクストは解説を加える。テクストが家父長制の問題を確かに指摘していることは指摘しておく。このエセーでは主として「フォード・一九二七年」に絞って論じるのは、小林の全作品を論じる場ではなく、あくまで『禁じられた郷愁』を『こわい、こわい』と交差的に論じる戦略にあるからである。もう一つの理由として『小林勝作品集』の第一巻と第三巻は手に入れたものの、このエセーを書いている二〇二〇年三月はコロナウィルスのせいで図書館での他の巻の参照ができないという物理的状況のせいでもある。「フォード・一九二七年」における家父長的表象は「警部補は鼻ひげを蓄えた大男だったが、彼が祭日には、白い柄のサーベルと真白な手袋を着用し、大またで門を出て行く姿はまことに堂々としていた。そして、その後から式のために登校する小学校五年生の息子が、クラスで一番小さな体をのめらせるようにしながら小走りについて行った」p9とあり、いかにも堂々とした家父長にふさわしい人物として父親が語られ、それが小走りに「ついて行」く少年によって強調されている。息子を従えるように歩いて行く父親の姿がここでは印象的である。さらには「毎晩家へ帰ってくると、おやじは家の者とろくに口をきかずに、黙りこくって銃を磨いていた」、家族の者を意に介さないかのような家父長ぶりの父親は、自分にとって大切な銃には「ぼくがそれに手を触れること絶対禁じていた。おやじがいない時にはおふくろが禁じ」て、自分の命令に家族である母親の従う様によって増幅されるし、「二人とも居ない時にはスンギーが絶対に禁じた」と、家族ばかりかもちろん「女中」のスンギーまでが従わされ、その権威の強大さが知れるのである。十歳の「ぼく」の家庭/家族における家父長制はこのように厳格な父親によって象徴され、現代の〈親密圏〉としての家族、父とその他の家族が親しく語り合ったりふざけあったりする現代の家族関係との相違が際立っているばかりか、この相違がテクストでは対照的なトルコ人の父親像として具体化されている。「あなたも乗りませんか?」「何でもありませんでしたよ、ほんの少しのけがです」と親し気にあるいはおどけたように「ぼく」に声をかけるトルコ人の父親。この父親の振る舞いがいっそう「ぼく」の父親の寡黙で威厳ある態度を強調する効果を生んでいるのだ。小林勝のテクストが家父長制について明示的には語っていないとはいえ、その語っていないことと見え隠れに語っていることから家父長制について思考することは不可能ではない。
そこで次に見てみたいのが『こわい、こわい』の「あばた」。「同年代の正規職労働者に比べれば少ない額とはいえ、活動費が毎月支給されていた」P106わたしが「民族組織のイルクン(専従)をやめる決心をした。青年運動の時代から数えれば三十一年。これは人生最後の一大決心だ、と武者震いした」p105。短編「あばた」の冒頭。この決心はいわば〈家族の大国柱〉としての家長の任を放棄することを意味する風にも読めなくもないのだけれども、「わたし」のパートナーの女性がトリプルワークで家計を支えているというテクストの語りの続くのを見ると、そう容易には言えなくなる。「彼女は、今年のはじめから金・土・日の週三日、〈むくげ亭〉という焼肉屋へ夜のパートにでている。昼間は都立学校の社会科非常勤講師としてフルタイムで働く。加えて月に三日ほど、特別支援学校付属の寄宿舎で夜勤もする」。すると、「わたし」は端(はな)から家長ではなかったとも言えようか。ではこの家庭/家族はすでに家父長制を超克しているのだろうか。すくなくとも「あばた」の描く家族/家庭は家父長の解体したというか、家父長制とは無縁の様相を描いていると言えようか。一方で「わたし」の組織のイルクン(専従)の辞職宣言は家父長としてのイルクン(働き手)の辞任宣言というよりは、「わたし」のパートナーへのパラサイト宣言だという風にも読めてしまう。理想を求める男に対し現実の側に立つ女性の「で、どうやって食べていく?」というセリフは深刻でもあるとはいえ、「わたし」の飄々とした述懐や態度がその深刻さを稀釈し、一種のコメディというか、現代の家族/家庭のカリカチュアとして読者を楽しませてくれる(という読み方をしてよいのかどうか)。と同時に家族/家庭がこの社会のシステムである資本主義に侵食されている様相を見ることもできなくはない。霞を食べては生きていけないのだからどうしても貨幣経済に参加し現金収入を得なくではならないし、何らかの報酬を得る仕事に携わらなければ家庭/家族を維持することは不可能だ。するとイルクン(働き手)を辞すこの宣言は資本主義的経済体制からの脱出を意味する勇ましいものなのか。金のために働くのは嫌だ。理想を追いたい。「小説を書きたいんです。書くことを生活の中心にしたいんです」はそれまでの組織のイルクンとしてのそれなりに安定した報酬を得るのではない生き方の宣言なのだ。だがしかし仮にそうだとしてもその裏面にはパートナーの過酷な労働が貼りついている。「わたし」の脱仕事宣言は彼女のトリプルワークの上に成り立つものなのだ。物語は「わたし」が運よく新しい仕事を得ることで決着らしきものが着くように語られ、異なる主題へと遷移して行く(余談めくけれども、「小説を書きたい」ことの結果として短編小説集『こわい、こわい』があるとするなら、結果としての作品集の中に「小説を書きたい」という起源が埋め込まれていることになり、すると『こわい、こわい』(結果/未来)を繙(ひもと)きながら「小説を書きたい」(起源/過去)という一節を読むときすでに結果としての未来から過去の起源を読んでいる、つまりこの過去の起源「小説を書きたい」を読んでいる事態にはすでに未来の結果を含んでいることになる、という時間の嵌入(かんにゅう)あるいは前後関係の転倒状況が読みとれよう)。


パートナーのトリプルワークについてテクストは次のように語る。「子どもたちが高級部に入り、朝鮮大学に進学することになって、大幅に増額した授業料と学費が家計をかなり圧迫していた。長男が朝鮮高級学校の三年に進級し、次男が入学したとき、高校無償化が実施されることになった。それに小躍りしたのもつかのま、朝鮮高級学校はその適応から除外されてしまったのだ」p106。この背景は特筆すべきであろう。二〇一九年八月、朝鮮学校を高校の授業料無償化の対象から除外した国の処分が違法かどうかがを争点にした訴訟で、最高裁(山崎俊充裁判長)は「適法」という判決を下したのには怒りを禁じ得なかった。そもそも二〇一〇年の民主党(当時)政権において授業料の無償化の関連法が施行され、朝鮮学校もその対象となっていたのだけれども、二〇一三年になって第二次安倍政権が朝鮮学校を対象から外したのである。「わたし」の家計の窮状は現今の新自由主義的資本主義システムばかりでなく、日本の在日に対する差別的処遇そのものに起因する面が多いという二重の抑圧の結果であろう。この〈家計の窮状〉という事態は「君が代アリラン」でも反復され、『こわい、こわい』というテクストが歴史的状況の証言となっていることは記憶しておくべきである。
「春江さんの亭主は愛国の志士である」と語り出すのは宗秋月「我が愛する朝鮮の女たち」(1974『宋秋月全集』)p227の一節。「亭主の仕事とは駅前でビラを配る行為であったり、各戸に新聞を届ける仕事であったりしたが、現時代を打開するには草の根運動しか今の所、方が無いから、草たる亭主の熱弁に、春江さんはうなずくのだった」「物質の氾濫する日本で、草が、草たる主体性をものにするのは難しい事だと春江さんは思うのだ」。亭主の「一途な若さに惚れこんだ春江さんは、訪れる人の無い昼間の四畳半で、せっせと針を動かす」。彼女は「洋服加工業者から回して貰った既製服のマトメの仕事で生計を立て」ている。理念のために生きるには現実の側からの支えがないなら不可能だ。これをフェミニスト風に言い換えれば、男の理想の陰に現実の女性の犠牲があると。女性を賃金に換算されない家事労働というシャドウ・ワーク(影の仕事)に追いやることで、そのような家庭の形態を維持することで、男の世界から排除することで、理想に飾られた男の世界が成立してきたということだろうか。資本主義の用語で語れば、女性の賃労働を搾取して男のロマンが織られた、女性に奴隷労働を強いることで男は理想を追うことが出来た、ということだろうか。「シフトしつつある帝国主義的形成体のいまもなお続く物語のうちにあって(中略)、資本主義が現在とりつつある態容のもとにあって、システムを背負っているのは、新しいジェンダー化された〔女性として差異化された〕サバルタン(the new gendered subaltern)なのだ」(『ポストコロニアル理性批判』)p157とスピヴァクは語る。トランスナショナルな金融資本主義、新植民地主義と呼ばれるこの体制はつねにすでに第三世界サバルタンを抑圧し搾取し周辺に追いやるのだ。


『「在日朝鮮人文学史」のために 声なき声のポリフォニー』2014という宋恵媛(ソンヘウォン)の作品は在日朝鮮人文学を日本語作品だけではなく、朝鮮語で書かれた作品をも文学史に取り込もうとする点で意欲的でさえあり、その戦略の効用としてむしろこれまで往々にして無視ないし隠蔽されて来た在日女性の日本語ばかりか朝鮮語での作品を〈文学史〉に登録しようとするところにおいて、この上なく優れた論考となっている。その劈頭に置かれたのが「第一章 源流としての女性文学史――識字・ライティング・文学」であり、その第一節「なぜ女性たちからはじめるのか」の冒頭に近い箇所で、彼女はこう記す。


「解放」後も儒教思想がしぶとく残った在日朝鮮人社会では、男性たちが女性たちの文化的な活動を妨げることがままあった。また男性の書き手たちの活動は、ほぼ例外なくその妻たちの労働に支えられていた。男女の書き手の間に、このような圧倒的な社会的かつ階層的な不均衡が内包されていたことから目を背けるわけにはいくまい。p49


「解放」にカギカッコをつけるのは、本当に解放であったかどうかという疑問のせいである。半島にいようが日本に住まいしていようが、朝鮮人大日本帝国の崩壊ととともに「解放」されたとはお世辞にも言えないだろう。「書き手」に限らず「女性たち」の「圧倒的な社会的かつ階層的な不均衡が」あるからである。第一章の最後の文章はこうだ。在日女性の書かれた作品について述べたあと、

 

そしてその背後には、文字と無縁なまま生涯を終えた女性や、書く時間と場所をどうしても得られなかった女性たちによる、書かれなかった膨大な作品群が横たわっている。
それら不在の作品の存在こそが、在日朝鮮「女性文学」の、そして在日朝鮮人文学の淵源となっているといえるのではないだろうか。p118


 これが「なぜ女性たちからはじめるのか」の答えのようなものだ。ガヤトリ・スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』に応答するように、「書かれなかった膨大な作品群」の語り手たちサバルタンの声を聴こうとする姿勢が際立っている。サバルタンとはスピヴァクの用法では従属させられた者、たとえば被植民者、女性、黒人、労働者を指す。磯貝治良の使う語彙に変換すれば〈民衆〉だということになるだろうか。ここでは「朝鮮半島における植民地支配と南北分断の一世紀の間に、『植民地近代化』を掲げた帝国と植民地支配を受けた朝鮮人家父長との対抗、相克、ねじれた共犯により、性差別も複雑な様相を呈した。『植民地近代化』を享受した一部知識人女性を除く大多数の庶民女性にとっては、過去一世紀は歴史的体験の破片すら残せず、また生きた痕跡を残せたとしても圧倒的な政治力学に歪められ、他者化にさらされたきた」p1と述べる宋連玉の『脱帝国のフェミニズムを求めて 朝鮮女性と植民地主義』2009の言葉を見ても、朝鮮人女性の周辺化他者化とその声をどう聴くかという課題は今なお過去のものでないと言えるだろう。


 ここで再び『禁じられた郷愁』に戻ろう。「フォード・一九二七年」p16。


おだやかな日よりの或る午後だった、春だった、ぼくはオンドルで菓子を食いながら雑誌を読んでいた、(中略)、女中のスンギーがぼくのそばで絵本をめくっていた。
雑誌のどのページからも、硝煙のにおいがたちのぼっていた、この町と地続きの、しかし遥か遠いところで戦争が起こっていた、雑誌の中の絵も文字もそれをぼくに告げていた。p16


 スンギーが「絵本をめくっていた」のは文字が読めないこと識字能力のないことを、ただ絵を眺めてページをめくっているだけなのであることをこの光景は明示的に語っている。この光景の酷薄さは「おだやかな日より」の「春」というテクストの語りによっていっそう強調されるだろう。だから「ぼく」の「読む」のが「雑誌の中の絵」であり、「文字」だということが、ここでは強調されることになるのだ。しかも「ぼく」の「読む」のが「絵も文字も」というのはスンギーの眺める絵の世界をも「ぼく」が領有していることを示唆し、植民地の女性として植民者に雇用される「女中」であり、かつ識字能力を身につける機会を剥奪されたスンギーという植民地の女性の抑圧され周縁化されたあり様だけではなく、それを支配するさままでを過不足なく活写しているということも出来よう。教育を受ける機会を奪われ、酷使されるだけで、スンギーはこの先も語り手となってテクストを生産すること(作家となること)の可能性を徹底して奪われており、このような主体(植民地の女性)を排除することで、植民者の安定した位置(日本人として作家として)の基底を構成する条件となっていることを、いみじくも「フォード・一九二七年」というテクストは語っているのだ。
翻って「あばた」の「わたし」は「妻」をトリプルワークという環境に追いやることで、自身の「書きたい」欲望、「書くことを生活の中心にしたいんです」という自身の〈作家〉という立場を、けっして作家となることがないであろう「妻」によって確立し維持されることになるのだ、というようにも言い得るだろう。トリプルワークはものを書かないことを代償に成立するものであり、ものを書く環境はそのトリプルワークの「妻」と交換(バーター)されるということだろう。とはいえこの自らが語り手となってテクストを生産することの可能性を奪うことで、女性を排除することで、作家としての安定した位置を構成する条件となっていることを示すという見方は、別の見方で見るなら、代議制民主主義の一形態として、票を持つ者(書かない、書けない者)が候補者(書く者、書くことの出来る者)にその一票を投じることであり、票を投じられた者が票を投じて委託した者たちの権利を代行するシステムでもあると言えるだろう。書く者が書かない者に委託されているという限りで、前者は後者に対し責任を負い、書く者としての倫理が求められることになる。換言すれば議員は票を投じた有権者に対して応答責任responsibilityを果たさなければならないのであり、ここではお互いが平等な者として委託する者と委託される者とが互恵的な契約を結んでいるというようにも言えようか。


この観点から『禁じられた郷愁』を見てみよう。一九五〇年代の話として「間借りしていた花園神社近くの屋根裏部屋で、久子夫人が毎日、内職のミシンを踏むほど貧乏であったが〔……〕、若くてやんちゃな小林勝は、わずかな金を握ると例のジュラクで桝の焼酎を飲みながら、大いに文学上の気焔をあげていたのである」という菅原克己の一節が引用されており、続けて原は川崎彰彦を参照し「小林勝は当時日本ではまだあまり一般的ではなかったキムチや焼肉とった朝鮮料理を好んで食べていたという」と述べているp82。パートナーにミシンを踏ませながら自分は酒を飲みつつ文学談議に耽(ふけ)るなんて、お世辞にも褒められたものではない。ここでも「あばた」の「わたし」夫婦と同じ代議制民主主義が機能しているということか。小林勝は書かない者から委託された書く者としての応答責任を果たしていたのか、という問いかけが必至であるとして、注意を喚起しておきたいのが、ここで賭けられている掛け金が、この代議制民主主義を担保するものが、「小説を書きたいんです」や「文学上の気焔」という表象どおり文学であることだ。文学が芸術かどうかという議論はさておき、ユボンがみずらかの音楽上の理念であるパンソリの完成のためにソンファの視力を奪ったことが思い出され、女性が投票し男たちが代表する代議制民主主義という夫婦の関係にはこの文学やパンソリという芸術が超越的価値として君臨し、一見すると不平等な夫婦の関係を担保する絶対的価値として、夫婦間の亀裂や綻(ほころ)びを縫い合わせる〈クッションの綴じ目point de caption〉(後述)ないしはアリバイを提供しているのは指摘しておきたい。
 苦労して料理などを作り奉仕する女性像。続いて『こわい、こわい』を見ながら考えてみよう。


盃に酒をつぎ、香炉のうえで三度廻して供える。箸をトントンと鳴らして祖先に合図し、お供えのご馳走のうえに何度も置き換える。そして朝鮮式の礼をする。親父がやり、俺がやり、最後に女たちがやる朝鮮の儀式……。そのときだけ、俺のルーツは朝鮮なんだな、と意識した。日本人の靖子も結婚してからずっと料理作りを手伝ってくれた。p46


 ここでも男性のあとで「女たち」が礼をする。料理作りを「俺」はやらず妻の靖子が朝鮮の女性たちの調理を「手伝」うという。ここでも男性中心主義的家父長制が顕著だし、「手伝ってくれた」というテクストの語りが靖子をこの儀式(一族/コリアネス)から疎外する徴候を示唆する。ここでは二重の女性への抑圧がある。もっぱら料理を作る存在としての男性中心の共同体から疎外されるコリアンの女性、さらにはそのコリアンからも疎外される靖子。


 チョ・ナムジョ著『82年生まれ、キム・ジヨン』から引いてみる。


「それでも四人も息子を産んだから、こうやって今、息子が用意してくれたあったかいごはんを食べあったかいオンドルでぬくぬくと寝られるんだ。息子は少なくとも四人はいなくちゃね」  
そのあったかいごはんを炊いたのもあったかいオンドルの上に布団を敷いたのも、息子ではなく、嫁でありキム・ジヨン氏の母であるオ・ミスク氏なのだが、祖母はいつもそう言った。p22


 さすがにフェミニストであるチョ・ナムジョは皮肉交じりに書いている。皮肉というよりは、祖母が口癖のように言う「息子が用意してくれた」は事実に反し、「息子ではなく、嫁でありキム・ジヨン氏の母であるオ・ミスク氏なのだ」と語るテクストの語りは痛烈な批判だと評すべきだろう。ここでは女性(祖母)が女性(母)を影に追いやっているのだ。この点も皮肉というよりは悲劇的絶望的な事態であると評すべきなのだろう。チョ・ナムジョはこの件(くだり)でリプロダクション(生殖/出産)のことにも触れている。祖母は「嫁でありキム・ジヨン氏の母であるオ・ミスク氏」にリプロダクションを強要しているのだ、しかも四人も。この小説がキム・ジヨン氏を担当した精神科医の手記という形式をとっているのは留意して好いことだ。


 『禁じられた郷愁』のp72にある以下の一節。成田龍一は「村松武司、森崎和江、小林勝の名をあげ、かれらの特質をこうまとめる」とあるこの「かれら」という語をどう読めばよいかという気になってくる。さらにはp97「女の子の朝鮮語は朝鮮の子どもたちの緊張を解き、かれらがあかるい笑顔で近寄ってくる」にも「かれら」は出て来る。「かれら」は「彼等」の意と読むなら、「彼ら」に女性は含まれるのか。あるいは「かれら」とは英語のTheyの訳語として近代に作られた語であり、Theyが女性男性を問わないように「彼ら」という日本語の代名詞も性別を問わない語として、女性も含まれると見る読み方もある。シニフィアンとしての「かれら」が揺れている。もし明示的に女性をも含む表現を取るなら、二一世紀の文章では〈彼ら/彼女ら〉と記す表記法もあるにはある。英語圏ではMrやMrsではなく性別に中立な敬称としてMx(ミクス)が二〇一五年に『オックスフォード英語辞典』に採用され、さらに2016年には〈They〉がWord of the Yearに選ばれた。このTheyは単数代名詞で、SheやHeに代わりジェンダーを特定しない人を指す。〈They is tall.〉(あの人は背が高い)のような、従来の文法からすれば、連辞関係(主語と述語と)の不一致である文章が書かれることになるほどに二一世紀は性に関する認識が変容して来ている。人類最後の植民地の解放が始まっているのか。スピヴァクの言葉、ある学者の「すべての論考で用いられているほとんどすべての人称代名詞は『彼』である。私は、『彼または彼女』の使用の早急な義務づけを求めているのではない。『彼女』という語がそれらの論考のなかに真剣に導入されるならば、一般的な議論は形を変えざるを得ないだろう」とあるのは『文化としての他者』1987p153である。


  次の一節は一九八五年の指紋押捺拒否闘争の頃の梁容子の文章。


旧態依然とする儒教制度にがんじがらめにされ、家事育児はもちろん、祖先を敬う民族よろしく祭事に追いまくられ、夫の親には孝行を、嫁に行かない女は「人間でないかたわ者」と、民族解放を論じる同じ舌で「人間」から排除。結婚すれば男を生むまで子をはらみ続け、そして家内工業の無償の労働力として働かされる。さらに「女は政治や男の話に口をはさむものではない」と、社会性を持ち男と同じ知的水準を持つことを厳しく封じられる。まったく妻は夫の奴隷なのである。在日朝鮮人の父は日本の下請けを、母は父の奴隷で、奴隷は自分を犠牲にすることによって「家族」が成立しているように、社会全体がこの構造同様に男が女を、女が自分を犠牲にすることを制度やモラルとして強制している。……女に対する非人間的抑圧行為を問題にしないで、「侵略したことのない民族」とか、文化的にすぐれた「誇り」とか言っても、まったく意味のないものである。日本が戸籍にこだわる民族であること、朝鮮人が本貫(ポンガン)という先祖の出身地にこだわる民族とは、どうも似通った血の「同一性」を基点に差別の構造を制度化していると私は考えている。ともに排他的な民族である。……ナショナリズムとは何か。体制が変われば戦争を肯定する思想である。被差別の民族がいつも「正義」の中にいるとは限らない。「指紋」の闘いは、私たち一人ひとりの人間の「自由」と「解放」のあり方をまっこうから論じる闘いであって、「法改正」はあくまで方法論の問題である。「人間」の中に「女」が含まれていくことを当然私はくり返しくり返し提起してゆく。(「働くなかまのブックレット」共同編集委員会編『指紋押捺拒否!--差別・分断・管理の外登法体制』新地平社:傍点原文)

 

 この痛切な叫びにも似た宣言は鄭(チョン)暎(ヨン)惠(ヘ)の名著『〈民が代〉斉唱 アイデンティティ国民国家ジェンダー』からの孫引きである。鄭(チョン)暎(ヨン)惠(ヘ)の名著『〈民が代〉斉唱 アイデンティティ国民国家ジェンダー』からの孫引きである。彼女たちは夫の奴隷となった女性を「従夫慰安婦」とまで呼んでいる。ここで梁容子の言う女性が「奴隷」だという表現は比喩ではないことに注意したい。梁容子の文章は『ひとさし指の自由』1984に、「ひとさし指の自由と女の自由と」p67-74という表題の短い文章が掲載されている。「『夫婦のあらそい』と『強姦』という犯罪とはちがうと考えている人もいるだろう。でも『強姦』は性衝動にかられた行為というより、男の内側につもりつもったコンプレックスがひっくり返って弱い者に向かいあった時に、力と強さを誇示して相手を支配する行為。このパターンはアブノーマルな犯罪ばかりか、日常的に繰り返されているあらそいにも現れている。本質的にはおなじなのだ」。レイプと同じく、夫の妻に対する暴力は「力を誇示して相手を支配する」点で同じなのだと彼女は考える。「男が中心の世界に『人間の自由』はありえない。父に権力が集中している父権制家族制度の実態をそのままにしていたのでは『人間の自由』はありえない」。彼女の思想は「人権はみんながもつものまもるもの」という言葉に尽きるという。「私の幼い頃の記憶は、父の母への暴力に始まる。血走った父の目と、ぐったりのびきった母のボロ雑巾のような肉片。その肉片が『アイゴョ、アイゴョ』と微かな吐息をもらしては生き返ってしまうから、母は毎日殴られ続けたのだと私は今でも想っている」(強調原文)。そんな記憶から梁容子は「なぐられ けられて 母は生きた/鉄の檻の中 母は死んだ」という歌を歌う。「私が二〇歳になった直後、母は力尽き、『うつ病』と診断された後、精神病院に入院して一ヵ月後に病死した。母はアッというまに白い骨になってしまった」。だから「お母さん! あなたのように生きたくない/お母さん! あなたのように生きたくない」と歌う。この歌を聞いた(梁容子は歌うことで、シンガーソングライターとして抵抗を表現していた)「在日朝鮮人の女性」が「この歌はよくない!」、「アボジ(父)は状況が状況だったためにそのようにしか生きられなかった。だから、アボジのことを悪くいうのはよくない」と言い、また「年配の朝鮮人男性」は「わが同胞社会は男が女に甘えている現実がある。女性の強さに支えられている。しかし、男は男で社会的に民族を統一させるために闘ってきた」と言ったという。「『強く、やさしく、たくましい』母性、その理想から母が『おちこぼれ』たといいたいのだろうか。しかし、そんな母性は底辺の女に押しつけられたイメージ。体制を支えるエネルギーの源。こんなイメージに頼っている父権制社会は支配構造の柱そのものなのだ。それなのに活動家でさえこうしたことを問題にしないまま『人間の自由と解放』を訴える」(強調原文)と主張する彼女の言葉は、三十六年後の二〇二〇年には解消されているのだろうか。この年月は無駄に流れていなかっただろうか(梁容子の母親の「母は力尽き、『うつ病』と診断された」から思い出して欲しいのが、『82年生まれ、キム・ジヨン』の形式がキム・ジヨンの治療を担当する精神科医の手記という形式をとっていることだ)。


植民地主義パターナリズム(家父長制)と同根であるように、「現在の政治構造、政治慣習のほとんどが、家父長制にルーツを持っている」(ベティ・リアドン『性差別主義と戦争システム』1985p59)なら、性差別的な家父長制が続く限り、世界の、社会の戦争システムの崩壊することはない。戦争システムの基本にある「もっとも重要な二つの点は、ほとんどの社会では、男性が攻撃的衝動に身を任せることを許しても、女性にはそれは許されず、また勝つためであれば、男性は暴力を容認してまで競争を奨励するものの、女性の競争については、これを阻んでいることであろう」p36という一節は、八〇年代のテクストらしく性を本質化・実体化するニュアンスが感じられるものの、家父長制が〈男らしさ〉や〈女らしさ〉を強制し、このような女性と男性のさまざまな場での役割分担を強固に維持するように機能するエコノミー(機構)であるのを一瞥するだけで、称揚される男性の攻撃性と透明化される女性の服従性が問題となるのは理解できる。「レイプの本質は、力と暴力を使って、あるいは力と暴力で脅して、人もしくは人々に、従属と従順を強いることである。敵や属国民の扱いには、性的攻撃と類似があり、生き延びるための力への服従が、性差別主義と戦争システムを可能ならしめている」p70-71のであり、レイプが「戦争システムの究極的な隠喩であ」p72るというのは至言であろう。このことはレイプと夫の暴力とが「力と強さを誇示して相手を支配する行為」で同じだと見る梁容子の指摘と一致する。もはや古典となったS・ブラウンミラーの『レイプ・踏みにじられた意思』には「強姦とは、すべての男がすべての女を恐怖状態にとどめておくことによって成立する、意識的な威嚇のプロセスにほかならないのだ」p6という警告が読める。家父長制は植民地主義ばかりか、性差別主義と戦争システムに関わるものであり、それは植民地主義が資本主義的な帝国主義として戦争による植民地の拡大を狙うものであるなら、それを性差別主義的な家父長制が支えているのを見るのはそう難しいことではないだろう。
鄭暎惠は梁容子の文章を引用した後、続けて次のように述べる。


いくら帝国主義を打倒するためとはいえ、自らの民族を死守して排他的になるばかりだとしたら、それもまた、民族の解放とはなりえない。差別されることのない、そして差別することこともない民族とは何か。民族差別に反対しながら、女・子どもを抑圧してきた男たちの問題、ばかりではない。こうした民族内の文化・制度・モラルに反対するどころか、逆に内面化し、それらに進んで加担してきた、女たち自身の問題でもある。差別者とは「外部」にだけあるのではない。自分(たち)が自分を差別する――これが最もキツイ差別だろう。p15


 鄭暎惠は家父長制の問題は、夫たる男に固有のものではなく、妻たる女性の問題でもあると議論を進める。「進んで加担してきた、女たち自身の問題」だというのは、家父長制維持のために夫の跡取りたる男の子を産むだけの存在と見なされて来た女性も、息子が家長になれば、息子を操る「影の実力者」として家父長制の恩恵を受けることが分かっているから、儒教的家父長制に徹底して反抗しなかったという旨のことを述べていた。朝鮮の女性が、「影の実力者」となるまではと家父長制下の自己の貶められた位置を分かっていて我慢し耐えていたとするなら、まだ十分に家父長制を内面化していないのかも知れないけれども、我慢し耐えていること自体を女の(妻の)美徳として生きていたのなら、それこそ完璧な内面化だと言えるだろう。幾重にも影のベールで被われた女性たちは二一世紀の「あばた」の世界まで延々とつながっている。
 男性中心主義的家父長制に汚染された日本語を用いることは必然的に女性を貶めることになるのだろうか。日本語が男性中心的家父長制に汚染されているのは、例えば英語のsiblingはsisterとbrotherの上位概念として、性別を問わない「きょうだい」を意味する。しかし日本語にはsiblingに相当する語彙はなく、男の「きょうだい」を意味する「兄弟」が「きょうだい」として充てられている。「きょうだいはいますか?」と女性に問いかける時には「きょうだい」の謂いである。男同士の「兄弟」が「きょうだい」としてsiblingの意味に使われるのだ。これはその一端であり、他にも「嫁」や「姑」という漢字は「家」に添えられた「女」だし、「古い」「女」が「姑」であり、「俺」「僕」「わし」vs.「うち」「あたし」というジェンダー化された一人称を持つという、極めて差別的傾向の強い言語としてある日本語の性向が指摘されよう。ではこの日本語の中で他者としての女性は自己を疎外するしかないのか、自らを自らとして語り得る道は閉ざされているのか、という疑問も生じる。ハングルを学べばこの隘路から脱出できるというのか? 〈朝鮮人〉としての〈主体〉を確立できるのか? 
女性性を疎外する言語でいかに女性性を表象するかというのは何を意味するのか? 第二期フェミニズムの代表的旗手の一人エレーヌ・シクスーの『メドゥーサの笑い』1975の一節。「エクリチュールの歴史のほとんどすべては理性の歴史と混じり合っていて、前者はまた後者の結果であり、後者を支えるものであり、後者の特権的口実の一つです。エクリチュールの歴史は男根中心的伝統と同質でした。というより、自らを眺め、享楽し、祝福する男根中心主義でさえあるのです」とエクリチュールという書かれたものの男根ロゴス中心主義(ファロゴセントリズム)を論じる彼女は、また「このエクリチュールという場は愚劣にも、性的対立(差異ではない)のあらゆるしるしをもたらし、その場で女性は一度も自分の言葉(パロール)を持ったことがなかったのです。このことはまさに、エクリチュールが変化の可能性そのものであり、破壊的思考が噴出しうる空間であり、社会・文化構造の変革の先駆的運動であるゆえに、一層重大で許しがたいことなのです」と批判する(強調原文)。書かれた文章だけではなく話し言葉も男根ロゴス中心主義(ファロゴセントリズム)を免れないとすれば、どこに〈女の言葉〉があるというのか、とシクス―は訴える。またリュース・イリガライは『ひとつではない女の性』1977で、男性であれ女性であれ、その性器に対するフロイトの思考はそれ自体が男性的であり、ヴァギナはペニスが挿入される受動的なものとして、クリトリスもペニスの陰画としてしか理解されていないと批判する。「絶え間なく口づけしあっている二つの唇で出来ている」女性器にとってペニスの挿入は、女性器にとっての暴力なのだ。また言説の体制そのものが男性的であるなら、女性が話すことは必然的に男性的体系への従属になるから、そうでない語り方、「女性的に語る」語り方を志向するとしても、基準となる一つの性に基づきその性の欠如態や陰画としてもう一つの性を語ることとなり、それは支配的な存在への従属という男根ロゴス中心主義(ファロゴセントリズム)の論理に絡めとられることになるだけであると主張する。第二期フェミニズムはこうして言語の中にある男性中心主義を剔抉し批判してきた。ただ補足しておくなら第二期フェミニズムが主として白人女性の解放を主張するものだとして、黒人女性などの有色人種を排除する傾向の強いものものであったし、また「女性」を本質主義的に捉える傾向の強かったところからいわゆる第三期フェミニズムないしポストフェミニズムと呼ばれる運動が起こったのだった。


男性は女性の語りから、女性性を読み取る闘いを試みなければならないのか? 女性性はどのように立ち上げられるのか? 男性性はいかに立ち上げられるのか? というのももし日本語が男性中心主義的家父長制に汚染されているのなら、女性ばかりか男性もその制度に汚染された自己を立ち上げることになるからだ。つまるところそれは、男性中心主義的家父長制言語により女性性をどのように表象するか、(経済)植民地主義的日本語によりいかにKoeranness(コリアンネス)/朝鮮(人)性を表象するかという問いは、私たちをどこに導くのか。


話はそれるようだがジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』1990はどう語っているか。


そもそも「セックス」とはいったい何だろうか。それは自然なのか、解剖学上のものなのか、染色体なのか、ホルモンなのか。(中略)セックスの自然な事実のように見えているものは、じつはそれとはべつの政治的、社会的な利害に寄与するために、さまざまな科学的言説によって言説上、作り上げられたものにすぎないのではないか。(中略)おそらく「セックス」と呼ばれるこの構築物こそ、ジェンダーと同様に、社会的に構築されたものである。実際おそらくセックスは、つねにジェンダーなのだ」 p 28-29。


これまでの常識では、またフェミニズムの歴史においても、解剖学的な「セックス(性)」というのは自明のもので疑いを容れない本質的なものとして捉えられ、その上にジェンダー(男/女あるいは女らしさ/男らしさなど)があるとされてきたが、バトラーはそれを革命的に転換する。「実際おそらくセックスは、つねにジェンダーなのだ」と。ジェンダーを自然なもの当然のものとして主張する根拠としてこれまで持ち出されて来たのが解剖学的な「セックス(性)」であったが、その解剖学的な「セックス(性)」も「自然な事実」ではなく、「社会的に構築されたもの」なのだと主張する。「セックス(性)」はつねにすでにジェンダー化されている。この書は、同性愛者などの〈性的マイノリティ〉を思想的に位置づけることで、フェミニズムを女性の権利拡張から〈性的マイノリティ〉の権利主張へと拡張し、その後のLGBTQ(レズビアン・ゲイ・バイセクシャルトランスジェンダー・クイア。クイアとは変態の意。差別用語であるこの語を、そう名指される人たちが逆にその意義を戦略的本質主義として強調することでその逆転を図ったのだ。)の運動への道をも開くことになった。こうしてフェミニズムは今や世界のあらゆる性的マイノリティの権利を擁護しそのために闘う思想へと転換変貌したと言えよう。彼女はその後、主体が立ち上げられる際にどのように〈性的な主体〉となるかを、主にフーコーを論じつつ思考している。現在までの彼女の全貌は藤高和輝『ジュディス・バトラー 生と哲学を賭けた闘い』2018に詳しい。バトラーについては自身がレズビアンであることを公言し、積極的に政治活動に関わっているのも忘れないでいたい。バトラーにとっても哲学は自身が生き延びるための営みであり、机上の楼閣でもアカデミズムに縁どられた学問に収まり切るたぐいなどではないのである。


植民地主義を糾弾するテクストが家父長制/パターナリズムを問題にしないのはなぜだろうか。家父長制とは父親が子どもに向かって「お前のためだから」と宣(のたま)い子どもを強制的に自己の管理下に治める支配のあり様を言い当てる語だ。自分より考え(知性)や経験が足らないのが子どもなのだからとして、父親の価値観や思考法や生き方に子どもである彼ら彼女らを無理やり父である自分に従わせるのである。こう記してみると植民地化の正当性の根拠として提示されていた、進んだ文化を持つ国家が遅れた民を教化するという言説が家父長制の思考法といかに近似的かがわかりはしないか。朝鮮を文明の遅れた国として表象し優れた日本帝国が保護し嚮導(きょうどう)するのだ、それが朝鮮の人々のためになるのだ。西洋列強がアジアやアフリカ、それに南米を植民地化する際に用いられたロジックは文化帝国主義とも呼ばれている。原佑介の『禁じられた郷愁』のあとがきの一節「『文明化の使命』といううさんくさい美辞麗句に酔い、とてつもない規模の暴力、そして他者やその文化に対する冒涜的な蔑視を正当化するという倒錯的な『非文明化』の泥沼にはまりこんでしまった世界中の旧植民地宗主国の人間のひとりとして、その『もろもろの隠された本能を、貪欲を、暴力を、人種的憎悪を、倫理的二面性を』仮借なく凝視したのが小林勝であった」p398。またそれは「無知と迷妄の闇のなかでうめく蒙昧な民に文明の福音を告げ知らせる神聖な責務が課せられている、という誇大妄想」p145なのだと批判している。文明化の使命はまさに錦の御旗であった。植民地主義と家父長制が同根の、知の優位を標榜することで劣った者を支配する権力のエコノミー(機制)であるなら、植民地主義を批判する以上は必然的に家父長制批判に行きつくはずである。いや植民地批判は家父長制批判と並行して行うべきだということか。そして家父長制は子どもばかり〈女性〉を〈男性〉より劣った存在として子どもたちと同じように父の法の支配下におくものだ。「女性は人類最後の植民地である」とフェミニズムは宣言する。
 アン・ローラ・ストーラーは「植民地研究においてジェンダーをとおして考えること」という見出しのもとで、次のように語る。


ジェンダーと帝国の研究が説得力をもって明らかにしてきたのは、ジェンダーが規制され、性が監視され、人種が管理されるなかで、植民地国家の鍵となる象徴が確保されるということである。「家庭生活」、「文明化の使命」、自由主義的家父長主義といったものはすべてジェンダー的含意を与えられているという昔からの主張を近年の研究は再び重視している。帝国を分析する用語はもはや力強さや男らしさではなく、女性と男性を異なった位置に置く同情、従順、強制の政治学を生みだす包摂と競合のジェンダー化された連関である。
    政治的なものを明示するメタファーや幻想の源としての家族の領域をわれわれが扱ってきただけではない。私的な感情と公的な政策が植民地において結びついていたのは、(中略)家族関係が政治的語りに言葉を提供したばかりでなく、家族が「政治的経験を組織する一種の政治以前の範疇」であったばかりでもない。家庭内の家族的な親密さそれ自体が人種の所属をはっきりとさせる重要な政治的な場であったためである。p257-258


 引用の始めの段落で「『家庭生活』、『文明化の使命』、自由主義的家父長主義」と並記されていることに注意して欲しい。これらが「すべてジェンダー的含意を与えられている」とはジェンダーの問題と不可分であることが主張されているのだ。後の段落は「お父さんは我が家の天皇陛下、お母さんは我が家の皇后陛下」というクリシェを想起させるのはさておき、ストーラーが「家庭内の家族的な親密さ」が人種(民族)の「所属をはっきりとさせる重要な政治的場」だというのは、たとえば民族の属性がちょっとした日常の立ち居振る舞いや言葉遣いの規律・訓練によって決定されるのであり、その限りで極めて「政治的な場」であることを強調しているのだ。立膝をして座るか正座するか、箸のみで食べるかスッカラと一緒に使うか等。家庭や家族という〈親密圏〉がその外部の社会の政治的場という〈公共圏〉や〈公共性〉に属するものでもあるということであり、家庭や家族が権力に対する砦となり得ると同時にヘゲモニー闘争の場でもあるということだ。スンギーが「女中」だというのは危険な徴候である。というのも「女中」が植民者が快適な生活を送るためには必須の人間だとしても家庭に入り込み植民者の家族の日本人としての〈純粋性〉を侵食しかねないアンビヴァレントな存在だからだ。「ぼく」がスンギーとの間に〈親密圏〉を作り上げていないことは、彼女のその少ないセリフが暗示している。彼女のセリフは父の猟銃をさわった折りに、「だめです(中略)、もしさわったら、いいつけるから」と、その彼女の言に従わない「ぼく」に「おくさん、あたしをやめさせます」の二か所でしかない。しかも再会のシーンでも彼女は無言を強いられているかのように、一言も言葉を声を発したとはテクストは語らない。「ぼくは、スンギーの家の縁側に腰かけてスンギーと話をしたのだ」と語るばかりでスンギーの声は聞こえないのである。「ぼく」とスンギーとは「所属をはっきりとさせる重要な政治的場」であるのに、二人の一向に〈親密圏〉を構成しない関係としてテクストは語っている。テクストは周到にスンギーを語ることの出来ない、声をあげないサバルタンであるかのような表象によって、植民者と被植民者との関係を具体的に示していると言えよう。


 フェミニズム。それは単に女性(煩わしいので〈 〉をいちいちつけないが、女性や男性という語を実体論的、本質主義的な意味で用いていないことを了承されたい)の権利拡張や男女平等を謳うだけの主張では、ましてや女性に固有のものでもない。人権の思想であることの意味は、〈性別〉を問わず(いや問うべきなのは性の二分割、二項対立という伝統的ないしは近代的な分類なのだが)現代の人間に必須の倫理の思想であることを意味する。ポスト・フェミニズムの時代と呼ばれる二一世紀の現代にあって、ひとまずは性にまつわるあらゆる権力構造を剔抉(てっけつ)し批判するものであり、具体的にはジェンダーセクシュアリティ、リプロダクションといった三つの領野の権力構造を問題化するものであると言えよう(大越愛子『フェミニズム入門』ちくま新書1996を参照されたい。ちなみに彼女は「日本の文化の中に構造化されている女性蔑視体制を反映している」のが「慰安婦」という表象であり、「強姦を和姦にすり替え」ており、「慰安」の語が「男性が女性を強姦するんだけれども」「男性の弱さが女性の肉体、身体での慰安を要求して、それに包み込まれることで、ようやく男性が救われるという物語にすり替えられ」ていて、それこそが「日本仏教の性的救済の構図」だと指摘している。『現代思想』一九九七年九月号vol.25-10「ジエンダーと戦争責任」)。リプロダクションとは再生産つまり出産や生殖のこと、女性の身体を女性のものとして産む産まないを決めるのは当事者としての女性の権利に属すると主張することであり、他者の容喙(ようかい)するべきものではないことを言うばかりか、さらには産む性として女性を表現し強調することは産まない女性や産めない女性、さらには同性婚の否定・抑圧につながることを顕在化させるのだ。ジェンダー概念によって、女性や男性という存在が決して生来のものではなく、後天的に構築されるものであり、〈性自認〉が生物的ないし解剖学的性とことなることもあるのが明らかになる。トランスジェンダーとは、例えば解剖学的性では女性であっても男性であると〈性自認〉する者のことであり、その逆も然り。トランスジェンダーと対になるトランスではない男女をシスジェンダーと呼ぶ。trans(向こうに)に対するcis(こちらに)である。セクシュアリティはゲイつまり同性愛とかに顕著な性的(セクシャル)指向(オリエンテーション)の問題であり、性愛の対象として異性を選ぶか同性を選ぶかの問題を焦点化するものだ。MTF(Male to Female男性から女性へのトランスジェンダー)やFTM(女性から男性へ)が男性を性的指向の対象として選ぶとき、これは異性愛なのか同性愛なのか。いや異性愛と同性愛という二分法で人間の性愛を把握すること自体の無効化が、男/女の二項対立的思考の無効化同様に露わにならないだろうか。
 強固な性別二元論の社会体制ということでは、履歴書をはじめあらゆる身分証明の欄に「性別」の項があり、それはFaceBookの登録にさえついて回るのだけれども、アメリカの履歴書では以下の項目の情報を含めてはならないとされる。① 写真、② 生年月日、③ 家族構成、④ 性別は不要であり、これらを雇用者が採用の基準にするのは違法である(もちろんこのような情報について面接で話題にするのもご法度である)とされている。写真は人種(白人か、ヒスパニック系か、アフリカ系など)を顕わに示すし、年齢については日本では相変わらず募集要項に「六〇歳くらいまで」とか、年齢差別が平然と行われている。採用されるのは個人であり、家族は関係ないというのは常識であろうけれども、④の「性別」は日本ではまだまだ性別を問うのが一般的であるのは、人権後進国と言われる所以であるだろう。日本の履歴書はせいぜい③の「家族構成」をクリアしているだけで、他の情報はいまだに必須とされているのは驚くべきことなのではないだろうか。


 二〇一九年七月の「読む会」の二次会で、前に座っていた学生が、「韓国のフェミニズムイデオロギーとなっている」と苦々しい口調で語っているのを漏れ聞いた。「イデオロギーに過ぎない」と断罪することで一蹴するのはフェミニズムを学ぼうとしない、クリスティヴァ流に言うなら〈おぞましいものabjection〉(主体の維持と他者との境界画定のために排除すべきものを棄却する作用)として遠ざけ棄却する(『恐怖の権力』1980)、さらにはフロイト流に棄却しても憑(と)りついて来る(フロイト「不気味なもの」。馴染みのあるもので、意識下に抑圧されていたものが、再び現れたのが不気味なもの。)、ある意味で典型的な男性の神経症的語りなのである(もっともフロイト精神分析自体が、第一波フェミニズムに抗する男性側の学問だと主張されているが)。フェミニズムとは何よりも人権(ヒューマンライツ)の思想(であり生きる哲学であり倫理の要請)なのだ。だからフェミニズが性にまつわるあらゆる権力構造を批判する以上、その最も突出した関係であるカップル・夫婦を焦点化し、同じく家族/家庭が俎上(そじょう)に上げられることになる。
 一九八五年(この年は梁容子の「ひとさし指の自由と女の自由と」を含む『ひとさし指の自由』の刊行の翌年に当たる)に発表された金石範「これでもフェミニズムニスト願望」(『転向と親日派』1993)の「共有すべきものとしての文化のなかで共存して来、オス、メスの異性でありながら“人間”という文化の橋渡しがあるものだから、自然性のオス、メスに還元することなどもはやできない。つまり人間は自然体であるが同時にすでに自然体ではないのである」という一節はこの時期としてはなかなかの慧眼であろう。だが男性中心の世界を描く自作についての弁明として「まずは男性優位の社会なので、政治、経済、文化その他のイデオロギー、そして人間の行動原理といったものが男のなかに集約的に現れるということがあって、戦争にしてもそうだが、男の存在が歴史を基本的に動かしてきたといえるだろう。つまりここでは女は落ちこぼれ的存在でしかない。女が歴史を動かし人間の営みを支えるのは陰の部分、裏側でということになる」に至ってはどうだろうか。自分が男性中心の物語を書くのは世界が男性中心だからであり、女性は「陰の」世界の住人だと言い放つとき、彼は男性中心主義社会を解体しようという意志の欠如を表明し、さらにはその男性中心主義社会をそのまま描くことでその社会をより強固にする効果を助長することに加担している、そのことに無頓着である以上に、女性を影の世界に追いやっているのは誰かという自省の欠如を示している。彼の考える「フェミニズム願望」とはその程度のものなのだということか。


「陰の」存在という言葉はイヴァン・イリイチの『シャドウ・ワーク』1981を想起させる。イリイチは産業資本主義の社会において家庭の主婦の営みに代表されるような無報酬の仕事を指すのにこの「シャドウ・ワーク」という語を用いた。お金を稼がない、対価としての貨幣収入をもたらさない仕事、それはなるほど資本主義社会においては仕事の範疇に入らない影法師の営みだとされても不思議ではない。さきほどの短編「あばた」に戻ると、かつては無報酬の家事労働を受け持つ仕事がシャドウ・ワークと呼ばれたが、新自由主義の跋扈する二一世紀では〈夫婦共働き〉が一般化し、女性もシャドウ(影)でない賃労働をする家族/家庭が多くなっていて、「わたし」のためにトリプルワークをするのは、宗秋月の作品にあったように男の運動のために女性の労働が過重に課される事態は、換言すれば、たとえば政治的活動という影でない世界、たとえその政治理念が女性の共有し得るものであるとしても、その男の理念のために、再度女性が影の世界に追いやられることを意味しないとは言えないだろう。新自由主義というグローバルな資本の活動が再び女性をより過酷な影の世界に追い込んでいるのはスピヴァクの指摘どおりなのだ。


尹(ユン)健次(コンチャ)の『思想体験の交錯』2008 p399-403を見てみよう。「女性国際戦犯法廷の判決はジェンダーの視点に貫かれたものだというとき、日本のジェンダー思想がポストコロニアリズム(脱植民地主義)と関わりをもつものであったことが分かる。ただ私の見たところ、その後、日本のジェンダー思想がポストコロニアリズムの課題を深く議論していったかどうかは疑問である。その点では、韓国のジェンダー思想がより真剣にポストコロニアリズムの課題に挑戦していったといえる、というよりは、韓国フェミニズムの理論研究ないし運動自体、最初から社会に根づいたままの植民地性と格闘する使命を帯びたものであり、その流れのなかで新たに受容されはじめたジェンダー思想も、植民地支配の残滓を生産することに大きな力点をおくものとなった」とここまでの指摘は概ね首肯できよう。ただ少しだけ保留しておきたいのは「日本のジェンダー思想がポストコロニアリズムの課題を深く議論していったかどうか」と疑念を表明している点、もしたとえば翻訳も深い「議論」の一つであると見なすなら、ストーラーをはじめスピヴァクやバトラー、レイ・チョウ等の翻訳の仕事は「ポストコロニアリズムの課題」に向けての大きな展開であったとも考えられるし、これもたとえば藤目ゆき『女性史からみた岩国米軍基地―広島湾の軍事化と性暴力』2010をはじめとして少なからざる研究のあることは付け加えておきたい。続けて「その場合、韓国では『ジェンダー民族主義を乗り越えられるか』という言葉に象徴されるように、韓国近現代史を貫通する民族主義と対決する思想として少なからず位置づけられるようになったと言える」。ここなのである「ジェンダー民族主義を乗り越えられるかという言葉」を「韓国近現代史を貫通する民族主義と対決する思想として」位置づけてしまう点である。続けて尹は言う。「その代表的な著作はアメリカの大学に在籍する韓国人女性が主に分担執筆した『危険な女性――ジェンダーと韓国の民族主義』(サミン、二〇〇一年)である」。「その核心的な論点は、韓国の民族主義は、実際には帝国主義と“共謀”して韓国女性を抑圧し、性搾取/支配を持続させる”内部“の構造を隠蔽するのに大きな役割を果たしたということである。西欧諸国が自身を男性性で構築して非西欧を女性として他者化したように、植民地男性もそうした帝国主義的男性性を内面化することによって、”民族“を防御する一方、植民地女性を抑圧する。しかも植民地男性は自身の男性性をまともに守れないことからくる怒りを女性に投射する。つまり女性は民族的殉教ないしは羞恥の象徴として隠喩されながら、植民地男性の自尊心を刺激することになる。そこからも、この『危険な女性』は、植民地主義民族主義運動のなかで作り出されてきた、巧妙な差別と排除の韓国的メカニズムに対する解剖学である(『ハンギョレ21』第三八九号、二〇〇一・一二・二七)と」。「ハンギョレ」の(大雑把な)摘要に依拠して『危険な女性』の論的を指摘したあと、尹は語る。「まことに厳しい主張であるが、私自身はこうした意見に一部納得できても、ジェンダー民族主義ないしナショナリズムを対立構造のなかでのみ見ようとすることには賛成できない。日本軍性奴隷(「慰安婦」)の問題を考えるのに、こうした主張が部分的に当てはまるとしても、植民地支配、軍事独裁支配、日本の排外的差別などと身をもって闘ってきた韓国(朝鮮)および在日の女性が民族主義と敵対的な関係だったとはとても思えないからである」。まず『危険な女性』が民族主義と対決する思想を語るものであったとしてもそれは韓国(朝鮮)のナショナリズムに巣食う度し難い女性の抑圧構造に対してなのであり、けっして「対立構造」を唱えるものではないことだ。端的に言えば韓国(朝鮮)のナショナリズムフェミニズムの視点から読み直そうとするものなのである。尹は両者フェミニズム民族主義とを「対立構造のなかで見ようとする」ものと規定し、そのことだけに注目し、そしてそれを否定する。しかし根底からずれていないか。ここにもフェミニズムを否定せんがために自身に都合の好いように『危険な女性』の思想を意識的にずらしてしまう現象を見ることができよう。実際に英語版”Dangerous Women”(1998)を見てみると、編者の一人であるElaine H. Kimの論文(第四章)“Men’s Talk: A Korean American View of South Korean Constructions of Women, Gender and Masculinity”だけをとっても、そこでは韓国に散在する米軍基地の周辺の性産業に対する批判、植民地支配下において強制的に集められたにしろ、米国の新植民地状態の中で経済的事情から新たに就業させられることになったにしろ、韓国人女性が韓国と日本ないし米国との管理下で身体的にかつ経済的に搾取され抑圧されていることが問題となっている。もう一人の編者Chungmoo Choiは第二章で、韓国の文化的産物の多くが、女性の貞操や純潔と男性のhyper-masculinity(超男性性)をセットにしていること、また女性の身体が、白人女性の身体を特権化した大都市の男性の視線に提供されていることを論じている。このように『危険な女性』の論点は単にナショナリズムフェミニズムとを「対立構造のなかでみようとする」単純な視点にあるのではなく、韓国のナショナリズムが抱え持つ女性に対する抑圧や差別を社会的歴史的な相の下で明示化し、あるいは男性の masculism(マスキュリズム)(男性中心主義:フェミニズムの対義語)が日本による植民地時代からいかにナショナリズムを口実に女性を周辺に追いやって来たかを、帝国主義や資本主義そして米国による新植民地主義、さらには文化や都市化との関わりの中で分析することにある。


 わずか数ページしか割(さ)かず、しかも否定的にしか論じないところに男性のフェミニズムに対する神経症的語りの兆候を読むのは誤っているだろうか。金石範と尹健次の作品については単行本化されたものはほとんど読んでいるし、その業績に対する敬意は言うまでもないことは断っておく。彼らの業績や思想に敬意は抱くのは言うまでもないとして、しかしフェミニズムの視点の欠如(でなければ低評価)に目を向けたいのである。『危険な女性』と同じ立場に立つ金富子は、1990年代の韓国で「慰安婦問題」が浮上したとき、「ジェンダーや階級の視点を内包しながら民族支配の一環としての性搾取制度である植民地公娼制度を批判した当時のナショナリズムは正当であったにせよ、その民族主義的な言説それ自体が在来社会の男性中心的『性倫理』を前提に女性排除的に構築されていた点は免れえない」と『継続する植民地主義』で述べたあと、以下のようにまとめている。


重要なことは、「慰安婦」問題や公娼制度を、ナショナリズム、階級、ジェンダーなどによるそれぞれ一元的な分析や、あるいは「民族/ジェンダー」などという二項対立的な視点・認識枠組みに回収されずに、「主体を様々な権力関係の交錯する場として複合的にとらえる」「批判的フェミニズムの視点」に立つことであり、それら相互の輻輳性のありようを具体的に分析して提示することである。p183


 『危険な女性』も『継続する植民地主義』の副題「ジェンダー/民族/人種/階級」の示すように、ジェンダー民族主義の二項対立だけではなく、「人種」や「階級」すなわち資本主義、そして社会や文化形態との関わりにも踏み込んでいるのは、KimやChoiの論文を見るだけでも容易に察せられ、二一世紀のフェミニズムの業績を少しでも齧るなら現代のフェミニズムの志向するところが容易に理解できるだろう。
 かつて閣僚を男女同数にしたカナダのトルドー首相は、その理由を問われ「二〇一五年だから!」と答えた。だが翻ってこの日本を見るに、女性閣僚はわずか(第四次安倍内閣では改造前の一人から二人だけ)であり、クォーター制(政治の世界、例えば国会から地方自治体の議会や公的機関までの男女同数比を唱えるもの)など一顧だにされない。もっとも女性議員といっても戦争を崇高な宗教的行事だと主張する稲田朋美在特会デモに参加する片山さつきや同性愛者を「非生産的」と貶(おとし)めた杉田水脈(みお)などでは困ったものだが。日本のジェンダーギャップ、男女格差が世界で過去最低の百二十一位という二〇一九年の記事を見るにつけ、男尊女卑の趨勢は目を覆わんばかりではないか。付け加えておきたいのキムフナの『在日朝鮮人性文学論』2004や「在日女性文学」を標榜する『地に舟をこげ』2006-2012が対象にしているのは解剖学的な意味での女性であって、フェミニズムの視点の稀薄なのが思い出される。女性の書くものがフェミニストのそれなのではなく、フェミニスト思考のテクストが求められるのではないだろうかと思うにつけ残念でならない。
トルドーでなくても、この時代ほどフェミニズム的価値の問われる時代はない。というかようやく世界がフェミニズムの重要性に気づいて来た、というべきか。しかし、日本における#Me Too運動が総じて低調であり、ブルームバーグニュース(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-04-05/P6P0WY6K50XS01)は二〇一八年四月に「日本と対照的、「#MeToo」盛り上がる韓国-セクハラ告発続く」と題し、「セクハラ被害を訴える「#MeToo」(「私も」の意味 )運動が韓国で急速に広がっている。女性の職場環境が世界で最悪な国の一つと言われる同国で、女性から過去2カ月に告発を受けた人物は著名政治家や俳優、文化人ら多数に上り、1960年代に米国で盛り上がったような女性解放運動を巻き起こしている。/運動は1月下旬に、女性検事がテレビインタビューで幹部からのセクハラ被害を暴露してから広がりを見せた。その後、将来の大統領候補と目された安(アン)熙(ヒ)正(ジョン)氏が、秘書への性的暴行疑惑で忠清南道知事を辞任。また、ノーベル文学賞候補にたびたび挙がる詩人の高銀(コウン)氏は、女性詩人へのセクハラ疑惑を受けて作品が教科書から削除された。両氏とも女性側の主張を否定している」と伝えている。また文在寅大統領は運動に対し二〇一八年二月に、この運動を「積極的に支持をする」旨の発言をしており、積極的な性差別根絶対策と性犯罪の捜査の指示を出し、学校(小学校から高等学校まで)における「フェミニズム教育の義務化」までを実施するようだ。


 日本において♯Me Too運動の盛り上がらない理由は幾つも考えられようけれども、その一つに天皇制の存続があげられるかも知れない。女性天皇を認めない現今の天皇制は男系中心の世襲であり、女性はお飾りである。こんな制度がある限り、日本社会に♯Me Too運動は活発にならないし、フェミニスト思考はいつまでも受容されることもないと暗澹たる気持ちにならざるを得ない(〈現代〉という〈時代〉も、言説界におけるフェミニズムの活動が盛んに行われているのに、それをほとんど無視し浸透しないこの現代日本社会のあり様を鑑みると、〈時代〉という語義の曖昧さも際立って来る。この時代、というのはいったどのように見れば好いだろうか。)。戸籍制度も然り、戸主という男性を中心とする家族制度が男性中心主義を助長しているのは言うまでもないだろう。この戸籍制度についてソニア・リャンは言う。最終的には被差別部落の人たちを含むすべての人が平民と名づけられるようになったものの、「ひとり天皇だけは超法的存在としてとどまった。そのため、たとえば、すべての平民が苗字をもつに至ったのに対し、天皇家の人びとは今日もなお、苗字も戸籍ももたない。戸籍は単に頭数を数えるという機能的な目的で確立されたものではなく、皇民=赤子たる存在としての確かな証であった。つまり日本人はすべて天皇の子どもなのである。このように戸籍は、一義的にはいイデオロギーと宗教的意味を担うものであり、同時に、天皇という大家族の一員たる証なのである」(『コリアン・ディアスポラ 在日朝鮮人アイデンティティ』2005p38-39)。日本人の家族なるものはそれを内に含む天皇家という大家族制に支えられている、ないしはその大家族の一員として天皇制を支えているということではないだろうか。〈生まれつき尊いお方〉は〈生まれつき尊くない人たち〉を構成的外部とする、つまり後者を排除する形で前者が成立させられており、尊い/尊くないという階層化が差別の根源である以上、天皇制とは差別のエコノミーそのものであり、その天皇家が男系の世襲である以上男性中心主義として女性を排除周辺化するシステムでもあり、このことは私たち市民の家族もまた差別主義的な女性嫌悪(ミソジニ)をその起源から内包しているということでもある。


 ソニヤ・リャンの論文「刻印された(男たちの)身体、声なき(女たちの)ことば」からこのエセーに関わる要旨を記してみると、朝鮮人の強制連行といえば朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』1965が思い浮かび、朴たちの収集した強制連行(徴用工)された男性たちの証言は、経験をさまざまな肉体的苦痛とともに語るが、この身体的苦痛が朝鮮民族全体としての政治的な体験へと「作り変えられていく」と彼女は語る。ところが「一九九〇年代初めに在日朝鮮人を対象に社会人類学的な調査を行」った際、多くの在日一世の女性の語りに触れる機会があり、彼女たちの多くが日本に移り住むことになった主たる原因として強制連行をあげるのだけれども、詳しく調査するならすべてが強制連行に関連するものではなかったのだ。だから「これらの女性たちの強制連行に関する矛盾した陳述は、他者――自身の夫も含む――の過去にかんする言説からの『借り物』の結果ではないか」p74と訝(いぶか)る。「この借り物が日本に住む朝鮮人の集合体という名のもと、彼女たちの個人としての経験を沈黙のうちに葬ってしまっているのではないだろうか」。在日朝鮮人たちの在日たる所以の出発点として強制連行という出来事を定位するのは、「その抑圧と暴力ゆえに」日本帝国主義やその植民地支配を糾弾し得る、極めて正当なものであり妥当なものだとされるものの、そこで「周辺化されるものは何なのか」とリャンは問いかける。


彼女たちはみな、その程度と形態は異なるものの、さまざまな搾取に直面し、植民という現実に晒された。これらの点を留意したうえで強制連行の犠牲者が圧倒的に男性たちの体験を思い浮かべるというのは、控えめに言っても不自然である。それはあたかも、彼女たちが自らの「植民地過去」を回想するに際して、男性たちの政治的言語を与えられているようなものだ。このことは事実上、彼女たち自身の体験を、忘れ去られ、振り返られることのない周辺へと押しやることになるのである」p76。


 ここでも男性の言葉が女性を周辺へと追いやり不可視化する機制が見てとれるだろう。男性たちの強制連行に対置されるのが女性の強制連行としての「従軍慰安婦」(日本軍性奴隷)だろう。男性の強制連行が一九六五年に朴慶植によって問題化されたのに、「慰安婦問題」が九〇年代初めまで待たねばならなかったのか、このタイムラグは何を意味するのか、とリャンは続ける。それは、国家中心的な論議が植民地関連分野を支配し、ジェンダーにかんする問題はまったく無視されるか、そうでなくても、二次的な問題に追いやられていたからではなかったのか? それは元「慰安婦」が、かつての植民者と被植民者のいずれの政府――男女を問わず――からも、このうえなく汚い過去を担う存在とみなされていたからではなかったのか? さらに元「慰安婦」であった女性たちの側について言えば、ポスト・トラウマ的な救済――「植民地過去」を受け入れることができるようサポートする手段――を求めないような価値システムを内在化するよう仕向けられていたからではなかったのか? 男性たちは公の場で強制連行で被った過去の苦痛と屈辱について何らためらうことなく語り、多くの支持者や同調者を得ているというのに、である。われわれはこれを、(外部勢力による)植民と(同胞からの)性的抑圧ゆえの二重の苦しみと言わずして何と言えばいいのだろうか? このタイムラグこそ韓日の両社会の男性中心主義の家父長社会であることのみならず、その市民たちの多くがその価値観を内面化していることの証し以外のなにものでもないと言うのだ。そこで犠牲/被害者となるのがつねに社会的弱者/周辺に追いやられた者としての女性/マイノリティであるのは家父長制というシステムがあらかじめ男性以外を抑圧排除することで(しかし排除抑圧されたものは回帰する)成立するものだからであろう。


 『こわい、こわい』の「墓守り」に戻る。靖子は当事者にはなれずあくまでも儀式のお手伝い的存在。「そのときだけ」の「だけ」は数ページ先の「ああ、やっぱり俺は、朝鮮人であることを意識して生きてきたな。いまも勤めるグラフィックデザイン会社の同僚の靖子と付き合い始めて三か月くらいだったか」p26という相反するテクストの語りと一緒に読む必要がある。「朝鮮人であることを意識して生きてきた」とチェサのとき「だけ」「意識する」との矛盾は何を意味するのか。「意識」するという語は「俺」のコリアネスが、民族性といっても好いが、それが観念であることを含意するとも読める。「朝鮮人である」と表象されずに「朝鮮人であることを意識」する、つまり「である」が現実存在のあり様を示すのに比して、「意識」するは「俺」の内的現実でしかないということ、しかもそのことを「俺」がうすうす感じていることをテクストは伝達しようとしているのだろうかと。


おじいちゃんが亡くなってから、チェサの回数はぐんと減った。おじいちゃんが生きていたときには、正月、おばあちゃんの命日、お盆に加えて、朝鮮で亡くなっているひいおじいちゃんだったか、とにかく朝鮮の親族のものとを年に何回もやっていた。それがだんだん減って来て、いまは、正月とおばあちゃんとおじいちゃんが亡くなった五月の、二回だけになった。p15


 父親の「親に連なる祖先を大事すること」p17を訴える父親の言葉を想起するなら「朝鮮で亡くなっているひいおじいちゃんだったか、とにかく朝鮮の親族のもの」というこの大雑把というか曖昧な祖先への認識は何を語るのか? 父や祖父まではおそらく〈固有名〉で呼ぶことも謦咳(けいがい)に接したこともあるだろうとはいえ、三代前になるとそれが怪しくなるのは「祖先」に対する侮辱とまで言わなくても軽視を意味しないだろうか? 「俺」の祖先認識がその程度のものでしかなく、さらには回数が減っているというテクストの語りは何を語るのか? 伝承/伝達の不可能性だろうか。はたまたグローバリゼーションによる、グルーバル資本による世界の均質化なのか、あるいは単に日本への同化の徴候なのか? あるいはそのすべてなのか? チェサの時「だけ」「ルーツは朝鮮」というのなら、そのコリアネスを「意識」する機会が徐々に減っていることを意味する、はやりの言葉で言えば〈アイデンティティ・クライシス〉。まさしく現代のコリアンの抱える難問がここに提起されているのだ。
 コリアネスを意識する契機、対照(対称でも対象でもない)について見ておくと、「だけ」はチェサの時「だけ」であり、「朝鮮人であることを意識してきた」のは、のちに妻となる靖子にカミングアウトする折りである。この対照の意味することは深長である。朝鮮の伝統儀式に参加するよりも「日本人」と相対した折りの方が「朝鮮人であることを意識」する〈強度〉が高まるということなのだろうか。年に数回のチェサの時にだけ意識させられるコリアネスと「日本人」に向かった時に喚起されるコリアネスは単に〈強度〉の違いを表象するだけなのか。
そもそも「〇〇人」というのは他者があっての命名だ。〈地球人〉という呼称のない(めったに使われない)のは地球以外の惑星に住む他者としての生物が認知されていないからだ。「朝鮮人」はとうぜん「日本人」や「中国人」という存在を前提とする。ポスト構造主義的な言い方をするなら「日本人」は「朝鮮人」にとっての〈構成的外部〉なのだ。外部の存在が内部を構成するということを、この「俺」の態度は示唆するし、つまるところコリアネスなるものが〈それ自体〉で存在するわけではない〈関係概念〉であることをテクストは語っているということか。『禁じられた郷愁』のテクストは「近代日本のナショナリスティックな自己認識の核心に属する」こととして、「『朝鮮人ではない』ということが根本的な『日本人』の証明とされた」p242のであり、「醜悪な『朝鮮人』イメージを負の参照項にすることで成立している美しい(醜悪でない)『日本人』イメージが、植民地主義の直接的な産物だからであり植民地主義に根本的に依存することによってようやく成り立っているから」p245だと指摘し、次のように語る。


西洋化に対する半永久的な渇きと劣等意識が埋め込まれた近代の日本人にとって(もちろんこのこと自体は日本人にかぎったことではないが)、非西洋の象徴である「朝鮮的なもの」――近代にあらざるもの、近代に反するもの――は、けっして自己のうちに存在してはならなかった(理念的には、しばしば儒教がその象徴として槍玉にあがる。中国人と朝鮮人は、日本人とちがって、儒教に永久に呪縛される運命にあるために日本人とは本質的に異質な民族なのだ、というふうに。そこでは、同じく箸を使って米を食い、漢籍を読んできたことは全然じゅうようではない)。理性、規律、清潔、勤勉、発展、真実、平和、公正といった近代化の指標となるような美徳を強迫的に追求する近代日本人の「朝鮮人」像は、まさにそれらの対極に位置する負のイメージ――感情、混沌、不潔、怠惰、停滞、虚偽、凶暴、不正――で埋めつくされる。p242-243


そして「こうした指標は、おおよそ『文明』と『野蛮』という二項対立に集約される」と『禁じられた郷愁』の原佑介は語る。南富鎮も『近代日本と朝鮮人像の形成』2002で「近代日本人像は朝鮮人像と中国人像からなる陰画が先にあり、その陰画の裏返しとして、西洋人に接近する日本人の自画像が発見された」p35と語っているのを付け加えておくとして、朝鮮人と日本人とのこのステレオタイプ化された〈像〉が戦後も廃れることなく(やや形を変えてではあるとしても)持続し(朝鮮人蔑視が社会を蔽い)、ポストコロニアルの現代の日本社会に潜在化してあるいは顕在化して生き延びているのはなぜか。これらステレオタイプ化された言説はけっして陳述的(コンスタティヴ)ではなく行為遂行的(パフォーマティヴ)に機能するのを見誤ってはならず、それが二十一世紀に「在特会」や日本第一党として現実化しているのであろう。


「墓守り」の「俺」のコリアネスは、先に述べた「朝鮮人である」という現実存在というよりは、「意識」するばかりの内的現実だとするテクストの語りと呼応するところから、このテクストはコリアネスを実体のないもの、〈関係概念〉でありつまるところフィクションだと主張しているのだろうか? いやいや「朝鮮人」と呼ばれる人たちは現実存在だ、〈そこ〉にいる実存だ。このダブルバインド、関係概念(他者の承認を必要とする)でありつつ主体の問題であるといアイデンティティの両義性こそが、私たちの悩みのタネなのだ。ところで/だからこそ『こわい、こわい』の読みに際しては、「朝鮮人」を「朝鮮人」たらしめているのは、何か、という思考は不可避だということになる。血か、習俗(エスニシティ)か、国籍か、君が代を歌わないことか。
ここで紹介しておきたいのは次の言葉だ。「それまで私が『日本人か朝鮮(韓国)人か』と悩んできたそれぞれの“国民”は、“自然”に形成されたものではなく、一定の基準によって“選別されて”つくられてきたもの」p252だと語る山下(やました)英(ヨン)愛(エ)は次のように続ける。山下(やました)英(ヨン)愛(エ)は次のように続ける。


日本も韓国もそうだであるが、子どもは父親の国籍を受け継ぐものとさてきた。私のように母親の国籍を引き継いだケースは「私生児」(非嫡出子)として差別の対象となり得る。これらの排除の基準は、女性差別、マイノリティ差別、社会的弱者への差別という要素を含んでいる。
日本は、韓国のような海外養子を送り出すことは稀だが、“国民”の同質化を構成員に求め、異質な存在には極めて排他的な社会であることは、周知の通りである。両国に存在するこのような排除と差別の構造が、ナショナル・アイデンティティの二者択一を迫るのではないのか。
私は、「慰安婦」問題への取り組みを通して、このようなことを悟ることで、「ナショナル・アイデンティティを二者択一しようと悩むことは、生産的でない」と思えるようなった。むしろ、韓国であれ日本であれ、このように人を不当に差別し排除するあらゆるものに抗する立場(視点)に身を置くことが大切だと考えるようになったのである。私はその手がかりをフェミニズムから与えられたと思っているp258


このような立場(視点)から「慰安婦」問題にアプローチし鋭く多様な展開を述べたのが「『慰安婦』問題へのもう一つの視座」という副題の『ナショナリズムの狭間から』2008である。彼女はその名の「山下(やました)英(ヨン)愛(エ)」が示すように朝鮮人と日本人とのハイブリッドであることを隠さないというより明示化することで、この「二者択一」を脱構築するのだ。
「世代をおうごとに、“在日韓国・朝鮮人”とは、実体をともなった内包ではなく、あるステレオタイプを意味する言葉でしかなくなっていく。その際、ある人が自分を指して、“在日韓国・朝鮮人”と呼ぶとしたら、それはあるステレオタイプで語られる何者かに、自分を押し込んでいくことにほかならない。自己が何者であるのかを自己決定するのではなく、あえて他者化されるに甘んじ、分類枠内に落ち着くことで、既存の差別/権力構造を温存・助長する」と述べる鄭暎惠(『〈民が代〉斉唱』p21)は、アイデンティティ概念にラディカルな変更を迫る。すぐ続けて「例えば、私は“在日韓国・朝鮮人”として生まれたのではない。日本社会に蔓延する差別によって、また、それと闘おうとする運動によって、“在日韓国・朝鮮人になった。”在日韓国・朝鮮人“になることを、学習してきたのだ。”在日韓国・朝鮮人“を自称することは、この日本において、ある「役割」を引き受けようとする、ささやかな宣言にすぎない」と述べる時、鄭暎惠は在日のアイデンティティを実体のある生来のものではなく、自分にとってはこの日本社会の在日に対する根強い差別を闘うことで、在日になることを「学習し」たのものだと、すなわち生き方なのだと主張しているのだ。


アメリカの哲学者ジュディス・バトラーは「倫理的暴力の批判」という副題を持つ『自分自身を説明すること』で、主体(知)にとっては決して明らかにならない「わたし」の亀裂(非知)、自己の始まりが確定できない不透明さに貫かれているという「わたし」の存在そのものに刻印された非知から、まぎれもない他者への倫理を導き出している。バトラーの『自分自身を説明すること』については『架橋』第30号所収の「非知と知」を参照して頂くとして、ここでは、”Bodies That Matter” 1993(「問題なのは身体だ」とも「身体、それが重要だ」とも訳せ、竹村和子は「問題=物質となる身体」とも訳していた)を論じたいものの、邦訳のないこともあって、便宜上、藤高和輝の『ジュディス・バトラー』の書(第七章)を参照しつつ見ていく。J・L・オースティンの言語行為論(スピーチアクト・セオリー)、言語を分析するに事実確認(陳述)的なコンスタティヴなものと現実に働きかけるパフォーマティヴ(行為遂行的)なものという対立を設け、前者を真偽の判断の可能なもの、後者はそれが不可能で成功か失敗かという基準枠を取ることになるとした。オースティンの出している例「私は結婚します」はこの発言が出現した時点では真か偽かの判断は宙吊りにされ、むしろ実際に結婚する(成功)かしないか(失敗)かが問題となる。しかしデリダはこの両者の対立を脱構築し、「私は結婚します」が演劇の舞台で発せられると、もはやパフォーマティヴではありえなくなる。オースティンの立場がこのような演劇や詐欺や独り言などの「寄生的parasitic」な使用法を除外し、「通常」の使用に限定しているのは、「主体の『意図』によって発話とそのコンテクストを統御できるとオースティンが考えていた証左」p192であり、この「通常/寄生」の区別が厳密には維持できないのは言葉がすべて「引用」だからであり、引用であるかぎり常に他のコンテクストで用いられる可能性(反復可能性)を持ち、発話主の「意図」を裏切るだろうとデリダは考える。舞台の言葉も現実の言い回し(コンスタティヴ)からの「引用」なのであり、引用されたコンスタティヴはパフォーマティヴにも使用され得るのだから、パフォーマティヴはコンスタティヴとは截然と区別できないのである。こうして主体の意図なるものは脱中心化される(これは書かれたテクストが作者の意図を裏切り自由に引用されることの応用ではある)とはいえ、バトラーの「主体がパフォーマティヴに構築されるもの」であるという主張は、「行為主体が自発的に行うパフォーマンスで」はなく、「むしろ、ジェンダー規範の強制的な反復・引用によって構築される」のであるとしても、パフォーマンスは常に成功するとは限らず、「『失敗』の契機が『再意味化』の可能性を開く」として、また「社会的文脈に定義されるだけでなく、社会的な文脈を断ち切る力を備えている」p199として積極的に捉えられ(直され)たものである。ジェンダーは社会から一義的に決定づけられるのではないとして社会決定論を乗り越えようとするものなのだ。ストーラーが植民者が被植民者との濃密な接触を忌避したのが植民者の立ち居振る舞いという行為が被植民者のそれによって浸透され植民者のアイデンティティが揺らぐからであるという主張も、まさに人種的アイデンティティが「規範の強制的な反復・引用によって構築される」からだと理解されるだろう。ジェンダーアイデンティティを決定したり拘束したりするのも一回きりのものではなく絶えざる反復によるものであり、そのようにして構築されるものなのだろう。


ところでデリダのオースティン批判とバトラーのそれとが異なるのは後者が「身体行為」を焦点化しているところにある。バトラーはショシャナ・フェルマンの、上述の言語行為論をラカンと接続し、「セクシュアリティという『身体行為』をパフォーマティヴな構造として理論化した」『語る身体のスキャンダル』1980と接続する。フェルマンの引くラカンの言葉「フロイトのいうセクシュアリティは、性に関わりのあるあらゆるものがつねに不発(失敗)であることに気づいたということだ。それは不能の観念そのものの基盤であり、原理である。失敗はそれ自体、あらゆる人間行為における性的なものとして定義することができる」(『語る身体のスキャンダル』p78)。フェルマンは「パフォーマティヴな『失敗』を無意識的なセクシュアリティ」として捉え、「言語はエロティックなもの」であると同時に「エロティックなものが言語的である」と言う。ラカンたちの考えるセクシュアリティの失敗・不発の契機、ないしはセクシュアリティそのものが、言語のパフォーマティヴな構造をモデルとして反復しているとするなら、発話行為は「すぐれて語る身体の行為なのである」とフェルマンは主張する。『ジュディス・バトラー』はバトラーの『触発する言葉』を引く。


フェルマンにとって語る身体がスキャンダルであるのは、身体の語りが意図によって十分には制御されないためである。いかなる発話行為も、語る身体の修辞的効果を完全には統御できないし、決定することもできない。また同様に、それがスキャンダルであるのは、発話の身体行動を機械的に予測することができないためである。発話行為が身体行為であるということが意味するのは、身体が完全に発話のなかに現前しているということではない。発話と身体の関係は交差対句のそれである。発話は身体的だが、身体はそれが引き起こす発話を越えている。そして発話は、その言表の身体的手段に還元されない。p155-156


このバトラーの言葉は、身体が言説によっては捉えられないことを、身体がラカンの言う現実界に属するものであること、象徴界の彼岸にあること、つまり身体はその「社会的、言語的構築から零れ落ちるような『構成的外部』として」(『ジュディス・バトラー』p214)あること、そして私たちがその身体を〈自分のもの〉として生きているというダブルバインドを示している(「交差対句(キアスム)」とは見るものと見られるものとが相互に入れ替わり可能な入れ子状にあることを指す概念としてメルロ=ポンティの鍛え直したもの、デリダはそれを嵌入(かんにゅう)invaginationと語り直している)。ここでバトラーの言説が重要なのは、彼女がこのダブルバインを忌避しようとしないで、このダブルバインドを凝視しもがく、ダブルバインドの中で「共に取り乱しながら思考する」(『ジュディス・バトラー』の帯の言葉)という忍耐強い姿勢こそが私たちに求められるものであり、在日のアイデンティティの狭間で苦闘する鄭暎惠と響き合うものでないだろうか。アイデンティティというものがナショナルなもの、民族的なものとして立ち上げられる際に、決定的に欠如しているのが性的なそれであるということを忘れないでいたい。フーコーセクシュアリティ理論には人種が抜けているというストーラーの言葉を借りれば、デリダ言語哲学にはセクシュアリティの身体が欠けていると言えるだろうし、在日のアイデンティティ論が見ているのに見ないのはこのセクシュアリティ(身体)なのだとも同じように言い得るだろう。性差を見ない民族主義には家父長制を批判する視点が死角となる。


 「墓守り」に戻る。テクストは先に続いてさらに複雑な様相を呈する。語り手である「俺」には子どもがいない。「この墓を守ることは、自分のルーツを認め、確認することなんだろう」と考えつつも、「靖子と俺には子どもができなかった。だから誰が墓守りをしてくれるかわからないけど……。陽菜がやってくれるかな?」という裏切りをテクストは語る。自分のあとは誰が墓守りをするか「わからない」という無関心ぶりだ。「俺」の代で墓守りはいなくなるのだ。しかも「長男」がチェサを担当するはずの一族にあって女性の「陽菜」が墓守りをするというのは二重の裏切りと言うことなのだろうか。どこから見てもこの「俺」は「朝鮮人である」ことの稀薄な、単に心の中で「意識」するだけの「朝鮮人」なのだろうか。ここでフェミニズム的視点を導入するまでもなく、『こわい、こわい』の「墓守り」が「〇〇家の墓」に象徴される朝鮮の伝統的な男性中心的(家父長的)な〈血族意識〉に楔(くさび)を打ち込んでいるのがわかる。
韓国での夫婦別姓は血族から女性を排除するもの(かつ近親婚の忌避)だったが、プレモダンがポストモダンになった稀有な例。日本ではいまだに夫婦別姓すら日本会議や安倍政権によって強固に反対されている。韓国では少なくとも戸籍制度が二〇〇八年に『戸籍制度』を抜本的に見直した『家族関係登録法』が施行された一方、日本では戸籍制度はちっとも問題とされることなく家父長制が根強く生きている。そしてこの男系血族による家系・家族制度を象徴するのが天皇制であろう。


 ここで家族/家庭というものを歴史的に振り返ってみるなら、E・ウイリアムズ『資本主義と奴隷制―ニグロ史とイギリス経済史』1968によれば、リンカーン奴隷解放の雄として誉れ高いが、彼の行動の背景には当時の資本家たちの思わく、奴隷労働の効率の悪さからの解放の影響があったようだ。奴隷は怠けるから厳重な監視が不可欠であるのに対し、家族を持つ人たちは愛する家族の為に自ら必死で働く。であれば奴隷を解放して家族を持たせれば監視がなくとも効率よく働いてくれる。要は奴隷制は監視の費用が高くつくので費用対効果から見れば、奴隷制などやめた方がよいというのだ。普遍的な人権思想の普及もあるにはあったろうけれども、それだけでは奴隷解放は不可能であったのかも知れない。従来の生産システムの効率を上回るもので無ければ資本家や権力者の賛同は得難いとも言える。〈愛する〉者同士の営む家族という社会構成の単位は労働効率を上げるためにはなくてはならないものであるらしい。前近代の召使いや使用人をも家族とする制度からのこの近代的家族への転換には「愛」があった。「愛する家族」というクリシェないしステレオタイプが資本家にとってとても効率の好いシステムなのだ。近代が恋愛の時代であるのはこの社会構造、生産システム、労働効率と無関係ではないのだとすれば、私たちは「恋愛」とそれが構成する「家族」というエコノミーについて今一度再考してみる必要があるのではないだろうか。確かに恋愛が私たちを狂おしいまでに行動へと駆り立てるのは、恋愛を経験した者なら否定は出来ないし、それを通して築いた家族ほど大切なものがないのも自明のようにさえ感じられるが、とはいえそれは果たして疑いのない「自明」のものなのか、それとも歴史的に構築されて来た近代に固有のものなのかを再度問いただしてみる価値はあるだろう。つい先ごろまで(今でもか)恋愛抜きの結婚や家庭構築は普通のことだった。恋愛が十九世紀から二十世紀にかけて爆発的に世界に広がったのはまさにフィクションとしての小説、西欧近代小説のおかげであろう。人々は西欧小説から恋愛を学んだのだろうか。スタンダールバルザックドストエフスキーなどを通して。二葉亭四迷ツルゲーネフの『初恋』を参照して『浮雲』の文三とお勢の恋愛を描いたとか。とはいえここには複雑な事情もないではない。恋愛小説を読んで感動するという時、そこには原因と結果の倒錯があるかも知れない。いわばmetalepsis(メタレープシス)(因果関係の〈取り違え〉)。恋愛の時代に生き呼吸しているから恋愛小説に感動するのだろうか。感動したり共感したりするのはその作品に描かれている恋愛を私たちがあらかじめ社会から感化されそれを内面化しているからではないだろうか。共感には前もって対象と自己との間に共通項がなければならないという見方をするなら、作品との共振には自己の欲望を対象に投射しているという事態があるのか。読者が読みたいものを作品に読むというだけのことなのか。そして対象の作品の側には読者の共感を喚起する欲望が事前に内在させられているということか。時代、ことに近代という時代はそういう共通項としての感受性や欲望を通信や印刷術の発展とともに世界中に拡散した時代ということなのだろう。主体の欲望と対象たるテクストの欲望とは互いに入れ子になっている。先のイリイチの『シャドウ・ワーク』は家族familyの歴史についても詳しく述べていて、前近代では御者や召使や女中や付き人まで家族として扱っていたそうで、なるほど言われてみれば前近代の貴族や王侯(日本なら武士)は家事などしない。すべて召使等の仕事だったろう。そういう〈血のつながった〉人たちばかりからなるのではない大家族制の時代であり、もちろん夫婦というカップルも恋愛を媒介としなかったのだ。翻って現代では、主として恋愛によって家族/家庭を営む小さな世界が社会の単位となっていると言えるだろう。〈血のつながった家族〉というクリシェが幻想であるのはまずもって夫婦というカップルが赤の他人であることから自然に理解できるし、家族/家庭を〈血〉という媒介物で結びつけようとするのはその家族/家庭という幻想をつなぎとめ縫合する〈クッションの綴じ目〉が求められるからだろう。


 「墓守り」でチェサと墓が一族という共同体の紐帯として持ち出されているのは偶然ではない。チェサが行為として身体にコリアネスを書き込む装置だとするなら、墓は視覚的に書き込むものであり、前者が横に一族の連帯を築く〈共時的〉なものだとするなら、後者は縦につながる〈通時的〉な装置なのだ。ともにコリアネスを身体化する(補完し合う)装置として機能する役割を担うものとして召喚されるのは、何よりも一族というのが多様な個人からなり決して一枚岩ではない(内なる差異、それに回数や参加者が減って来る)上に、共同体の紐帯として持ち出される〈血〉の繋がりが不可視の極めて不安に満ちたものだからでもある。この多様で不安に満ちた一族なるもののアンビヴァレンスを統合(縫合)する機能をこそ、墓とチェサが身体化という形で現実化するものであろう。これは翻って正月に家族そろって神社仏閣に参詣したり、盆の墓参りに精を出す日本人にも当てはまる。一族や民族という曖昧で不安に満ちた共同体の〈クッションの綴じ目〉としての装置が家族うち揃っての参拝であり墓参なのだ。これらが反復されるのもその反復という行為によって絶えず身体に書き込まなければバラバラになり雲散霧消するアンビヴァレントな絆としてあるのが民族や一族(家族)という共同体なのであるからではないだろうか。


 「墓守り」と対照的な表題を持つ「墓殺し」。このテクストでまず目につくのが「ところで、おれの話を聞いているあんたは、誰だ?」という問いかけと、次の一節だ。


この痛みと苦しみは、そうする必要のない人間にはわからない。そうする必要のない人間の「善意」の言葉にも、おれは、おれたちは、言葉にならない憤りと虚しさを抱く。p47


 日本語で書かれている以上、語り手の問いかける「あんた」は日本語スピーカー、まあ「日本人」だと考えるのが妥当であろう。そすると「おれ」は「日本人」に向かって、おれの痛みと苦しみは「日本人」にはわからないと語っていることになる。「おれは、おれたちは」(おれたち朝鮮人は)と言い直すところに着目したい。エスニック・デヴァイド(民族による分割分断)と言っておこう。この一節を引用したのは、この論考の最初に引用した「煙のにおい」の「女同士で深い秘密をわけもつ」に見られる伝達の不可能性と呼応するからである。異質なものに遭遇した時の反応には二通りあると言われる。片や神秘化神話化し崇拝従属する、片や恐怖のあまり目を背け差別し排除する。怖れと恐れないしは畏怖と恐怖。ようするに「こわい、こわい」なのだが、恐れのあまり排除隠蔽するならそれは亡霊として回帰する。「こわい、こわい」は〈こわいもの見たさ〉でもあるのだ。心理的な遠近法の操作では始末できないのが心のエコノミー(機制)なのだろう。ジェンダー・デヴァイド(ジェンダーによる分割分断)とエスニック・デヴァイド(民族による分割分断)とを同時に語るテクストなのだ、『こわい、こわい』は。この二つの分割分断は通底するのか、というより現実にこの分断分割は機能し、私たちは日々この出来事に遭遇しているがゆえにテクストはその現実を描き(亡霊は常に回帰する)、国民国家システムの現代世界にあっては、人は人として立ち上げられるとき、同時に「〇〇人」となり、男女の性別を否応なく与えられるという現実の反映ないしは対象化にして批判とも、少なくとも論争化するものとして読めるということだ。私たちはこの分割分断線を超えることが出来るのか? この分割分断性を抹消することは可能なのか、この分断分割の現実の内部で伝達(コミュニケーション)は可能なのか? 


このナショナル・ディヴァイドを超え得るか、という問いがまさに『禁じられた郷愁』のテクストの語る主テーマであろう。小林勝の「朝鮮人と日本人のあいだによこたわる深淵が拒否と被拒否という対極の関係で成りたつほかないもの」という言葉を引用し『禁じられた郷愁』は「小林勝が凝視したのは、(中略)なぜ朝鮮人と日本人とのあいだには『拒否と被拒否という対極の関係』が今なお残っているのか」p172、あるいは「互いの胸のうちで燃える民族的な『血の騒ぎ』を乗り越えることはついにできなかった」p185、「小林勝のポストコロニアル文学は、まさに日本人と朝鮮人おあいだに深々と横たわる『断絶』を凝視する営みだった」p358と、くり返し出て来るのに注意を向けるべきなのだ。この「『断絶』を凝視する」欲望が実のところ、家父長制の女性排除周辺化の問題を凝視しない無意識の欲望に備給されたものでしかない(かも知れない)ことを小林勝(そして『禁じられた郷愁』のテクストも)が見ようとしないということなのか。ナショナル・ディヴァイドジェンダーディヴァイドとは別物なのか、それとも連続したものなのか、あるいは連続する不連続なものなのか。


 「母の生まれた場所を偽ることにした」p68と「ひまわり」のテクストは語る。テクストが経歴詐称を語ることは何を意味するのか、何を読者に伝えるのか、読者は何を読むことが出来るのか? もちろん初めの答えは「自分で選べぬ生まれた場所が、差別の『理由』になることがある。だからわたしは、日本人として暮らす日常を乱されないようにするため、母を使って差別から逃れようとした」からだ。ただこの短編テクストが末尾で「ほんでも、〈本物〉って何やろう……」p71と語るのは「差別から逃れ」るためであると言って済ませるわけにはいかないということだ。しかもそれが『在日二世の記憶』いや、『在日二世の語り』に関わるとすれば、ここにもまた込み入った事情がありはしないか。まずテクストの『在日二世の語り』が現実の『在日二世の記憶』を連想させるというのは認められるだろう。そこで「記憶」が「語り」へと変えられている/変換している、現実の「記憶」が「語り」へと変容しているというこのことが示唆するのは、「記憶」を「語り」と見なしたいというテクストの欲望が、前者が個人の内的想像行為に関わるものである/でしかないのに対し、後者は他者に向けられたものだという相違を現前化させるだろう。精神分析ラカンの言葉を用いるなら、前者が「想像界」の出来事だとするなら、後者は他者に向かう点で間主体的な「象徴界」を志向するものだ。「想像界」は個体の内的な言語使用に留まるが、「象徴界」が他者との交通を前提とするコミュニケーションの世界である限りで、内的妄想に囚われた「患者」は外部の他者との交通を可能にする「象徴界」に至ることで「治癒」すると精神分析学者ラカンは考え、〈象徴界にとどまれ〉という命法でそれを語っていた。「記憶」から「語り」への変容はこの外部である他者への伝達/交通を祈願するテクストの願望を表象していないだろうか。『在日二世の記憶』はインタビューで成立している聞き書きなのだ。その時点で『在日二世の記憶』というテクストがそもそも伝達/交通そのものを志向するテクストだとも見なし得るし、単なる個人の記憶の物語ではないとも考えられる。登場する個人の記憶の再現/記述ではなく、その語るところを報告者が語るという複数性がそこには埋め込まれている。まるでインフォーマントの言葉を記録する文化人類学者のノートのように、『在日二世の記憶』は日付、当人の経歴、報告者の氏名、文章化を行う者の名まで記す。様々な出来事を取捨選択し一つの物語へと創り上げていくばかりか、それを現実から乖離した言語で語るなら、自伝/伝記なるものがフィクションと化しているのはほとんど自明である。聞き書きの際には聞き手の干渉が当然のごとく問題になり、文化人類学の用語では〈観察者効果〉として定式化されている。観察者が観察対象に影響を与え変容させ、対象そのものの認識など原理的にあり得ない、対象とは観察者にとっての対象でしかないということだろう。ここで問題にしたいのは記憶そのものが曖昧さを含んでいる上に(「ゆるやかに記憶を朧にしていった」「ひまわり」p64という語りも見受けられる)、もっと言えばフィクションである上に、伝達がさらにそれを増幅させるという点である。
 『在日二世の記憶』という現実の書については、それが公定の歴史に対する対抗言説であり、サバルタンをして語らしめる書だとひとまずは言えるだろう。公定の歴史に漏れたもの、無視されたもの、抹消されたものを復元し表象する試みであり、歴史から落ちこぼれた「屑」を拾い集める、ベンヤミンの言う〈屑拾いの倫理〉の実践であるのは間違いない(『架橋』Vol.32所収の拙論「欄外に」を参照されたい)。ところで『こわい、こわい』の「あばた」がその『在日二世の記憶』を示唆する『在日二世の語り』を語るのは何を意味するのか。鄭琪煥(チョンギファン)のエピソードは何を語っているのか。しかもご丁寧に「墓守り」では「韓琪煥」としても登場する。もしこれが〈屑拾いの屑拾い〉、『在日二世の記憶』から漏れたものを再び拾うということなら、『在日二世の記憶』には漏れや欠如があることを語っていないだろうか。この書の五〇名(うち女性が八名)が在日を代理表象する限りで、この書は五〇名以外の在日を隠蔽するとでも言うのだろうか。これこそ代理表象の本質的な問題だ。『在日二世の記憶』という公定の歴史に対する対抗言説に対抗する言説。対抗言説に対する対抗言説としての『こわい、こわい』。しかも「煙のにおい」は経歴詐称を語り、最後に「本物とは何か」とだめを押す。『在日二世の記憶』なる書がつまるところフィクションであり、ダダ洩れの不完全な書であることを主張しているのだろうか。
「虚構的現実」、小説で表現されたものは虚構的現実だの意ともとれるし、現実の虚構性は小説(虚構)でしか表現できないと言っているようにも読める点が読者を戸惑わせる。いずれにしても小説の虚構性は現実の虚構性を反映しており、虚構の小説は現実でもあるという、虚構と現実の二重性というか錯綜性というか、あるいは現実と虚構との境界を曖昧にする表象である点がここでは焦点化されているということが問題なのだ。


フェティ・ベンスラマの『物騒なフィクションー起源の分有をめぐって』1988は、サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』がイスラム教の聖典であるクルアーン預言者にして始祖であるムハンマドを冒瀆したものとしてイランの宗教的指導者ホメイニによって賞金付きの「ファトワー(死刑宣告)」が出され(1989)、現実に翻訳者などが攻撃された事件を扱っている。日本では翻訳者の五十嵐一(ひとし)が一九九一年に筑波大学のキャンパスで刺殺されたのであった。ベンスラマは権力者(例えば宗教的な権威者ホメイニ)が小説などの文学に介入するのはフィクションが、権力というものがフィクションであることを明らかにしてしまうからだと言う。天皇の権威というのを考えればなるほどと納得するほかない。敗戦後まで天皇はいわゆる〈現人神(あらひとがみ)〉として尊崇の対象であったけれども、それは擬制つまりフィクションであったのは今では自明のことだとしても、現代の議会制民主主義なるものもその亜種に過ぎないのだから、当然のように権力は文学というフィクションを警戒するというのだが、「起源とは、何もないところにそれを確立するフィクションによって、それも他のフィクションを排除するフィクションによって、何かであるのだ。この意味で、起源とはまず、それ以前には何もなかったというフィクションなのだ。だからこそ、唯一フィクションだけが起源のフィクションを揺るがすことができる」p044。サイードの『始まりの現象』1975が起源なるフィクションについて論じたものであることを「非知と知」(『架橋』30号2011)に示しておいたが、「だれもが起源の手直しができる」フィクションとして起源はある。それで思い出すのが、皇紀二六〇〇年の行事。一九四〇年に神武天皇即位紀元皇紀)から数えて二六〇〇年になることを祝ったもの。神武天皇というのは実在の天皇ではないというのは現代では常識に属する。こういう始まり=起源というのはたとえ伝統のなかでは排他的に固着した(フェティッシュな)対象であったとしても物語(フィクション)でありかつ〈至高性の演出〉つまり尊崇されるものとしてあった。もとより民俗学Folkloreとはドイツ発祥であり、ラテン文化に囲まれた非ラテンのゲルマン民族国民国家を形成する過程で自らの起源や歴史や民族性を求めるものであった。ラテン文化(フランスやイタリア)に民俗学を必要としないのは民族性を発掘するまでもなくギリシャ・ローマ文化の継承者として綿々と続く伝統がすでにあるからだ。『グリム童話』のグリム兄弟が言語学者であったのは偶然ではない。民族性の根源に言語があるとする思想は現代でも優勢であり、民族と言語は分かちがたく結びついているのは周知のことだろう。同様に日本も長い歴史を誇る中国の傍らで劣等感を跳ね返すために自己の民族の独自性を打ち建てようとして始まった学問が「日本民俗学」であり、一九三〇年代から四〇年代にかけてはもっとも人気のある学問であったのはこの時代のあり様の反映であり結果である。現代ではこの一国史観が反省され文化人類学という呼称に変わって来ていて、さらに言えばドイツ民俗学にしろ日本のそれにしろ、民族というもの、その伝統とか一貫性/持続性という代物(しろもの)がむしろ遡及的に想像/創造されていることこそがここでは強調されるべきなのだ。
例えば〈民族〉という語は近代においてnationの訳語として創られたものであり、一九九一年に完成した大槻文彦の『言海』には登録されていないことから見ても、日本語においては極めて新しい概念なのである。英語のnationにしても研究社『英語語源辞典』によれば初出は十四世紀に「異教徒」の意味で初出、「『ある国の国民一般』の意は」、十七世紀初頭とされるシェイクスピアの『ハムレット』が初出だという。しかし民俗学歴史学が近代に創られた概念を遡及的に悠久の過去にまで押し広げ、古代から現代までの一貫して持続する民族とかその伝統とかとして恭(うやうや)しく持ち上げるのである。エリック・ホムズボームは『ナショナリズムの歴史と現在』1990で、同じ土地に住んだり言語や習慣や宗教を共有したり人々はいるにはいたろうが、それは〈原民族(プロト・ネーション)〉と呼ばれるものであり、現代の民族とは必ずしも一致するものではなく、〈原民族〉と現代の民族とが一直線に繋がるものではないし、そこには〈一貫して持続する〉のではない断絶があると言っていたのを思い出す。現代の私たちの言う民族は近代の国民国家誕生以後のものであり、十九世紀後半からの国民国家建設運動の世界的な流行の後に、歴史学社会学民俗学といった学問の創造したものとして民族があるということだった(帝国と植民地を拡大確立していく過程において必然的に伴われるであろう支配や搾取や文明に代表される知の暴力のために、そのアリバイを提供して来たのが自己と世界についての新たな諸表象としての学問なのではないか、という反省は、ポストコロニアルの時代にこそ必須なのではないだろうか。大学は、かつては〈帝国大学〉、帝国の大学、帝国に奉仕する大学であったし、大学の学問は帝国の学問であり帝国に奉仕する学問でもあった。にもかかわらず大学と学問とはいまだに自らの犯罪を認めることも反省することもほとんど行っていないと言えるだろう)。
『禁じられた郷愁』は、「帝国期にさかんに吹聴された豊臣秀吉の『朝鮮征伐』は、古代の神功皇后の『三韓征伐』とならんで、帝国日本の朝鮮支配の正当性を担保すべく遡及的に構成された『国民の歴史』あるいは『国民の神話』の模範的な素材となった」と、「歴史」の遡及的創造(捏造)を指摘しているし、また「国民の歴史」と「国民の神話」とを並記し、「歴史」なるものの虚構性を強調している。そして小林勝の「夜の次の風の夜」が「こうして国民化された物語としての『朝鮮征伐』と近代日本アジア侵略の共通性を強調したある種の対抗史観で」p233あるとしても、「国家主義史観」と小林勝の「対抗史観」が「いっけん対立するようでありながら、国民や民族という概念の近代性や植民地支配と資本主義の関係などを十分に考慮していないという点で、表裏をなす面がある」と指摘している。
これはたとえばエスニシティと言語という民族に固有のものとされるものが、後者については日本語(そして朝鮮語/韓国語も)は国民国家が成立して(方言の撲滅運動を思い出そう)新たに創造されたものではあるのは周知のことに属するだろう。このことは植民者/支配者/宗主国の問題としての切り込みとしては妥当するけれども、国民国家以前の植民地朝鮮を語るときには微妙な遠近法が必要となる。そのことは小林勝の「夜の次の風の夜」の羅力根の「言葉は民族の思想だし、魂だ」という発言を引いて、創氏改名や日本語の強制が植民地の人たち「朝鮮民族の『思想』や『魂』にどのような傷やゆがみをもたらしたか」p229と『禁じられた郷愁』の語るときに当てはまる。ここでは「言葉」が国民国家の言語以前のいわば〈民の声〉のシニフィアンなのだ。国家によって強制されたのではない日常の言葉、自分たちの存在を支え、他者との接続を可能にする声、共同体の成立基盤でもある言葉、それを奪われることは朝鮮人の人間としての主体性や実存性を破壊してしまう効果を発揮したであろうことは容易に察せられる。そのことをテクストは簡潔に「思想」や「魂」に傷やゆがみをもたらした、と語っているのだ。その点で「墓殺し」の「日本語が母語で、日本語しか話せないおれ」p48の語る「日本語」は国民国家としての日本が創り上げた言語であり、植民地時代の朝鮮人の言葉とは位相を異にするのは、国民国家によって創り直された「日本語」に「民族の『思想』や『魂』」があるとは考えられないことを意味するだろう。近代以前に「日本人」がいなかったように「日本語」もなかったのだ。だから植民地時代の朝鮮語国民国家成立後のたとえば「韓国語」との間には断絶があり不連続なのだとも言えよう。いずれにしても「墓殺し」の「おれ」にとって「日本語」は朝鮮語という自分の「国語」でもないばかりか、国民国家によって創造された言語という意味で二重の他者でもあるのだ。
前者のエスニシティにしても歩行スタイルとしてのかつてのナンバ歩き(右足を出すときに右手を出す)を近代の右足を出すときに左足を出すという軍隊式の歩き方と比べればその変容のほどは知れるだろうし、近世の「磔刑(たっけい)」つまり張りつけの死刑を楽しんだ人々の心情は近代の学校教育もあって決定的に変容している。また前近代の人々に「日本人」なる意識はなかったろう。自分は百姓であるとか、〇〇藩のもの、△△村のものくらいではないだろうか。ましてや天皇を崇敬の対象とする観念など微塵もなかったろう。「日本人」という自意識は近代国家、近代の国民国家の創造/想像ではないのか。継続する一面もあれば、断絶している面もある、必ずしも直線的に同じであるとだけは言えないだろう。

『在日二世の記憶』がフィクションであることを語るテクスト『こわい、こわい』は歴史修正主義との闘いであるとも言うことができる。歴史修正主義者は、「客観的事実はない」として自分たちの思い通りに歴史を作り替える人たち。歴史修正主義がはびこるのはこの過去を語ることの苦境窮状を逆手にとっているがゆえであり、歴史を語ること、これは今は失われた過去を言葉で語るものである限り直面する困難を内在させる営為なのである。歴史が現実の出来事から作られるとしても、出来事(現実)を出来事たらしめるのは歴史観(フィクション)であり、歴史観(フィクション)に沿わない出来事は抹消されるか無視され歴史的出来事としては現出しない。逆に歴史観(フィクション)は歴史的出来事から帰納されるとするなら、歴史観(フィクション)も歴史的出来事も互いに独立したものではなく、入れ子構造的に嵌入していることになるのだ。「あとがき」の語る「虚構的現実」とはこの現実と虚構との二重性というか両者が互いに依存しあっているというその共犯性を言い当てる言葉なのではないのか。だからこそ作者は「小説でしか表現できない虚構的現実」に続けて、「読者にとって新たな経験となり」と語るのだ。コンスタティヴな小説という虚構が読者のパフォーマティヴな現実となり経験となる。現実がフィクション性を完全に排除することがない以上(そんなことはあり得ない、なぜなら私たちは言葉で現実を生きるのだから)、私たちはこの虚構と現実との境界の上を右往左往しながら生きるのであろう。だからこそ歴史修正主義者たちのフィクションに抗うべく、抑圧された者の言説を立ち上げなければならないということだろうか。『在日二世の記憶』や『在日一世の記憶』のような、『こわい、こわい』のような在日を語り、過去を語る必要があると言えよう。言説とはこのアリーナ/闘いの場、ヘゲモニー闘争の空間なのだろう。「在日朝鮮人文学」なるものは、大日本帝国植民地主義清算されない限り、在日が抑圧される限り(男性中心主義的家父長制の続く限り、女性が抑圧されている限り)、決して終わることもなくなることもない〈正義〉(人権)の闘いであり、倫理の闘いでもあるだろう。法的に「日本人」(や男性)と同じ権利を求めるだけではなく、すべての市民が人間らしく生きられるように社会を変える闘いであり、社会を変えるためには自らが変わらなくてはならず、その意味で倫理的な課題であり、そうしてすでにある知なるものを問い返すことが求められるのではないだろうか。


文学(フィクション)とは何か。文学作品の他の書かれたものとの相違は、まずもって読み解釈を誘発することである。科学的な作品では解釈/読みは求められない(そう読むことは可能だとしても)。文学は読者にテクストをただ読み理解することを求めるだけでなく、解釈/読みを強いるのだ。この作品、このテクストをどう読むのかという解釈/読みの試練が読者には課されるのであり、これが他の書かれたものとの差異を構成する。ここに精神分析でいう〈転移〉が発生するのだ。分析者は〈知っているとされる者〉として分析主体(患者と言ってもよいとはいえ、ラカンは患者こそが分析の主体であると考えている)に接するが、それはすぐに分析主体が〈知っているとされる者〉(分析主体の無意識が転移して)となり、分析者が分析主体の立場に立つことになるという。医師としての分析者は精神分析のことを知っている(学んだ者だ)、分析主体の病状がどのような病名に該当するものかを判断する〈知っているとされる者〉であるのだが、〈転移〉が起こると分析者はその病なるものを知ろうとする者と化す(患者の地位に転落する)。〈知っているとされる者〉についてはラカンの『エクリ』(「Ecrits(エクリ)」とは〈書かれたもの〉の意)を全訳(英語訳)をしたブルース・フィンクの言葉によれば「精神分析において何か重要なことを知っていると想定される主体は、分析主体の無意識である」(『ラカン精神分析入門』1997p44)と言い、また「知を想定された主体は、分析主体の『なかにwithin』ある無意識的なものなのだが、分析主体はそれを拒絶し、分析家へと投射する」と言うのを参照すれば、分析主体(患者)の無意識を舞台として分析者と分析主体とが交渉していることになり、評論(テクスト)とはこの〈知っているとされる者〉の産物(無意識)として現出する。評論を読む/解釈する者は、分析主体として知っているはずの著者の(無意識の)言葉に目を凝らし、病気のこと(意味=テクストの言わんとすること/無意識の語ること、知らないことを知らないでいること)を知ろうとする。〈転移〉は読み/解釈にあっては不可避なのだ。だが問題はこの〈転移〉が一度起こるだけのものではなく、読み/解釈のプロセスにあっては不断に生起することであり、テキストとの相互交渉、テキスト(の無意識)を知ろうとする読者は分析主体と分析者の往還を繰り返すのだ。伝統的な文学用語で言う、作者との対話というものといかに似て非なるものか(この対話にあってはテクストの無意識は想定されていない)。絶えざる〈転移〉の生起、これが文学の読み/解釈であり、テキスト=作品の権威を揺るがす出来事だとも言えよう。
竹田青嗣川村湊の評論が権威ある(いやけっこう勉強させて頂きました)のは、二人が〈知っているとされる者〉の権威を疑わない(無意識を認めない?)からであって、その権威を保守するために〈転移〉を回避するというか、生起しているはずの〈転移〉を抑圧しようとするからでないか。『〈在日〉という根拠』という評論集が、「差別されること」を「不遇性」と言い換えている(「〈在日〉の生き難さとは克服されるべき障碍である以上にとり返しのつかない不遇性である」文庫版p243)のがその兆候とも見うる。「不遇」とは「才能がありながらめぐり合わせが悪く世間に認められないこと」であるなら、才能もなく世間に認められることも欲しないあるいは念頭にない者には彼の評論は歯が立たないというか回避する。金鶴泳や李恢成や金石範のような学歴も立派な在日を論じてこそその論理は冴えるのであり、学歴やマスメディアと縁の薄い宗秋月や金蒼生を正面から論じることをしないのは無意識のうちに抑圧しているのだろうか。〈無意識のうちに〉というのは、知らず知らずの意と、竹田が自己の無意識のうちに埋葬していることの意をかけている。ここに竹田の無意識の男性中心主義を読み取ることも可能であろうし、いずれにしても「在日」を「根拠」にすることは〈本質主義〉の陥穽に陥っていないことを意味するとは言えないだろう。それにしても彼のこの〈知っているとされる者〉の権威を担保するものは何か、権威を支える根拠はどこにあるのか、というならそれこそ同じ在日であり、自分こそが在日のことを「知っている者」だと疑わず(「私もまたかつて〈在日〉の問題範型のこのような迷路を、何度も何度もたどりなおしたので、それがせんじつめるとどういう場所にいきつくのかをよく知っている」p245。「よく知っている」「範型」という表象に注意されたい)、だからこそ彼は「〈在日〉という根拠」と自著を命名するのである。川村に関しては芥川賞受賞直後の李良枝のインタビュー「『在日文学』を超えて」(『文藝春秋』1989年3月号)が象徴的である。二人の話が噛み合わないのは川村が〈知っているとされる者〉という権威を保守しようとするからである。「李:川村さん、ちょっと功利的ですよ、発想が(笑)。なんとかのために、なんとかにとって……。すごく功利的だと思うなぁ。 川村:僕は一応、批評家だから、論理を立てないと(笑)。」この対談で終始李にからかわれているのは川村の〈知っているとされる者〉(批評家)のこの権威ではないだろうか。


さて、エディプスコンプレックスとはフロイトによれば男の子は幼児期に、父親に敵意を抱き母親を愛する(父親のペニスをもちたい)という性的な欲望を持つものの、この欲望は近親姦として忌避されると考え、エディプス期あるいは男根期と命名している。父親に嫉妬や殺意を抱く男の子は、その報復として去勢されるのではないかという恐怖によって近親姦的欲望が抑圧され、父親のようになろうとする同一化によりエディプス・コンプレックスが克服されるとするのだが、思春期になり性的欲望が強まり、復活するエディプス的願望は他の異性に向けられることで克服されるという。フロイトによれば女の子はこれと異なり、あらかじめ女の子は去勢されている(ペニスがない)ので、男根羨望を抱き母親を敵視し父親の愛を独占し、男根の代理としての赤ん坊を得ようとする、というものだ。ラカンはこのフロイトの考えをさらに発展させ、簡略化して言えば、主体なるものは、構造的に象徴界想像界現実界から成るとする。鏡を見て自らの全体像を想像的に獲得し、鏡という外部にあるものに自己(内部)を重ね合わせる(だから主体の生成においては鏡像という幻想が当初からあり、自己の始まりにこの疎外/幻想/裂け目があることになるのだが、この時期の主体は想像界にいるとされる)、その後、言語/記号的世界である象徴界に参入することで言語を獲得するとされ、換言すると想像界に安住するのを禁じる(母への欲望という近親姦を禁じる)父の命令(父の名=父の法)を受け入れることであり、これは自己の欲望を満たそうとする全能性(ファルス/phallus:象徴的ペニスのこと)を否定し(無意識意に押しやり)社会的な規範(近親姦の禁止)を受容することだとして、ラカンはこれを去勢と呼ぶ。だから言語の獲得は父の名を受け入れるという象徴的な去勢によるのだ。象徴界は基本的に父性原理に基づく男性中心主義的な世界であり、ゆえに男はファルスを中心に語り得る存在だとしても、女性は男性とは〈非対称〉であり、単純に男性でない存在とは言い切れない。女性は男性の〈反対〉とかと簡単には言えないのだ。そこで〈女とは〇〇〉、〈女とは△△〉という具合にその特質をあれこれあげつらって行くとしても、そのすべてを覆いつくすことが出来ないことをラカンは〈女はすべてではない〉、つまりどのようにしても女性(のすべて)を言葉で名指すことが出来ないがゆえに〈女性は存在しない〉と言うのである。さらにラカンは〈性関係は存在しない〉とも言うのだが、女性が男性にとって捉えきれない〈他者〉であるなら、そこには出会い損ないしかないだろう、出会い損ないに成功するしかないとはラカンの言葉だ。女性も象徴界にいる限りは、男性と同じように象徴界の言葉で世界を他者を理解している(つもりになっている)ことになるから、その点では男女とも他者との関係のあり様が幻想に基づくものである以上そこには差異がないともいえよう。人間は本能を喪失しているから、男女の性の営みも想像的なものでしかなく、男性は女性の一部、唇とか乳房とかを愛する他ない(「フォード・一九二七年」の「ぼく」の乳房へのフェティッシュな執着を思い出す)のである。性的関係がないのであれば、失敗がこの関係の現実化の唯一の形式であることになるとラカンは言う。男と女は出会い損ないに成功する他ないのであろうか。そもそも他者との出会いというのは、まず自己自身に出会うことの出来ない存在、幻想的な自己像(鏡に映った自己であり、根本的に裂け目や欠如を伴っている)を内面化し何とか象徴界の言葉/記号によってその裂け目を弥縫(びほう)しようとする主体、とりあえず言葉の網の目という蔽いを被せるにしてもいつも統一性の獲得に失敗するしかない「私」、常に生成変化する存在である私たちが、他者と出会うなどということは本当にあるのだろうか。


ラカンはファルスをつねに男性権力のシニフィアンと見ているからファルス中心主義だ、という批判」に対し、エリザベス・ライトは『ラカンとポストフェミニズム』2000で「なるほどファルスはファルス機能、つまり主体を分断し、そうすることによって発話をする存在を創造するものを示す隠喩として使われているし、それを表してはいるのだが、どちらの性も象徴界にいる結果、何かを欠くことになるし、欠いているのはペニスではないのだから、こうした批判は正しいとはいえない。ファルス機能は、男女の両方の側に現れるのである」p036と述べている。人間が「象徴界にいる」存在である以上は、言葉でもって自己や他者を把握するしかないがゆえに、その存在には根底的に「何かを欠く」、つまり欠如のあるものだということになり、そこには〈性関係はない〉というのも当然のことになるだろう。訳者の竹村和子は、男女がその「本質的属性や身体的特性によって各様態が自足的に方向づけられているのではなく、関係性によって規定し合っている。さらには両者には『性関係はない』(『アンコール』、強調竹村)と断言されているので(この発言は論議を巻き起こした)、欲望の諸関係は、身体的部位に牽引される異性愛主義からは、原理的に解き放たれている。こうしてみるとこの公式は、普遍の挫折と不可能性(すなわち言存在が抱える不連続)を看過することなく、人の心理を、そして人が構成する社会を説明しえた理論、まさにフェミニズが待望していた公式と言えるだろう」p106と補足している。ここでいう「言存在」とは話す主体、象徴界に属する主体、想像的な自己像に発しその内部に裂け目や欠如を抱えた不連続な存在のことだ。竹村は自ら翻訳したエリザベス・ライトの書をさらに発展させたその「〈解説〉 ポスト性的差異は可能か、だがもし可能になったら……」の中で、《父の名》というシニフィアンに「資本」を充ててみることを提唱し、もちろんこの場合の「資本」は隠喩(換喩が隣接性に基づく偶然のものとされるのに対し、隠喩は類似性=同一性に基づく必然的なものだとされる)であると同時に「現実へと換喩的にずらされて実体的暴力を引き起こす」ものだと断った上で、「いまだに性的差異に固執して、フェミニズムを攻撃している現在のバックラッシュは、この内在化された外在という資本の暴力を直視したくないための、最後のあがきのように思われる。あるいは資本を性的差異にすり替えることこそ、現在の象徴界の法が示す症状=徴候の一つと解釈することもできる」と言うのだ。竹村の主張するのはまさにフェミニズムの〈ポスト〉を語りたいための処方箋の提示であり、現代において喫緊の課題は性的差異というよりは、「資本の跋扈とそれがもたらす経済格差が呼び起こしている未曾有の悲惨と緊張」なのであるからだという。「内在化された外在という資本」というのは、なるほど現代世界における資本の流れは私たちという主体の外部にあるものではあっても、同時にその資本を内在化、内面化し、ひたすら金儲けに齷齪(あくせく)する(せざるを得ない)からであり、そのような新自由主義という名のトランスナショナルな金融資本主義の時代に住まいする私たち(主体)のあり様に介入する理論を、フェミニズムは鍛え上げる必要がありはしないか、ということなのである。富の不均衡、資本の偏在、上位10%の人間が世界の富の90%を支配するこの新自由主義(むしろ〈新帝国主義新植民地主義〉と呼ぶべきではないだろうか。領土ではなく経済によって人々を支配する体制は今やまさにトランスナショナルなグローバル/全球的レベルで拡散されている)の社会において、今まさに求められるのは性的差異の問題(抑圧からの女性の解放や性差別の解消)ばかりか、「精神分析と資本主義、すなわちフロイトマルクス、そしてラカンアルチュセールを並べて議論する必要があるのではあるまいか」とフェミニズムの成果を資本主義批判へと接続するのだ。フェミニズムを資本主義批判へと接続しようとする竹村和子の説は、金融資本主義とも言うべきシステムによって激しい格差(貧富の差)が世界を覆っていて、そこではいつも抑圧され排除され犠牲にされるのは貧しい地域の女性や子どもだということを見れば、容易に納得できよう。新自由主義と呼ばれるグローバルな経済体制が帝国主義的な新植民地主義としてこの惑星を蔽っている現実に対して変革の意志を持つなら、フェミニズムばかりではなくグローバル金融資本への抵抗も同時に行わなければならないということか。


竹村和子については、ぜひ以下のことを述べておきたい。「生物学のメタファーに依存した、ある種の偏向(ベント)とも言うべき生殖イデオロギーが繰り返される地点において、その偏向の出現を要請するもの、言葉を換えれば、生物学という『実体論』に再度、依拠することによって作り上げようとするフィクション」として、「生殖という〈種〉のドラマと、個人の〈愛〉のドラマと、家族という〈制度〉のドラマとをひとつにまとめあげて、〈個〉のなかに重ね合わそうする近代のフィクション」があり、別の仕方で言えば「生殖という〈種〉のドラマと家族という〈制度〉のドラマを自然で、整合性のあるものとして繋ぐために、個人の〈愛〉のドラマに、ある特定の心的/身体的解釈が与えられる」のだと鋭い見解を披露している(『愛について』2002p98)(この「繋ぐ」は〈縫合する〉〈クッションの綴じ目〉と解してよい)。フロイトラカンが執拗にあるいは無意識のうちに「生殖イデオロギー」に囚われている、「所与のものとして措定している」ことを批判する場面で現れる一節である。生殖イデオロギーとは生物的な(解剖学的)意味でのオスとメスとの両者の性交(インターコース)によって「次世代の生産」が行われるとする考え方を指し、そこでは当然「正常な」セクシュアリティだけが取り上げられ、つまり子どもを再生産する異性愛構造だけが前景化され、それ以外のセクシュアリティを排除することになる思想のことであり、これは同性愛(やLGBTQ)を非生産的だと公言した杉田水脈の発言に行き着くものであるだろう。バタイユの〈エロチシズム〉の思想はその逆に生殖を目的としない性行為にこそ人間の極限に至る恍惚が得られると見ていたのは、この点でも注目に値する。


表題の『こわい、こわい』は短編「こわい、こわい」から取られているとして、短編の表題と作品集の表題とではその意味合いが微妙に異なる。前者は三歳のサンギュの発した「こわい、こわい!」というセリフに由来するとして、この「こわい」対象は相手の「深緋の鮮やかな地に、金色のバザン刺繍がついたアフリカの民族衣装、ブレードのアフロヘアのでっぷり太った黒人女性」に向けられたものだが、作品集の表題の「こわい、こわい」は語り手の「僕」のみならず読者をも含む者の内なる差別意識に向けられたものだ。これは短編のテクストが「かっ、恥でこめかみあたりが熱くなった。(中略)新大久保でのヘイトの嵐が頭のなかを駆け巡る」という語りからもそれは明らかである。差別される者が差別するという構造は「煙のにおい」のアボヂの妹を抑圧するセリフからもそれに共犯するオモニからも読み取れるものだ。短編「こわい、こわい」についてさらに一言。「こわい、こわい」と声をあげるのは男の子サンギュ、ヘイトデモの「軍服姿の若者と自分が重なる」と感じるのは「僕」、それに対し「こわい、こわい」の対象は「でっぷり太った黒人女性なのである。するとここには「煙のにおい」と同じくジェンダー・デヴァイドが読み取れないか。差別する男性vs.差別される女性。実に見事な〈複合差別〉の表象だとも読めないだろうか。さらにこの「黒人女性」という語から「『見て、ニグロだよ……ママ、ニグロをごらんよ! 僕こわいよ』というファノンの『黒い肌、白い仮面』1952p112を思い出すというより、ファノンの言葉の読み直し/書き直しが「こわい、こわい」だという言うべきかも知れない。「僕」の息子のサンギュが「黒人女性」を〈見て〉、「こわい、こわい」と叫んだという情景(シーン)sceneには見られることseen(シーン)/見ることという視線の問題とそれを「黒人女性」と表象する言説の問題が重ね合わされている。ファノンはここに白と黒という視覚の差異が、あらかじめフランス語の内部においてネガティブなものとして階層化差別化された色の言語的価値、白は善で黒は悪という問題、そしてそのような言語によって白人と黒人の〈主体〉なるもののアイデンティティの形成されることとを接続し精神科医として知見でもって記しているけれども、「こわい、こわい」においても見た目の「黒人女性」が言説上の「黒人女性」という表象(陳述的(コンスタティヴ))によってサンギュや「僕」とは人種的な差異を持つ人間として表象されることで、そのような「黒人女性」とは差異のある人間(黒人ではない人間)としての自らを表象し認識することになると同時に「黒人女性」を差別する(行為遂行的(パフォーマティヴ))。「ニグロ」を見て「僕こわいよ」というファノンの語る〈男の子〉の言葉は見る対象との相違によって自らの白人たるアイデンティティを「僕」が確認すると同時に「ニグロ」と見る相手をあらかじめ〈悪/善くない者〉というネガティにステレオタイプ化された「ニグロ」と言表することで、見ている。見ることに言葉のエコノミーが浸潤する。見たものを言葉で表象しているのか、前もってある言葉の網の目を介して見ているのか、その差異が曖昧になり境界が揺らぎ、この見ることと語ることという循環構造が身体という現実によって支えられている事態を読むことができよう。換言すれば相手の様々な差異を見ないことで「ニグロ」と一般化(ステレオタイプ化)して「ニグロ」と呼ぶのであり、ここでも私たちは「目なし頭」(小林勝の作品名)なのだ。だから「僕」(と息子のサンギュと)が見た相手を「黒人女性」という言葉で表象する行為のなかでは、相手を自分とは差異のある別の他者として措定すると同時に、そうでないものとして自分たちを定立しアイデンティティを確認している(自分たちは黒人でもなければ女性でもない)ばかりか、ステレオタイプ化された(言い慣わされた)「黒人女性」と反復的に(引用として)表象することで相手の「黒人女性」が内包するはずの他の黒人女性との差異性を抹消していることになる。ファノンのテクストからはこのような見ることと表象する(語る)こととの込み入った関係の示唆が読みとれよう(のちのバーバの説を参照されたい)。

見ることと見られることについては、「一九六七年以降を小林勝文学の後期と呼ぶ」p154その「前期は少年を主人公にしたものが多く、かれ自身の実体験と直結する作品が主流であるのに対し、後期では小林勝個人の生活史を超えた歴史に迫ろうとする意欲が強まっている」p223-224と位置づけると同時に、「作者の視点」の「見る側」から「見られる側」への移動としても説明されている。磯貝治良は、小林勝の後期作品にみられる前期作品との顕著なちがいとして、「作者の視点が朝鮮人の位置にすえられて『一人称的』に語られる要素の多くなったこと」をあげ、これは「見られる存在である日本人としての作者が、見る側の位置へ踏みこんで自己を照らそうとしたことを意味している」と分析する。後期作品群を重苦しく特徴づける、日本人を「見る側」としての朝鮮人のイメージが、「赤いはげ山」の副主人公である金容徳をつうじてはじめて明確に打ち出されるp111。 「赤いはげ山」では金容徳と同級生の竜太という焦点人物の目を通して語られる。「竜太は棒立ちになって、金容徳をうるんだ眼でにらみつけた。その時彼は、ひんむかれた金容徳の茶色い瞳の真中を、ぞっとするほど冷たい白い光が貫いたのを見た」p244を引用し、『禁じられた郷愁』は「この場面こそが、小林勝の後期主要作品において物語のクライマックスに配置されるドラマの原形にほかならない」p113というようなものである。このように「被植民者の目」を通じて植民者である日本人の姿を捉え直そうとしたこと、具体的に言えば「日本人の前でおとなしかった朝鮮人がなにかの拍子に豹変し、日本人に反感や敵意や嘲笑をぶつけてくる」ようになるという朝鮮人の「変形譚」を描くことに「情熱をそそぎこんだこと」、これが「小林勝をほかの戦後作家たちと」の相違をマークするものであり、「かれの文学史的特徴である」p171と述べた後で、磯貝治良の言葉を引用する。このことは、


一つは、植民地下にあって民族をうばわれた朝鮮人がそれをうばいかえし、朝鮮人に帰るということが、日本人を拒否することと同時、同意味であったということです。二つには、朝鮮人と日本人とのあいだによこたわる深淵が拒否と被拒否という対極の関係で成りたつほかないものであった事実をあぶりだしていることです。そして三つ目には、拒否されることで日本人の貌(かお)が照射されてくるということだとおもいます。〔……〕小林勝の文学が朝鮮体験と執拗にからみつづけたのは、朝鮮人によって拒否されるというかたちで見られている存在としての日本人――その日本人とは何であるのかを考えることであったろうと思います。p172


このような磯貝治良の言葉を受けて、原佑介は小林勝の「変形譚」に固執したのは「植民地支配によって消去されていた、あるいは戦後日本においてなお消去されている朝鮮人の顔と名前をみつめなお」p296すためであったものの、その行為が「自虐的」とも言える様相を呈し、林淑美の「作家小林勝は『懐かしい』ということを自らに徹底的に禁じることで、我が身を切り刻んだのだったが、それはあまりに痛ましいやり方だった」という言葉を引いて、「小林勝のポストコロニアル文学の営みには、『我が身を切り刻んだ』とでもいうほかないような、痛ましい、ときにグロテスクにさえみえるようなイメージがただよう。それは、自虐的、偏執狂的と受け止められることもあったし、誠実、真摯と受け止められることもあ」り、「このような痛ましさは、彼の文学と実生活の双方において、晩年にいたるほど高揚していった」p319と語っている。前期=見る側から後期=見られる側への移行というこの小林勝文学の分節化はなるほどその読みの方法の一つとしてすこぶる有効なものであろうし、磯貝や原の言葉はその方法の結果としての小林勝像の的確な形象化に成功していると言えるだろう。ただ、たとえ「植民者二世」であることから国家による植民地主義の責任が逃れられないものとして「罪障感」を抱くとしても、それがなぜ「自虐的、偏執狂的」な「我が身を切り刻」むといった〈悲劇的〉と形容できるようなテクストや生き方を招来することになるのか、「朝鮮人と日本人とのあいだによこたわる深淵が拒否と被拒否という対極の関係で成りたつほかないものであった」と磯貝の言うのは揺るぎない「事実」なのか、なるほど小林勝が「誠実、真摯」に帝国日本の植民地、ポスト植民地の問題、朝鮮人と日本人との関係のあり様を問い詰めたとして、前期=見る側から後期=見られる側への移行は必然的にこのような結末を迎えるべきものなのか、というような疑念は拭えない。小林勝の文学は、たとえば植民者二世でも何でもない戦後生まれの日本人にとってはどういう問題を突きつけるのか、というように問題を変換してみるとよいかも知れない。よく言われるように、帝国日本の植民地主義は現代の日本人に罪はないものの責任はあるというもの。帝国日本と現代の日本とは不連続と連続の関係にあり断絶しているとしても、戦後に経済大国となったのが植民地の利益のおかげで戦後のいち早い繁栄を得たアメリカ、イギリス、フランスなどは過去に植民地を持った大国(植民地を持ったから大国になった)であり、敗戦国にしても日本、ドイツは言うに及ばず、戦前の植民地主義の恩恵(富の蓄積やインフラの整備等)を受けた国家であることを見れば不連続とばかり言えないのは歴然としている。その恩恵、ことに経済的な利益によって戦後の早い復興があった日本(もちろん戦後の朝鮮戦争ベトナム戦争もあるが)だとするなら、その恩恵を被っている点でも責任は逃れられないということは出来よう。だが「日本人」のすべてが「日本国家」に臣従するのでもないのは自明のことだ。所与の共同体から自らを切断する必要があるのは、政治が常に共同体(必ずしも国家である必要はないが言語を共有する人たち)を前提とするからであるというだけでなく、その共同体に〈臣従する/subject〉ことで〈主体/subject〉が生産されるところにある。共同体の言語が〈わたし/主体〉を生産する以上、その生産された〈主体〉から新たな〈主体〉を構築しないなら政治的抵抗の〈基体/エージェント〉が産出されえないのは自明と言うよりほかないだろう。こうして磯貝の一般論としては紛れもなく正しい「朝鮮人と日本人とのあいだによこたわる深淵」がいったんは宙吊りにされはしないだろうか。「朝鮮人と日本人」という括りというかカテゴリー化がそこにあるはずの構成員の内なる差異を見ないというか抹消した語りだとも言えるし、国家(民族)と国民とを等置する短絡化に陥っている小林勝をなぞっている、共同体=国家(国家という装置が国民を創るのであるから〈政治的主体〉はその国家との切断を断行しなければならないはずだ)への視点が曖昧になっているという言い方もできよう。たとえばスンギーと「ぼく」という視点の審級から、帝国日本(あるいは戦後日本と大韓民国朝鮮民主主義人民共和国)と「ぼく」という視点への審級の移行がなされなければならなかったのではないかということでもある。


話は変わるようだが、『禁じられた郷愁』に頻出する「植民者二世」という表象、あるいは巷間にあふれる在日二世というこの語は、(植民地にあるいは宗主国に)移住した(移住させられた)一世の子どもという植民地との世代的な関係を明示する極めた便利な符牒であると同時に、いつ移住という出来事があったのかという時間性歴史性や時代によって変化する移住先の状況やさらには移住する人間の多様性(性差や経済や家族関係)などその差異を隠蔽する危険な暗号でもある上に、移住した親の子どもであるという血のつながりにもとづく家父長的にして家族主義的な表象でもあって、「〇〇二世」と表象することは一世の子どもだという属性と従属性とを顕在化するものなのだとも言えよう。ここでもステレオタイプ化された言葉の問題があるのではないだろうか。   
『禁じられた郷愁』は、「在特会」と名指すことはないけれども、以下のように指摘する。


「明治一五〇年が近づく二十一世紀のある時期から、民間人によって構成された群衆が大通りにあふれ出て、ある種の公認の状況下で、白昼堂々朝鮮人ジェノサイドを叫ぶ光景が頻繁に繰りひろげられるようになった。特定の世代や職業、地域などで識別できるというわけではなく、とりたてて特異というほどでもないようにみえる日本人の集団が、、国家に仇なす「不逞鮮人」だけでなく、善も悪もなくすべての朝鮮人を殺害せよ、とがなりたてながら街をねり歩いた。」p236


在日特権を許さない市民の会(通称在特会)は、在日韓国・朝鮮人に特別永住資格を認める入管特例法などを「在日特権」と定義しその廃止を訴える団体で二〇〇六年に設立され、設立者および初代会長は桜井誠である。朝鮮学校への補助金など「特権の廃止」を街宣活動やインターネットなどで訴えている。桜井誠は二〇一六年に「日本第一党」を作り、在特会の会長から退いているものの、選挙活動を利用し、ヘイトスピーチをまき散らしていることで有名でもある。在特会の活動に対してはカウンターと呼ばれる人たちの批判が強く、そのメンバーの多くが日本第一党に移っているとされる。在特会日本第一党をはじめとする朝鮮ヘイトの跋扈する現代という時代にあって、せめてものニュースは、二〇一九年十二月に、全国で初めて刑事罰(最高五〇万円の罰金)を盛り込んだ「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例案」が、川崎市議会文教常任委員会で可決されたことであるとはいえ、全国ではまだまだ「愛国者」による在日へのヘイトスピーチが繰り返されている。ことにネットは顔をさらさない匿名性のゆえもあって、ヘイトスピーチの書き込みが後を絶たない。また百田尚樹という作家や高須克也という医師という〈社会的地位〉の高いとされる人たち、さらには小野田紀美という国会議員、三浦瑠麗という国際政治学者などによる公然たるヘイトスピーチが在日の日本社会での生きづらさを助長している。日本社会にはびこる〈嫌韓〉(嫌中も含めて)は底なしの状態である。これらの現象は、一つには大日本帝国の戦後処理の過ちに起因するだろう。帝国軍の統帥権を持っていた天皇を処刑しないどころか、天皇制を存続させてしまったこと、戦争の犯罪者を処刑処罰せず政府の重職に返り咲かせたこと(世襲議員の問題も含む)があげられよう。その結果、日本社会には戦前の体質が払拭されずに残存し、そのエートスとしての「一等国民意識」が残ったまま、他のアジア諸地域の人たちを蔑視する風潮が二一世紀にまで厳然と存在するのである。
続けてテクストは、「日本という国を、朝鮮人が存在せず、朝鮮人に対する全体的で例外のない憎悪と侮蔑意識で完全にみたされた国家に変革することであ」り、「かれら」は「憎悪によって仲間意識を確認し高め、憎悪を社会にひろめることを目的とした憎悪の共同体である」と締めくくる。ここでテクストが「とりたてて特異というほどでもないようにみえる日本人の集団」が差別的な言動をすることについてはぜひとも『禁じられた郷愁』の分析をなぞっておかなくてはならない。「小林勝が目指したのは、個別的に植民地主義者を断罪することではなく、日本人が朝鮮人と出会うことをさまたげつづける植民地主義的な状況の構造を解明し、打ち壊すことだったように思われる」p105と述べた後、その「構造」のまず一つ目として、先にあげた「その土地の人間を人間としてよりも、植物や風景のように見る」という「全体的で構造的な」もの、換言すれば「植民地体制というものは、支配者たちが被支配者たちを自分と同じ人間のように認識しないことが前提になっている」p107というものであり、二つ目が、「小林勝は、個人の資質や言動とは無関係に、植民者は構造的に植民地体制の担い手以外ではありえない」こと、「日本による朝鮮侵略は、軍人たちによってのみ行われたわけではなかった。むしろ、名もない人々の『草の根侵略』『草の根植民地支配』によって支えられていた」p141という高崎宗司の『植民地朝鮮の日本人』の言葉に代表されるものだ。そしてこの「草の根侵略」「草の根植民地支配」の「草の根」が現代に至っても「とりたてて特異というほどでもないようにみえる日本人の集団」であり、その行為が「善も悪もなくすべての朝鮮人を殺害せよ、とがなりたてながら街をねり歩」く現象なのである。これらの集団の日本人は、近代初頭から日本社会で繰り返されて来たステレオタイプであるネガティブな朝鮮人の陳述的(コンスタティヴ)な表象を可視化身体化する(「練り歩く」)もの(行為遂行的(パフォーマティヴ)となる)であ。


サンギュのセリフについて、三歳のサンギュの発言は果たしてヘイトと同じ「差別」的言辞なのかという疑問もある。異質なものを前にしてサンギュは、とりあえず手持ちの単語から「こわい」を選んだ、それがその時の彼の心情を正確に言い当てているか否かは定かでないという言葉の他者性なるものについての指摘と読みたくなる。というのもテクストがそれを語っているからである。「墓殺し」の「おれは、おれたちは、言葉にならない憤りと虚しさ」とあったのを想起するなら、言葉は決して心情を正確に言い当てはしない、常に失敗するとさえ言いたい。たとえば頭痛を表象する単語は「ずきずき」とか「重い」とか「ピリピリする」とかほんの数語しかなく、それに引き換え頭痛の症状は多種多様であり、「言葉にならない」のだ。ものを書く者がしょっちゅう言葉の選択に悩むのは言うまでもないし、日常の会話でも「何と言ったらいいのかな、」というクリシェが言葉の他者性の兆候として現出する。ラカンは言葉を含むコミュニケーションを支えるシステムを「象徴界」と命名しているが、「大文字の他者」とも言っている。「私」の存在の前に「象徴界」があり、「私」はその中に生まれて来る。「私」はその他者の言葉によって「私」として立ち上げられる。ということは「私」そのものが実は他者なのだという言い方も出来なくはない。いやこんなポスト構造主義的な説明をするまでもなく、フロイト「無意識」を見れば、私が私とピタっと重ならないのは火を見るよりも明らかではないだろうか。

大学まで日本の学校に通ったわたしたちは、朝鮮人なのか、日本人なのかに揺れ、そのあげく朝鮮人嫌いの朝鮮人として、自分が誰なのかわからなくなる、というアイデンティティの危機と苦悩をさんざん味わってきた。だから子どもたちにそんな経験をさせたくない、と朝鮮学校へ送った。「あばた」p106


この一節は少なくとも「朝鮮人」のアイデンティティが「血」だけでは語れないことを明示的に語っている。そういえば「おふくろも『純血』の朝鮮人だった」(「墓殺し」p47)という語りもあった。この引用符というかカギカッコは何を語るのか。「純血」というものを強調しているのか、あるいはその観念を留保するためのものなのか。どちらとも取れる。お好きなようと読者を挑発するということか。「あばた」の引用個所から読む限りでは、「血」が朝鮮人アイデンティティを保証しないというのは疑いを容れないだろう。それにしても朝鮮学校に行くことが「朝鮮人」のアイデンティティを保証するのか? テクストはともかくそう語っている。正確にはそう願ってというべきなのかも知れないが。(「日本でしか生きられない韓国人」とは「フィウォナーー希願よ!」の言葉:希(ヒ)願(ウォン)희원に呼びかけの接尾語아(ア)のついたもの)。一つの選択肢としてある、日本の学校にいるよりはマシだという比較の問題なのか。「君が代アリラン」の美星は家の経済的な都合から朝鮮学校をやめて日本の学校に行ったものの「自主退学という形式で学校を辞めた」。間違いなく言えることは、日本の学校にいるよりは朝鮮の学校に行った方が差別に遭遇する可能性が圧倒的に低いということだ。これは日本社会が戦前のままの朝鮮人蔑視、アジア人蔑視を、『禁じられた郷愁』が語る美しい日本人というナルシスト的自己像が、ステレオタイプ化された美しくない朝鮮人という「負の参照項」p245に依存する「構造」p105p140として継続させる社会であるからだろう。この社会が変わらない以上、コリアンを名乗ること、その存在が日本の「単一民族」的社会への異議申し立てとなり、その一体性に亀裂を生じさせる意味を否応もなく帯びてしまう、と同時に/だからこそ差別攻撃の対象となり、チョゴリが切られる! 二〇二〇年にもなって、麻生太郎副総理兼財務相の「二千年の長きにわたって、一つの民族、一つの王朝が続いている国はここしかない」との発言について、政府は一月三十一日、「他の国々と比べて民族、言語、文化が長い間比較的まとまった形で継続してきたという日本の特徴を、麻生大臣なりの言葉で表現したもの」とする答弁書閣議決定した、と北海道新聞は報じている。
言語が大文字の他者である「私」の内部に一貫した、一体化できる揺るぎない「私」など望むべくもないのだろうし、朝鮮人アイデンティティというのは、「私」の内部に発見するようなものというよりは、「墓守り」の駿一のように日本人と対したときに生じる他者向けのそれなのだ(逆に言えばアイデンティティには他者の承認がいる)ということを、テクストは語っているのだろうか。目の前の他者と他者としてのシンボルの体系の中でしか自分に意味を与えられない私たち。


「煙のにおいがして、私に記憶が押し寄せてきて、頭のなかに大パノラマができた」(「煙のにおい」p99)や「誰かが背中を通り抜けた気配があった。もしかしたら、いまは思いのままに躰から自由になれる佐智子おばさんの魂?」(「墓守り」p20)というテクストの語りは何を意味するのか。これは朝鮮の「伝統的な」シャーマニズムを想起させる。これは単に神秘主義を喧伝するのではなく、いわゆる「近代的な自己」というものに対する異議申し立てなのではないだろうか。不可思議なものに貫通されている「私」が通念の語るような確固とした実体のある存在ではないのだからアイデンティティなどには悩まなくても好いと一応は言えるのであるけれども、しかしアイデンティティが空虚なものだとしても、あるいは想像界の妄想に過ぎないとしても、あるいは浮遊し揺れ動くものだとしても、日本社会が過去の植民地主義を解消せず、男性中心主義的な家父長的社会である以上は、朝鮮人としてのアイデンティティや女性の女性性なるものは現前させる必要があるということなのだろうか。それを声高に主張しないなら不可視の透明人間にされ、抑圧されたままであるということだけは明瞭だとも思える。ポスト構造主義はあらゆるものごとを相対化し言語の問題に還元して来たとしてすこぶる評判のよくない思想であるとされるものの、ポスト構造主義の成果を机上の空理空論に終わらせることなく、現実に向けて機能させるならそれなりの果実をもたらす可能性がなくもない。ポスト構造主義者たちが書斎の机の前に座ったまま文字を書き連ねるに終始するなら批判は避けられないだろうが闘いの武器とするなら話は変わってくるのではないか。何の闘い? 敵は誰だ?


たとえば、そのような不可能にも思える可能性に賭ける著作の代表として一九八五年に刊行されたエルネスト・ラクラウと. シャンタル・ムフの共著『ポスト・マルクス主義と政治』(新版が2000年に 大村書店から出ている)、またヤニス・スタヴラカキス『ラカンと政治的なもの』2003などがある。両者とも要するに主体の中に主体の統御できない空虚なものがあるからこそ、換言すれば私たちが言語という他者によって構築されているのを認めるなら、私たちという主体が根源的に欠如を内包しそれを埋めるのが他者としての言語だと認めるなら、そこに政治的介入への道が開けるというのである。どういうことか。「私」という主体は矛盾に満ちた存在だ。「私」は世界の構成要素でありつつ、一方では「私」が在ることで世界が立ち現われるのだから世界を構成する者でもある。そして言語で主体が構成されることは同時に世界を言語で分節化することを意味し、主体はその分節的言語の網の目を介して世界を把握する。言語はあくまで主体にそのように見えるという世界像を提供するものに過ぎないのであり、翻って言えば言語の網の目に引っかからないものは見えていても見えないし、そもそも言語と感覚によって認識する人間主体は世界を、カントの用語で言えば〈もの自体〉の世界、ラカン流に言うなら〈現実界〉を知ることが出来ない。私たちが見ている木とは何なのか? 私たちが見ているものは私たちにそのように見えるというものでしかない。「私」は世界について、「私」の外部について何を知っているというのか。「私」という主体は「私」の中に閉じ込められているとも言い得る。ところが「私」は「私」の精神や身体の何を知っているというのか。死ねば物質に帰するこの身体ほど主体の思い通りにならないものはないし、心も同じように主体の思惑通りには感じたり思念したりしはしない。眠りにつくとき「私」は「私」なのか。眠りとは何か? この頭痛はどこから来るのか? 世界の構成要素でありつつ世界を構成するこの「私」は外界も「私」の内界も未知に囲まれている。主体が疎外されている、というより、疎外こそが「主体の構成要素である」p63とスタヴラカキスは言う。


ラカンの説明から言い換えてみよう。まだ「自我」を持たない赤ん坊は鏡を見て初めて自己の想像的統一性を獲得するという(「鏡像段階の通過」)。自己の外部の像でもって自己の内的統一性を獲得するものである以上、この想像的統一性は根源的に不安定なのであり、安定を得るために父の命法を受け入れ去勢される、つまり象徴界という言語の世界に主体として位置づけられるという。ラカンが主体とはシニフィアンの効果だというのは、主体が言語つまり象徴界によって構成されることを言う。しかし言語が外部のもの、他者である限りこの主体は原理的に言って想像的にも象徴的にも自己との同一性を獲得することが出来ない。主体は常に既に疎外されている。同時に外的世界が象徴界つまり言語という読解格子(グリッド)によって蔽われることで現実性が与えられるとしても、この蔽いが全体をカバーすることはあり得ず、その不安定さを隠蔽するものとして超越論的シニフィアン(〈クッションの綴じ目〉)が要請される。要は神だとか愛だと正義だとかというシニフィエの存在しないシニフィアン(超越論的シニフィアン)が持ち出されるのだ。その限りで世界の安定性とは幻想なのであり、スタヴラカキスは超越論的シニフィアンが何ら本質を伴わない、むしろ「純粋に政治的な決定」であり、世界の「現実性」の背後にヘゲモニー闘争が隠されているという。政治制度としての投票や政党、あるいはイデオロギーや民主主義といったものの政治的「現実性」、いやもっと単純に「神」とか「正義」とかでもよいのだけれども、そこにはこのようなヘゲモニー闘争(の結果)があり、その闘争という起源が忘却されているだけなのだ。ヘゲモニーが、支配的地位にある者による、政治的な合意形成によって、被支配者に向けての指導性を獲得し安定した支配を維持する権力を得ようとすることだとするなら、そこでは被支配者の合意が求められねばならず、よってその合意形成において闘争が重要な場となる。こうして、安定した「現実性」という幻想を排することで社会が根源的に不安的だということそれ自体を制度化しようとするラクラウやムフの「ラディカル民主主義」へと接続される回路が開かれる。「ラディカル民主主義」は対立や分裂が克服されることを目指さないし、むしろ民主主義が不可能なものであること、デリダの言葉で言えば「来るべきもの」として分裂や対立を民主主義の定立基盤とする。
同様に「私」の同一性は根源的に不可能である。社会が単一民族で構成されることなど不可能であるように、個人のアイデンティティも常に揺れ動く。だからあるのは同一性(埴谷雄高の言葉では〈自同律〉ということか)ではなく同一化への運動だけだと言えるだろう(カミングアウト〔であること〕からビカミングアウト〔になること〕へ)。この同一化への運動こそ社会的にしてかつ政治的なもの(ヘゲモニー闘争)なのである(何に同一化するのか、神か、民族か、民主主義か、芸術か、文学か)のは言うまでもない。スタヴラカキスのラカン精神分析を介した主張はポスト構造主義理論の政治的介入への一回路でしかないとも見うるのであるとしても。すると「あばた」の「妻」の「で、どうやって食べていくの?」という資本主義社会での家庭の存続を危惧し仕事を放棄する「夫」に詰め寄る言葉は、文学を至上価値とすることで担保される代議制民主主義的夫婦の関係の綻びのシニフィアンとなり、この言葉こそ文学を絶対的価値とすることこの制度への異議申し立てでありヘゲモニー闘争の開始を告げるものだと読むことができよう。


ドゥルーズガタリの『千のプラトー』における〈自由間接話法〉の件(くだり)は主体の言語的構築についての明晰な理論として読むことが出来る。「主体化が始めにあるのではなく、これは複雑なアレンジメントから発生するからだ」(『千のプラトー河出文庫版上巻p171)。「個人的な言表など存在せず、まして言表行為の主体など存在しない。(中略)言表行為の社会的性格は、いかにして言表行為がそれ自体集団的アレンジメントにかかわっているか示すことができるとき、はじめて内的に基礎づけられる。そのとき、言表の個人化や、言表行為の主体化は、非人称的で集団的なアレンジメントがこれを要求し、決定するからこそ存在することがわかる。これがまさに間接話法の、そしてとりわけ「自由」間接話法の典型的な価値なのだ。」(傍点原文p172-173)「私」が言語を話すようになるにはまず「私」をとりまく言語共同体という「非人称的で集団的なアレンジメント」がなくてはならない。「私」はその言語共同体(ラカンなら象徴界というだろう)の中に参画することではじめて「私」となる。その意味では「私」を「私」たらしめているのは「非人称的で集団的なアレンジメント」の要求だとも言えよう。だからこの「非人称的で集団的なアレンジメント」についての思考を余儀なくされるし、その実践が『アンチ・オイディプス』なのだろう。世界は欲望の散乱する流れである(さまざまな人間のさまざまな対象への欲望)。欲望それ自体は元来生産的な流れであるはずなのに、フロイトの「エディプス(オイディプス)・コンプレックス」は、そうした欲望を父・母・私の三角関係へと収斂させる〈ファミリー・ロマンス〉に過ぎない。ファミリー・ロマンスへと矮小化された欲望は資本の流れを促進調整する機械となり資本家に奉仕するようになるから、それに歯向かうには、社会の規律や規範から逸脱する「分裂症/統合失調症」となり、フロイト精神分析に抗う〈欲望する機械〉とならねばならない。ここからはアントニオ・ネグリマイケル・ハートの『〈帝国〉』2001へは一歩である。地球は今や国境を越えた資本の流れ、インターネットとITの開発とともに世界を席巻している金融資本に支配されている。かつて帝国という国家が権力であり、その戦いには国家と同じような組織を持つ党というものがあったのが二十世紀までの闘争形態であったけれども、〈帝国〉とは具体的な国家ではなく、このグローバル資本の流れのことだから、それに対抗するにはこの〈帝国〉と同じく国境に縛られない多様な個々人(マルチチュード)のネットワークによって民主主義を確立する運動が求められるという。闘う相手の変容と同時に闘う側のあり様も変化するとネグリたちは語る。


自己が変身する、私のあり様が変容するとはどういうことか。フーコーは「監視と処罰」という副題を持つ『監獄の誕生』の中で、学校・工場・病院・兵舎が監獄と同じようなdiscipline(規律・訓練)によりいかに統御されているかを精細に論じている。中心の塔の周囲に、大きな窓のある独房を円環状に備えた建物、そこでは囚人は塔の上からいつも監視されている。ところが独房からはその監視者の姿が見えないから中断なく見張られていると、実際に塔に監視者のいるいないに関わらず感じるのだ。一望監視装置は「見る=見られるという一対の事態を切り離す機会仕掛であ」り、「それは権力を自動的なものにし、権力を没個人化する」。一方的に見られることで、囚人は自らの行動を規律に合わせるようになるという。パノプティコン(一望監視装置)は監獄に固有のものではない。

精神は一つの幻影、あるいは観念形態の一つの結果である、などと言ってはなるまい。反対にこう言わねばならないだろう。精神は実在する、それは一つの実在性を持っていると。しかも精神は、身体のまわりで、その表面で、その内部で権力の作用によって生み出されるのであり、その権力こそは、罰せられる人々に――より一般的には、監視され訓練され矯正される人々に、狂人・幼児・小学生・被植民者に、ある生産装置にしばりつけられて生存中ずっと監視される人々に行使されるのだと。(中略)というのも、この精神は(中略)処罰・監視・懲罰・束縛などの手続きから生まれ出ているからである。実在的な、だが身体不関与のこの精神はまったく実質的ではない。ある種の型の権力の成果と、ある知の指示関連とが有機的に結びついている構成要素こそが、しかも権力の諸関連が在りうべき知をさそい出す場合の、また、知が権力の諸成果を導いて強化する場合の装置こそが、実は精神の姿である。p33


こうして学校で軍隊で工場で病院において、規律訓練によりいつしか権力の眼差しを身に着け内面化したのが私たちの「精神」なのだとフーコーは主張する。私たちの考える人間とは規律・訓練に「服従〔=臣民〕化の成果」であるこのような「精神」を内面化した存在なのであり(英語subjectには「主語」の他に「臣民」の意があり、動詞として「服従する」の意がある)、ある一つの《精神》がこの人間像に住みつき、それを実在にまで高める、だが、この実在それ自体が、権力が身体にふるう支配のなかの一つの断片なのだ。ある政治解剖の成果にして道具たる精神、そして、このことが次の言葉によって象徴的に宣言される。「身体の監獄たる精神」p34と! キリスト教などでは「身体に閉じ込められた魂」などと言うけれども、フーコーは見事にそれを逆転し、身体こそ規律訓練により服従臣民化する「精神」に閉じ込められているというのだ。「精神」とは身体にとって牢獄なのだと(小林勝の作品の表題「目なし頭」とはこのことを言っている。まさに「頭」という精神の機能が「目」という身体の機能を毀損していることの隠喩なのだ。目は見たいと「頭」(精神)の命ずるものしか見ないということの暗喩だろう)。別に寝転んで読んでも不都合はないのに、姿勢正しく椅子に座り机の上の書を読むのは目が悪くなるからという規律を内面化した「精神」による効果なのであろう。小学校に入りたての子どもたちが、机の前につくねんと座っているのを嫌って動き回るのを、教師の権力で無理やり座らせられるのも、近代産業人としてオフィスのデスクに座るためであるとも言えよう。

読む書には多様な読み方がある。例えば概論や資料による知識を得るため。しかし思考そのものを思考するいわば自己の変身のためという読み方もある。私たちがすでにつねに社会により構築されているのだとすれば、たとえそれが主体構成の一側面であるとしても、その私たちの思考や感受性をそのまま頼りにすることは出来そうになく、「精神」が規律・訓練により服従臣民化するものであるとされるならなおさらである。主体中心主義批判として構造主義ならびにポスト構造主義があるのは、その思考が人間なるものを主体から思考するのではなく、それを構築する外側から捉えようとする〈外の思考〉としてであり、考えてみれば人間の本質は各人に内住する抽象物ではなく、現実の社会的諸関係のアンサンブルだと主張するマルクスエンゲルスの思考の系譜であると言えようが、つまるところ、私たちが主体であることは〈ある意味で〉自明であるとして、そこで往々にして忘却されるのが〈外の思考〉であることをポスト構造主義者たちは指摘しており、〈人間が主体であると同時に主体ではない〉というアポリアというかパラドックス、どうしようもない矛盾というか存在の不可思議さ、被(おおい)いようのない亀裂を問題として構成しようとしているのである。さらに言えば〈外の思考〉はその〈外〉を主体の外部としての社会や国家や資本のフローばかりか、主体を構成しているとされる言語の外部を思考するという不可能な経験のことでもあるのだ。言語の外、言語ではとらえきれないもの、言語では表象できない対象を言語でとらえる、言語の内側から外部を把捉しようとする不可能な営為。意識の捉えられない無意識を意識で捉えるという精神分析が、ことに無意識が言語と同じように構造化されているというラカンの宣言が勇気を与えてくれる。無意識による主体の発する言葉の間違いや〈取り違え〉や夢という参照項によって、主体が知っているのではないこと、主体が知らないでいること、というより主体が知らないでいるのを知らないことを探求するという精神分析が、テクストの例えば修辞に潜むアナグラム(後述)の探求(テクストの余白を読む)を介して主体の外へと促してくれるのかも知れない。修辞的な(rhétorique)が理論的な(théorique)のアナグラムであるのはアナグラムの働きに沿って修辞的なものを理論的なもの(言語的構築/意味として知っていることとして表象すること)へと向かわせることができること(逆のベクトルも然り)を暗示しているのかも知れない。


 『こわい、こわい』に収められた短編にはそれぞれの語り手がいる。文芸用語で言うと一人称か三人称か、という形で語り手が焦点化されて来た。小説に「あとがき」を付すことは各短編の語り手とは別に〈作者〉が語り手として登場するところには、各短編の語り手とは誰か、何かという問題が提起されているのではないか。「ひまわり」を例にとると、語り手の「わたし」は女性であり、「自宅で介護していた日々の決まりごと。母への薄化粧。それをわたしは念入りにほどこした」という箇所も別に女性をマークする語りなのだろう。とするなら、語り手が女性であるというのは何を意味するのか。つまり「わたしたち姉妹」がなければ語り手が女性であることが浮かび上がらないということは、ここでは「わたし」なる女性が記号化されているということだろうか。記号化されているとするならそれは〈女性の横領〉ではないか、ということが問題となるということなのではない。作者(語り手ではない)が語り手を女性にしたことが〈女性的な〉語彙が呼び寄せられる、語り手が女性であることをマークする指標がテクストのあちこちに見出されることの問題だ。冒頭近い箇所。  


生前使っていた掛けぶとん。薄黄の地に、紅色の撫子、白と濃い赤味の菊が組み合わされている。そのふくらみは、母がいるとは思えないほど低く、凍りついたように静止している。身体から命と魂が抜け去る。それは微かにさえも動かないこと。命とは動きなのだ、と悲嘆のうちに思い知らされる。……では魂はどこへ行ったのだろう? まだこの亡骸のそばから離れていないのかしら……。「ひまわり」p55


この感傷的とも言えるテクストの語りは、何を語るのか。この感傷性こそ語り手がマークするものだというのか。ここと対照させたいのは次の一節。


親父の魂は躰から抜け出たばかりで、まだ亡骸のそばをゆらゆらと漂っているだろうから、おふくろときよみには親父のそばにいてもらって、枕飾りをちゃんとしてもらおうや、とふたりに告げた。うん、魂か……? 駿一は普段は思いも、意識もしない言葉がするりと出てきたことに驚いた。「墓守り」12


こう比べてみて分かるのは駿一については魂の漂っているという言葉にすぐ続いてそれを反省する対象化する語りが出て来るのに、それに対して「わたし」は「亡骸のそばから離れていないのかしら」と詠嘆調で締めくくる。こういう感傷性や叙情性を「わたし」が女性である兆候として読めというなら、それこそ女性のステレオタイプ化ではないか。そう考えて読み直すと、心情的あるいは感傷的なテクストの語りが「ひまわり」には目立つと言える。さらには一人称の平仮名によるテクスト「わたし」。「私」(「煙のにおい」「小さな蓮池」)や「おれ」(「墓殺し」)や「僕」(「こわい、こわい」「歌う仕事」)「ぼく」(新・狂人日記))という男性の語り手の一人称との対比として、「わたし」と「あたし」(「君が代アリラン」)。ジェンダー化された一人称のエコノミーが日本語には内在している(念のために言っておくと、女性の「私」は「フィウォナーー希願よ!」、男性の「わたし」が「煙のにおい」で用いられている)。「ひまわり」の「わたし」はその平仮名性が女性性と結びつくようにテクストが語るというのは支持されるだろうか。感傷的ともみえる心情が平仮名の「わたし」によって語られる時、女性性があらわになるということだろうか。だが(と言いたい)、女性性をそのようなものとして表象すればするほど、近代的な意味での小説としては成功する(女性がうまく描けているとか何とか)のだとしても、ますますステレオタイプ化して行くということにならないか。現実をなぞればなぞるほど失敗するほかないということだろうか。黄英治という男性を指示するだろう署名(「あとがき」の作者)のもとで女性の語り手の物語を読むこと/書くことにまとわりつく根本的な難題(アポリア)ではないのか。端的に言えば画一化ないし横領せずには書けない/読めないということなのだろうか。この問題を敷衍(ふえん)するなら、小説(フィクション)を書くことのダブルバインド(二重拘束)と言えるだろう。言語で表象する以上、現実を捨象しなければならない、捨象されてしまう。逆に現実を模倣すれば模倣するほど(通念としての女性に寄り添えば)ステレオタイプ化する、例外が排除される。どうするのか。さらに一歩すすめて、男性と目されるテクスト生産者が女性と目される「わたし」の語りを生産することが招来する効果について考えてみたい。黄英治の産出するテクストで、日本人を「私」とする作品はないが、女性を「私」とするテクストはあるという事態は、ナショナル・ディヴァイド(民族の分断)の壁は厚いが、セクシャル・ディヴァイド(性的な分断)の壁は薄いということか。前者の困難さに比べて後者が容易である(かのように越境する)のはどういうことか。これを小林勝は朝鮮人を「私」とする小説をなぜ書かなかったのだろうかという問いに対置し、書かなかったとすればそれは小林の朝鮮(人)に対する罪障感だと『禁じられた郷愁』のテクストは語るだろうと推測することは認められるだろうか。付け加えるに小林と朝鮮との時間と空間の距離が大きかったせいなのだろうか。あるいは日本語とは異なる言語を話す朝鮮人をテクスト化することが簡単ではないと分かっていたからだろうか。さらには植民者であった「日本人」である者が、被植民者である朝鮮の人間の主体の位置に自己を据えることが朝鮮人に対する横領や隠蔽に加担することだという反省があったからか。被植民地の朝鮮(語)と植民者たる日本(語)との関係では被支配/支配という言語の政治的権力的な序列・階層化がテクスト生産に介入して来るとひとまずは言えるけれども、「ひまわり」のテクストの語りを子細に見ていくと、女性である「わたし」、従属者サバルタンとしての女性が支配的な男性エコノミーに汚染された日本語で語るとされるとき、もう少し精確に言うと現実において男性と目されるテクスト生産者(この場合は黄英治)が、異性である他者としての女性と目される人物(「ひまわり」の語り手)に「わたし」と一人称で語らせるテクストを生産するとき、そこにはどのようなエコノミーが発生するかということだ。自己と同一の性としての男性と目される人物に「私」と語らせるテクスト(たとえば「煙のにおい」)とのあいだにはどのような差異が生じるのか、というように問いかけても好い。そこには小林勝が朝鮮(の女性)を語り手とするテクストを生産した場合に介入して来る権力の問題はないのかということでもある。話し手それぞれに独特の言語使用のコード(規則や言葉遣い)があり、それを言語学では個人言語idiolect(イディオレクト)というが、これをモジって性別言語をセクスレクト(女らしい話し方とか男らしい言葉遣い)とするなら、シクスーやイリガライに倣ってひとまずは男女のセクスレクトは平等でなく抑圧被抑圧の関係にあり非対称だと言えようから、女性が自らのセクスレクトで語るとしても、それが支配言語である男性のセクスレクトであるなら女性は自らを表現したことになるのかという問題構成であった。けれどももう少し丁寧に見ていき、女性の「私」の語りが常に既に男性のセクスレクトに浸されているとしても、逆に男性のセクスレクトを女性のセクスレクトに変容翻訳される点で、男性のセクスレクトが翻訳変容のプロセスに巻き込まれる点で毀損される可能性があり無傷では有り得ないことになる。男性セクスレクトの危機につながる行為でもあるというように考えることが許されるなら、支配被支配の逆転とまではいかなくてもその境界の侵犯や攪乱くらいの作用はあるのではないだろうか。つまり女性のセクスレクト使用が男性のセクスレクトの安定性を揺るがすとも言い得るのだ。翻ってこれは一方で女性とは何か男性とは何かというアイデンティティ性自認)の問題にも発展するだろうというのは、人が言語によって構成される存在だとするラカン流の解釈に基づくという限定つきで、男性や女性という主体のあり様が単に〈女性として〉あり〈男性として〉あるとは言い難くなる可能性のあることだ。女性と男性のセクスレクトが互いに嵌入し合っている以上、そこではもはや女性や男性という一体性(アイデンティティ)が曖昧にされ(解体され)る事態を意味するからである。ただこういう指摘は現実にあるはずの/あるとされる男女の差異を抹消してしまう言語至上主義としての言語の本質主義化でしかないという批判もあるとはいえ、少なくともその境界を曖昧にするずらしていく効果はありそうに思えることは強調しておきたい。だからこそシクス―の言うように女性は語らなければならないということになるのだろう。


「ひまわり」に戻ろう。女性にとっては支配言語(男性的セクスレクト)である日本語を「わたし」という女性のセクスレクトの語りという翻訳としてテクストが語るとき、それを外側から囲い込むように男性であるテクスト生産者によって語り出されるわけだが、そのとき二つのセクスレクトの境界は二重に曖昧なものとなる。男性と目されるテクスト生産者による女性と目される「わたし」という女性のセクスレクトへの翻訳には、あらかじめ「わたし」による男性のセクトレス言語の翻訳が内包されているのだ。小林勝が植民地の人間を「私」という一人称で語る(ことがあったとして)日本語でテクスト化するときに生じる権力関係がここにはないのかという疑問を思い出す。植民地女性スンギーについての語りにはその権力は介入していないのか。ナショナル・ディヴァイドという壁が厚いのはそこに植民者と被植民者という権力の階層関係が必然的に内包されるというなら、男女のセクスレクト間の関係にも同じようにありはしないのか。いや後者においてその境界や階層化が揺さぶられ曖昧にされるというなら、前者においても単に女性や植民地の人間を抹消したり隠蔽したり不可視化することにはならない、と言えるのだろうか。つまるところ、支配的な言語で被支配者であるサバルタンを語ることは支配言語の安定性を解体し両者の境界を曖昧にする効果があるにはあるとしても、他方でそのテクストが支配言語によるものである以上、支配被支配の権力関係が回避できないということなのか。男性と目されるテクスト生産者が女性のセクスレクトを用いる時にはこのようなダブルバインドがあるということになるだろうか。しかしこのダブルバインドから逃れようとする(そんなことは不可能だ)のではなく、このダブルバインドに留まること、ダブルバインドの只中で思考すること、このダブルバインドを思考することの要請をテクストが語っているということだろうか。


 天皇制批判という読解格子で『こわい、こわい』と『禁じられた郷愁』とを読んでみよう。在特会をはじめとする朝鮮ヘイトの跋扈する現代という時代にあって、また「令和」の大合唱の響く現代にあって、磯貝治良の「政治課題として『天皇制反対』、あるいは『天皇制があるうちは、日本に民主主義は実現しない』と言ったとしても、自分のなかに内面化されてしまった天皇制文化というやつを払拭しないと、ぼくたちはなかなか解放されないと思うんです。」(『〈在日〉文学の変容と継承』p241)を挙げておきたい。「天皇制文化」というのは至言である。天皇制文化の一つとしての家族システム。日本ではいまだに「戸籍制度」があり、社会全体が頑固に家父長制を維持していて、それを支えるのが天皇一家なのだろう。家族は、その成員を育てはぐくむと同時に抑圧するものである。(社会からの抑圧の防波堤の機能をも持つ)ファミリーを讃える時には同時に家族のない人たちを排除し抑圧する。このダブルバインドの中で家族主義をどう解体するないしは作り変えていくのか、と問わなければならないし、それこそ私たちの「内面化されてしまった」価値観を注意深く対象化し変容させていく必要があるということだ。つまりは自分を作り変えていく。日本社会に住まいするということは、日本語を日々話しそれにより思考することは、常に既に「日本人」として作られていくことだと覚悟しなければならず、在日が「日本人化」することに抵抗することがあるように、「日本人」たる者も同様に抵抗しなければならないだろう。グローバル資本のもたらす格差社会に、それが強いる世界の均質化の中でひときわ高まる自文化中心主義に、抗い抵抗するべく不断に自身を作り変えていくという倫理的闘いこそ私たちの課題ではないだろうか。
この読解格子は「君が代アリラン」から始めるのが妥当だろう。「福寿の背中を最終的に押したのは、都教委の通達だった」というのは、都立養護学校の講師を福寿(ポクス)(福々しくめでたい命名だ)が辞める決断したことだ。


車椅子の子、言葉のない子らに強制される起立、歌えと命令される天皇を称える歌。戦争の旗、侵略の歌……。福寿は、「日の丸」に起立し、「君が代」を歌うことは大げさではなく、侵略と支配に抵抗し犠牲になった朝鮮とアジアの人びとの否定につながる、と考えていた。歴史の修正に加担を強いる通達。自分は、決して立てない、歌えない。しかし、校長に起立し歌うよう「職務命令」を出されたら、拒否できるか? 拒否すればブラックリストに載り、講師の仕事は回ってこなくなるに違いない。だから見切りをつけたのだ。p145-146


在日に限らず、日の丸に起立し君が代を歌うことを拒否したせいで解職された人たちのいるのが二一世紀の日本なのである。天皇制の呪縛は、たとえ象徴天皇制と名前を変えても、過去のものであるばかりか現代のものとして私たちに迫って来るのだ。「天皇陛下」という言葉を吐いたK(姜尚中と目される)を批判しつつ、福寿の「夫」の光五(グァンオ)(광오、광は広、狂の、오には悟、誤の意のあるところから、〈広悟/広く悟る〉と〈狂誤/狂い誤る〉という相反する両義が隠されている:アナグラム実践)が語る。「天皇制による戦争犯罪の日本軍『慰安婦問題』とか、天皇制は身分制・血統主義を伏流させる差別の根源だ、なんて、とても外で言えないよ。別にKが在日の代表でもなんでもないけど、植民地エリート根性が透けて見えてさ……。主人の立場、主人の思想を、こっそりと自分の立場、自分の思想としている奴隷根性、おれにもあるよ。Kがおれに重なるんだよな……」p147。ここでテクストは「主人と奴隷」のヘーゲル弁証法を喚起しつつ、「植民地エリート」という語でかつての〈親日派〉という歴史的問題をも提示するというパースペクティブを現在のKの発言を介して語っている。過去は消え去っていないのに消え去ってしまったかのように語られる日本社会の言論に対する鋭い告発という側面をこの語りは示している。「天皇制は身分制・血統主義を伏流させる差別の根源だ」(というステレオタイプ)の余白には男性中心主義やそれの現実的な形象化としての家父長制/家族制度が隠されている。そのことは光五がBe-Songとして歌手デビューした娘美星(ミソン)に久しぶりに会って「住む世界が違う娘を少し遠くに感じた。一杯やるか、と夫がビール缶を持ち上げた。彼も自分と同じ思いを隠しているのがわかった。福寿はキッチンへ行き、冷蔵庫からビールとキムチ、ナムルを出して、コップふたつと箸三膳を一緒に盆に載せて応接間に運んだ」p156という、かつては召し使いの仕事であり現代でも女性の仕事であり続けるシャドウ・ワークをここでも女性(「妻の福寿」)が担っている家父長的な家族/家庭であることからも読み取れよう。このような光景は現今の日本(人)のみならず在日の家庭でもありふれたものだし、それをただ描いているだけのようにも読めるけれども、あえて誤読を犯せば、この「君が代アリラン」という短編テクストが福寿の視点から語られるスタイルを取っていることから、女性を中心にテクストが語ることは、男性のテクスト生産者が女性を周縁化しない(「妻」の「福寿」という福々しい命名)という善意のマスキュリニティとも言うべき効果を発していないかを検討してみる必要があるということだ。あえて女性の立場からのテクストを生産することで、女性を周縁化していない、横領していないという姿勢の修辞的表明が、実はそうすることでいっそう自己の男性的アイデンティティを、そして家父長的家族制度を強固に打ち建てる効果を発していないかということ。さらには「天皇制は身分制・血統主義を伏流させる差別の根源だ」というクリシェステレオタイプ)は、その天皇制に「伏流」し基盤を提供している家父長制、家父長制そのものである天皇制、天皇制を大衆規模で成立させるに与って力ある家父長的家族制度をさらに補強することになっていないか、ということだ。光五(グァンオ)は天皇制を批判し、「福寿が感じても、うまく表現できない不条理や差別、違和感を覚える出来事の見方や背景について、いつも的確な言葉と解説を与えることのできる」〈広悟(グァンオ)〉であると同時に、天皇制を強固にする家父長制を生きる〈狂誤(グァンオ)〉なのだ。
このことは先の「あばた」における女性の「わたし」が、女性のセクスレクトと男性のセクスレクトとの相克や嵌入として触れておいたテーマの延長でもある。自己を打ち固めるための他者の表象、他者の表象が自らのアイデンティティをより強固にするために利用される、というように一般化することも出来るこの問題は、「君が代アリラン」では「この夫は、福寿が感じても、うまく表現できない不条理や差別、違和感を覚える出来事の見方や背景について、いつも的確な言葉と解説を与えてくれた。それについての福寿の信頼は揺るがない」p144という表象によって例証されよう。また「彼も自分と同じ思いを隠しているのがわかった」というテクストの福寿の心情としての語りも、「夫」の発話への反応として表出されるところに二人の非対称的の関係が透けて見えないだろうか。さらには〈長幼の序〉に従うのか「夫」が「妻」を「ポクス」と呼び捨てにするのに対し「妻」は「夫」を「グァンオさん」と敬称をつけて呼ぶp143(日本語というより日本社会ではこの形象が階層化差別化されているのは、皇族には赤子でも「さま」づけ、社会的地位のある者は「〇〇議員」「△△医師」、一般人は「さん」、芸能人とアスリートは呼び捨てなのを見れば歴然としている)。男女の階層化序列化という家父長的家族制度そのものの様態が、それと明示化されない修辞としてこのテクストの語りの余白に埋め込まれている(し、明示的にも語っているのだ)。また「この二人の結婚には、福寿のアボヂの強い意向が働いた」として、次のようにテクストは語る。


アボヂは一九七〇年代の初め、親族に会うために韓国へ行ったにもかかわらず、空港からそのまま国軍保安部に連行され、ついには確定死刑囚になった。罪名は「北のスパイ」だった。アボヂの救援運動を陰で支えたのが光五が属していた組織だった。十六年の獄中生活の後、特赦で出獄したアボヂは、救援運動と韓国での面会に奔走した福寿が未婚であることが耐えられなかった。当時、団体の青年組織の中央幹部で独身、四歳上の光五に、白羽の矢が立ったのだった。p144


 二人の結婚への経緯をテクストは「アボヂの強い意向が働いた」とソフトに語っているものの、家長の権威発動と見ることも出来なくはない。もう一つ、プロの歌手である娘美星が「君が代」を歌うことの許可(と見なしてよいだろう)を求めに両親の家にやって来ること、ビールを飲むことから美星がすでに二十歳を超えている成人だとして、独立した成人が自らの行動に関して親の許可を求めに来るというのは、たとえそれが在日にとっての大問題だとしても、美星自身が親を保護者のように見るパターナリズムを内面化していると言えるだろうし、そのように娘を規律訓練した家族のあり様を見ることができるのではないか。テクストが美星自身の〈心理描写〉を内心語を用い(自由間接話法)、「誰かを蹴落とさなければ這い上がれない世界」、「人間の尊厳が傷つけられ、引き裂かれる痛み」を伴う歌手やアイドルの住む業界の卑劣さと、「人殺しを奨励し、煽動する軍歌であり、他国や、他民族への侵略を肯定する歌であり、差別を煽る歌」である「君が代」を歌う恥辱やそれを拒否する朝鮮人としての矜持との対比によって、さらには両親が「君が代」を涙ながらに歌ってみせることで、自ら自然に美星が親の不許可を受け入れるように語っているのは、この家族の家父長制が十分に機能しているようにも読めるのである。この家族の家父長制を担保するのは夫婦間の代議制民主主義ではなく、〈朝鮮人としての矜持〉である。危うい家族の解体を統合する絶対的価値として〈朝鮮人としての矜持〉が呼び出されるのである。再度断っておくけれども、この読みは誤読である。ただ誤読としての読みを提示することによって小説というテクストの修辞/レトリックがどのような効果を発しあるいは発さないのかを問うことに向けて、さらには読むという行為の持つ逸脱性を示すことでテクストの読みという行為の規範性を侵犯し攪乱する一方で、そのことを通してテクストの空白、テクストの明示的に語らないことの読みの可能性と不可能性を考えてみたいからである(ゆえにここではマイノリティや被抑圧者たちの家族というものが社会からの抑圧や攻撃に対する防波堤になり得ることについてはカッコに入れておく)。

『禁じられた郷愁』の表象、「一九二七年(昭和二年)十一月七日、二人の兄と一人の姉につづき、小林勝は朝鮮半島の南端に近い慶尚南道の晋州(チンジュ)という町で生まれた」p15。「明治大正生まれの」p19。「昭和一桁世代」p26。序章はもちろん作者は西暦を主に用いている。だが序論の中で西暦表示なしの元号使用が三度出て来る。さらに見て行こう。「天皇のため、国家のために戦い、死のうとしていた」小林勝の戦後について、「劇的な思想的変化は、高等学校在学中に起こったようである。遺族によれば、小林勝が共産主義に目覚めたのは、二年間かれと寮で寝食をともにした友人で、のちに国際政治学者になる斉藤孝の影響によるものであった」。「一九四八年、日本共産党に入党。共産主義との出会いは、暗い虚無感にしずんでいた小林勝にとってひとつの光明になったようである。敗戦後の思想的混迷のなかにあった多くの若者たちがたどったある典型的なコースだったといえる。」p45
 テクストは小林勝の皇国青年から共産主義者への過程を「多くの若者たちがたどったある典型的なコース」に還元する。だがそのために『禁じられた郷愁』は小林のテクストの余白に、いやここでは明示的に小林勝は天皇制に言及しているにもかかわらず、『禁じられた郷愁』というテクストは寡黙なのである。


――戦争犯罪人天皇ヒロヒト、というあのかん高い声が一つの大鉈(おおなた)となり、正確に私の心にぶちこまれたことを私は感じていた。私の心が、その痛みに、のたうちまわり、吠え狂っているのだった。私ははっきりと私自身の叫び声を聴いていた……p342


 この作品「赤い壁の彼方」には皇国青年であった自己の挫折感が赤裸々に表出されており、もし「原点」なるものが存在するとすればここにこそ置かれて然るべきだというのではなく、もしここに「原点」を措定すれば違った小林勝像が創造されはしないかと想像することの可能性と不可能性を問いたいのだ。テクストは郷愁を禁じる小林の心情は語っても天皇への怒り(心情)は語らない。言い換えれば朝鮮への郷愁とかつての宗主国の人間として強い罪障感を抱く小林勝を語るために、天皇への心情は読まない、沈黙する。『禁じられた郷愁』が名著なのは言を俟たない。それは磯貝治郎の書評が示している。
 小林勝は二度裏切られている。一度はヒロヒトと日本帝国に。もう一度は共産党という党に(テクストは二つ目の裏切りについては、最初の裏切りに比しての話として、比較的詳細に語っているのは指摘しておきたい)。序章の一節、「ほとんどの士官候補生がそうだったように、かれもまた、天皇のため、国家のために戦い、死のうとしていた」P34とあり、しかも直後に「では、そのときかれの胸に、故郷のために戦い、死のうという思いは去来していただろうか。もしそうだとすれば、その心に映ったのは、どのような風景だったろうか」とテクストは語る。「天皇のため、国家のために戦い、死のうと」することよりも、むしろ「その心に映った」風景に焦点を当てようとするところに、『禁じられた郷愁』の指標が存在する。天皇に対する小林の関わり方をテクストは喩的に言えば、無意識へと抑圧してしまっているのだろうか。


死の直後に出版された小林勝の最後の小説集『朝鮮・明治五十二年――いわゆる“光栄ある明治”のうち』〔一九七一年〕は、明治の歴史を手放しで礼賛する風潮を牽制するという目的のもとで編まれた。あとがきで小林勝は、こうした風潮からは「朝鮮・中国を中心とするアジアが完全に欠落している」と批判している。書名にある「明治五十二年」はもちろん仮構の年であって、実際の歴史上の年としては一九一九年にあたる。朝鮮全土で大勢の民衆が日本の植民地支配に抗議し独立万歳を叫んだ「三・一独立運動」(「万歳事件」)が勃発した年である。この「明治」という元号を冠した作品(集)についても、『禁じられた郷愁』というテクストには天皇制への言及がない。「劇的な思想的変化」を「典型的なコース」とあえて言えば矮小化することで、皇国青年から共産主義への「思想的変化」を「劇的な」ものではないものへと処理することで、小林勝の作品における元号使用やわずかではある天皇への言及を読まないのは、現代という時代からの批評的読みとしてオルタナティブの読みへの可能性を開くしかないと言えよう。
   小林勝は、朝鮮人を憎みさげすむ感情が自分のなかで暗くうごめいていることをはっきりと自覚しており、その感情に人間的自由を束縛されていた。かれのポストコロニアル文学は、なによりもまず、かれ自身の人間的自由を束縛するものに対する抵抗であった。かれが生涯の最期に発した「私は私自身にあっては、私の内なる懐かしさを拒否する」という宣言は、その抵抗の結晶であった。そしてそれは、抵抗であると同時に、かれの「故郷」に対する逆説的な愛の表現でもあった。p372
 『禁じられた郷愁』という書の小林勝像はほとんど末尾に位置するこの一節に集約されるだろう。『禁じられた郷愁』がひたすら故郷朝鮮への精神的贖罪という〈叙情する内面〉を語る作家へと小林勝を造形することは彼を第二の杉原千畝とすることだと懸念されないか。四五〇〇人のユダヤ人を救った日本人外交官として称揚される彼は、つまるところ、日本人も捨てたものではないね、日本人すごーいという形で消費されるばかりなのだ。小林勝もそんなに朝鮮のことを気に懸けていたんだね、日本にもすごい作家がいるね。日本人すごーい。この「日本人すごーい」というナショナリズムを回避するには小林勝の「すごーくない」面をはっきりと記す必要がないとは言えない。いやこういうべきだ、小林勝の天皇ヒロヒトへの反抗、裏切られた相手に対するアンビヴァレントな心情を語ることで、「日本(人)すごーい」の素朴なナショナリストたちの神経を逆なでする語りを構成する必要があるではないか、ということだろうか。とりあえずそうしておこう。


 確かにテクストの語る小林勝の作品における問題点の指摘は四か所ある。テクストに出て来る順に見ていくと、一番目は李恢成の「加害者としての自責をこめた贖罪意識から生まれた作品は、その贖罪感につり合うレベルでしか他民族を表現できないし、ほんとうにはその民族を捉えきれないんじゃないかと思う」p203という言葉を引き、「『加害者としての自責をこめた贖罪意識』を強い原動力にしていた小林勝の限界を指摘したもの」だと語る。二番目は、「倭奴」に「うぇのむ」とあるべきところに「いのむ」というルビを振ったことに関して、「小林勝でさえ、こうした基本的な朝鮮語もろくに理解していなかった」p235というもの。三番目は「植民地郷愁をめぐる小林勝のある種原理主義的な姿勢には、『観念論的思考』に執着しすぎだとの批判もされて」p322いる(ただしこの批判には「引揚者を植民地主義的な『郷愁派』と良心的な『懺悔派』という風に乱暴に二分してよしとするべきでない」と、小林を「良心的な『懺悔派』」に還元する신호に対して反論している)。四番目は菅原克己の「朝鮮も日本もない一匹の作家として考えるとね、やっぱり、大義名分みたいのがあってそれでカチンカチンになってね」という発言に対し、テクストは「たしかに、もしかしたら、『朝鮮も日本もない』と考えられないことが、歴史と政治に束縛されたかれの文学者としての限界だったのかもしれない」と指摘する箇所。(もっともこの「限界」に関しては、「だが、そうであったとしても、そういう『カチンカチン』に『しゃちこばる』姿勢こそが、かれのポストコロニアル文学の孤高の高みへと押しあげる最大の推進力だったにちがいない」p364-365と好評価に転じているのだけれども)


二番目の非難に対しては、少し長くなるが丁寧に見ておきたい。「小林勝の朝鮮語に対する理解の低さ」を問題にして、


かれは小説「夜の次の風の夜」のなかで、「倭奴」という漢字に「いのむ」というルビをくりかえし付しているが、本来この言葉は、より正確には日本語の発音に変換するならば、「うぇのむ」と読まれるべきであって、「いのむ」は「このやろう」という意味になる。金(キム)石(ソク)範(ポム)はこの点に触れ、「小林勝にして「倭奴」を「いのむ」としか表現できなかった。金(キム)石(ソク)範(ポム)はこの点に触れ、「小林勝にして「倭奴」を「いのむ」としか表現できなかった。つまり彼も自ら認めるように植民者の子なのである」と批判している〔「「懐かしさ」を拒否するもの」〕。戦後もっとも深く朝鮮にかかわろうとした日本人文学者のひとりである小林勝でさえ、こうした基本的な朝鮮語もろくに理解していなかった、ということになる。かれの植民地小説にたびたびあらわれるいい加減な朝鮮語が「日本の戦後文学の限界をまざまざと照らし出す」という高澤秀次の指摘は、朝鮮に対してあまりにも感度が低いままでありつづけた戦後日本社会の現実をあらわすものとして、重い意味をもっているといわざるをえない。p235-236


 この指摘の持つ意味は確かに「重い」。ある意味では小林勝に対する決定的な批判とも読めるだろう。こういう批判をも織り込んだテクストを産出した原佑介に再度、称賛の意を表明しておく。ただテクストの語りをそう受け取りつつも、若干の違和感のあるのも否めない。まず「いのむ」というルビは小説テクスト、フィクションの表現である。もし小林勝が「うぇのむ」と知りつつ「いのむ」と表記していたと読む可能性はないのか。小林の実際の意図は関係ない。テクストをそう読もうということなのだというより、テクストがそう読めと主張しているのだとすると、このルビにこそ「朝鮮に対してあまりにも感度が低いままでありつづけた戦後日本社会の現実」の象徴としてテクストは提示している、という読みも成立しないことはない。これは小林勝を買い被りすることになるのだろうか。さて金石範の批判には、ネイティブが第二言語習得者の発音を揶揄するのと同じ、〈知っているとされる者〉の高飛車な言葉が並んでいる。こう言うのも表現および読みに関する基本的な問題がここにあると思われるからで、「正確には」「うぇのむ」であるのに「いのむ」と「しか表現できなかった」のこの「正確には」について言えば、ハングルを日本語で表記すること自体が「正確」さなるものを解体するのではないか。volunteerはボランティアと表記するのかヴォランティアかという議論は不毛であるだろう。例えば융yungが分析心理学者のユングJungのことだとは即座には理解できなかった。ハングルにおいても人名を大文字とか斜字体とかで識別できるなら有難いとつくづく感じた次第。日本語のユングが三文字なのにハングルでは一文字、加えて日本語では니은niunと이웅iungとを発音において弁別特性としておらず区別がなく、その差異を表記し得ない。こういった彼我の言語体系の相違から융をユングと判読するのは容易ではない。ついでに言うと日本語には二重母音がなく「うぇ」と「い」の差異は日本語表記では抹消されるのかも知れない。日本語表記ではㅟとㅢとの区別は出来ない(し、濃音と激音も弁別することが出来ない)。
「しか表現できなかった」というのは金石範であり、彼はハングルを操ることの出来る者として、〈知っているとされる者〉として、出来ない者を批判するばかりか、そのこともって「植民者の子なの」だと短絡的に結びつける。これらの言葉に自言語中心主義、自民族中心主義の匂いを嗅ぐと言えば言い過ぎになるだろうか。それはおくとしても、金石範も高澤秀次も原佑介も見ているのに見ていないのはフィクションの中のルビだということであり、フィクションとしてのテクストの読みからすれば、「倭奴」に「いのむ」とルビのある表象がどのような効果を生み、どのように解釈されうかということであって、単に誤っていると断定するのではなく(そこからは何も生産的な議論は生まれず、せいぜい金石範のような〈知っているとされる者〉からの断罪くらいだろう)、「倭奴」を「いのむ」すなわち「このやろう」、〈この野郎め〉という意のルビがある表象(いわば〈パリンプセストpalimpsest/二重書き〉なのだ)にどのような意味を読み取る可能性があるかということであり、「倭奴」を「このやろう」「こいつめ」と読めとテクストのルビの語っている事実を等閑視してはならないのではないか、ということである。「フォード・一九二七年」という作中のトルコ人トルコ人かどうか分からないように語るテクストに諧謔味を読み取った『禁じられた郷愁』がここではあっさりと「正確でない」と断罪するのは早計の誹(そし)りを免れないかも知れない(崔俊鎬は「目なし頭論」で「イノムジャシギーには倭奴子息という説明が付け加えられてい」て、小林勝は「これを日本人に対する罵倒の言葉として使用している」が、「しかし、イノムジャシギーは韓国語の発音からして単にこの野郎という意味で受け取られることも可能である」と述べている。http://trijapan.iwinv.net/data/upload/(10)%EC%B5%9C%EC%A4%80%ED%98%B80524_511.pdf)。


小林勝の限界や問題点に戻ろう。李恢成の「限界」の指摘も三番目、四番目の批判も、『禁じられた郷愁』というテクストの視点からすればそれこそが小林勝文学の特徴であり、それこそが「孤高の高みへと押しあげる最大の推進力」だと逆転し得るものだろうし、小林勝の作品群への批判や限界の指摘は、そのまま受け取れそうにないことになろう。とはいえ、「『加害者としての自責をこめた贖罪意識』を強い原動力にしていた」、そのため「カチンカチン」に「しゃちこば」り、「ある種原理主義的な姿勢」ないし「『観念論的思考』に執着しすぎ」であるというのが小林勝の限界であるという主張を再考してみよう。小林勝の「日本人中学校」について『禁じられた郷愁』の語り。新しく赴任して来た英語教師の梅原健太、「五年生の五郎の目に、容姿端麗で服の着こなしもよく、青年らしい生気にみち」ており、「英語が堪能で授業も上手にこな」し、「まもなく生徒たちの人気を集めるようになる」p325-326のだった。ところがこの梅原健太が朝鮮人であることが判明し、「生徒たちの梅原健太へのあこがれや尊敬は、失望や怒り、そして嘲笑へと一変する」p327。以下は小林勝のテクストから引用すると、そしてある日、梅原が教室にやって来る前に、黒板に生徒が「講談 新・鴨緑江節 一龍崔貞山」と書き、「崔の字の横へ二重丸をくっつけた」p116。「何時ものように、軽快な足どりで、梅原健太は教室にはいって来た」。そして「彼は黒板をみた、顔色が変わった」。「彼は教壇にとびあがると、黒板ふきを使わずに、白い両手で、狂ったように文字を消した」。「それから彼は、五郎たちに背をむけて、黒板にむかいあったまま、肩をがっくり落として立っていた。彼はいつまでもそうやって立っていた。彼の頸と顎のあたりが、時々痙攣した」。


そのまま、どれくらい時間がたっただろう、彼は、ゆるゆると、みんなの方へ向きなおった。彼の髪は額に落ちかかっていた。そして髪も顔も、青い洋服も、赤いネクタイも、チョークの粉と埃ですっかり汚れていた。ネクタイはゆがんでいた。彼の顔は青かった。彼の唇も血の気がなかった。彼の眼は放心したように見開かれていた、両手をだらっとさげたままだった。ようやく彼は、低い、震える声で、こう言った。――ぼくが、君たちに、何かしたかね……   p116-117


梅原健太はそのまま学校を去ったのだった。図式的に言えば、この場面は植民者の心ない行為が被植民者にとってはいかに残酷なものであるかを語っていることになり、小林勝の面目躍如というところかも知れない。『禁じられた郷愁』は「支配民族のおそるべき傲慢さと残忍さのみならず、被植民者にみずからの民族性それ自体に対する恥辱感を覚えることを強いる植民地体制の二重のおぞましさが描かれた場面である」p332と語る。「恥辱感」を与えるというのは、崔圭夏を講釈師になぞらえているところからも明瞭だろう。だが、と『禁じられた郷愁』は語る。「その男、つまり作中の新任英語教師梅原健太のモデルとなったのは、そのおよそ四〇年後に大韓民国大統領となる崔(チェ)圭(ギュ)夏(ハ)である」。堪能な英語力によって東京高等師範学校を卒業し、一九四一年に大邱中学校に赴任したものの一年ほどで退職後、満州に渡って政治学を学び解放までの二年間は満洲国の官吏、解放後は外務部通商局長に、「七五年には国務総監」となり「朴正熙の強権的独裁政権を内側から支え」七九年に朴正熙が暗殺されると「大統領代行」となった。崔圭夏という人物の略歴語った後、テクストはこうも言う。「崔圭夏は、『内地』の師範学校を卒業し植民地朝鮮で日本人中学校の英語教師、そして満洲国で官吏をつとめた当代最高の植民地エリートのひとりであった。かれは帝国日本に仕える『親日派』として、朝鮮民族を皇国臣民化し、その政治的独立を抑圧する立場にあった」p331。崔圭夏は単なる被植民地の被害者であった訳ではなく、小林勝の「ある種原理主義的な姿勢」からは、崔圭夏の抜け目なくしたたかな生き方は見えて来ず、「ぼくが、君たちに、何かしたかね」という〈被害者意識〉じみた言葉しか出て来ない。
また「赤いはげ山」の「竜太は棒立ちになって、金容徳をうるんだ眼でにらみつけた。その時彼は、ひんむかれた金容徳の茶色い瞳の真中を、ぞっとするほど冷たい白い光が貫いたのを見た」p244を引用し、『禁じられた郷愁』は「この場面こそが、小林勝の後期主要作品において物語のクライマックスに配置されるドラマの原形にほかならない」p113。このように「朝鮮人がふとした瞬間に垣間みせる冷たい反感と怒りのまなざし」が後期の作品には頻出するというのだ。言ってみればこの金容徳のまなざしは抵抗するもののそれである。「『被植民者の目』をつうじて植民者(日本人)の姿をとらえなおそうとしたこと、これこそが、小林勝をほかの戦後作家たちとははっきり異なる存在にしたかれの文学史的特徴である」p171とするテクストの視点からは、上記のような被支配者として虐げられる者とか、植民者に抵抗するまなざしととかは前景化されるけれども、崔圭夏のような存在の小林の見損なった一面、その計算高く抜け目なく生きるような被植民者の一面はテクストから排除されることになる。もし「支配者の強制ではなく、被支配者の同化への欲望こそ、支配権力を生産するもっとも肝心な要因である」(鄭百秀『コロニアリズムの超克』p96)とするなら、そのような植民地エリートないし「親日派」と呼ばれる人たちの欲望を小林勝の「原理主義」からは死角ないし盲点に位置する対象となり見ることが出来ないものとなるのではないだろうか。人々の複雑なあり様、多様性(内なる差異)を縮減してしまう結果しかもたらさないかも知れない。
このことが李恢成の言うような「ほんとうにはその民族を捉えきれない」ということなのだろうか。とは言え、「ほんとうに」「民族を捉え」るなどということがそれこそ「ほんとうに」可能なのかどうか、という疑問は残る。本当に民族を捉えきる、過不足なく完璧に一民族を表象することを主張することこそ「原理主義」的、本質主義的なのではないだろうか。小林勝の中にあったとされる朝鮮への愛と贖罪意識というアンビヴァレントな心情は、およそ(いかなる人間にも)ことに植民地に関わる支配者被支配者ともに拭えないものとしてまといつき、植民地という共同体にはまた実に多様な人々が棲息するのだろう。その意味で「カチンカチン」の原理主義というのは小林勝の「限界」だという菅原克己の批判は尊重すべきものだとも言えよう。


小林勝のテクスト群には天皇制やヒロヒト個人に対する〈恨みつらみ〉が、共産党に対する違和感と同じように頻繁に書き込まれており、小林勝が天皇制をどのように描いたか(あるいは描かなかったか)を論じるなら、どのような小林勝像が創造されるだろうかという問題は指摘しておきたい。『禁じられた郷愁』という作品は優れた論考であるのに異論はない。ただ「原点」ずらせば、あるいは「原点」という思考を変換すれば、「原点」なるものを放棄すれば、また違った小林勝像が創造/想像できるだろうということである。「令和」の二文字が躍る二〇二〇年の今日であればこそ。


付け加えておけば、「フォード・一九二七年」のトルコ人の〈取り違え〉、その風貌が「鋭いカギ鼻と青い眼をもった」ものだとするなら、それはトルコ人というより西欧人のそれに近く、フォードとの関連からアメリカ人を暗示しているのだろうか。そういえば「白い柄(つか)のサーベルと真白な手袋を着用し」「鼻ひげを蓄えた」という「ぼく」の父親の風貌はヒロヒト(か伊藤博文)を想起させ、そうなるとトルコ人ダグラス・マッカーサーかとも思えて来る。一九五六年の『フォード・一九二七年』の発表時には、マッカーサーはもはや日本にはいなかったが、例の燕尾服を着て直立不動の「鼻ひげを蓄えた」ヒロヒトとコーンパイプをくわえた(写真を確認するとパイプはくわえていなかった。コーンパイプをくわえた写真のインパクトが強かったせいだろうか)マッカーサーの写真は目にしていたろうし、「日本脱出したし 皇帝ペンギン皇帝ペンギン飼育係りも」と塚本邦雄の『日本人霊歌』1956所収の有名な短歌に見られるように、背の高いマッカーサーの脇で燕尾服を着て直立するちんちくりんのヒロヒトの姿はまさにツバメの礼服を着した「皇帝ペンギン」であった。多木浩二の『天皇の肖像』1988には、敗戦までのヒロヒトの肖像写真は常に軍服姿であり、統帥権を持つ軍人としての姿であったにもかかわらず、敗戦後は一転して背広を着て民間人のように演出しているとあった。この燕尾服も軍服を脱いだヒロヒトの最初の写真かも知れない。『フォード・一九二七年』というテクストにはヒロヒトの影が陰に陽に見えている。(また指揮を執っていた朝鮮戦争での失態のためトルーマンによって解任されたマッカーサーが日本をあとにしたのは一九五一年、「フォード・一九二七年」が一九五六年であるところから、末尾の「フォードは、次第に小さくなって行く」はこのマッカーサーの東アジアからの消失を反映しているのかも知れない。)


 「君が代アリラン」に戻る。このテクストの特徴として自由間接話法の導入がある。「その高校に合唱部はなく」で始まる二段落p150-151、および作品の末尾「蜜(ミ)陽(リャン)アリラン、珍(チン)島(ド)アリラン」で始まる箇所p161-162。蜜(ミ)陽(リャン)アリラン、珍(チン)島(ド)アリラン」で始まる箇所p161-162。自由間接話法というのは、ここではテクストは福寿を焦点人物として、福寿の視点から語っているのだが、この二か所だけは、突如として美星の内心語として、「……は語った」という指示なしに語られる様式が挿入されていることだ。福寿の思いは語り手の「と福寿は思った」のように語られるのに対し、美星のそれは語り手からの指示なしに語りが始まるのである。この自由間接話法についてドゥルーズたちは、先に述べたように「私」が言語を話すようになるにはまず「私」をとりまく言語共同体という「非人称的で集団的なアレンジメント」がなくてはならない。「私」はその言語共同体の中に参画することではじめて「私」となる。その意味では「私」を「私」たらしめているのは「非人称的で集団的なアレンジメント」の要求でもあるのだが、ラカンは別の仕方で語る。「私〔je〕とは存在ではなく、話している何かに想定されたものです」「ランガージュの密集雲が――わたしは隠喩的に表現しました――エクリチュールをなす。」(『アンコール』p216強調原文)、「エクリチュールは、したがって、ランガージュのある効果がそこに読まれる痕跡です」p218というのは、精神分析の言葉では、話す主体、書く主体は「私」ではなく、「私」とはランガージュ(言語活動)の効果に過ぎないという。「無意識はひとつのランガージュとして構造化されて」p30おり、分析はこのランガージュによって構造化された無意識に向かうものだとラカンは言っているのだ。ゆえに読まれるものとしてのエクリチュールは、書かれたものとしてその文字を読むのではなく、エクリチュールという効果を生んだランガージュに向かうべきなのであり、精神分析家の「分析ディスクールにおいて肝要なこと」は「シニフィアンによって言表されるものに対して、分析家はそれが意味するのとは別の読みを与えるということ」p67になる。
デリダならどう語るか。『他者の言語』1989では、「一般に、誰かが書くとき、その書く人は(これはよく使われる比喩で、私自身も引き合いに出したことがあるのですが)職工の状況に身をおいているのですね。彼は一つの模様、一つの形態を織るのだけれども、彼自身は織布のうしろにいるために、自分の仕事の結果が自分には見えない。ところが、図柄の反対側にいる人にはそれが見える、というわけです」p255。また『絵葉書』1980では、「書かれるもののなかに存在しているのは、後ろから見られた、背中だけである、これこそ最後=究極の語だ。すべては、後ろに(レトロ)のうちで、背中から(ア・テルゴ)〔性交における「後背位」に意味でよく使う語〕のうちで演じられる」p77。 後ろからしか見ることが出来ない、というのは、言葉の織り成すテクストを片方の側からしか見ることができない、つまりテクストの反対側は見えないということであり、その向こう側、反対側とはどこか、ということについては、それこそ「非人称的で集団的なアレンジメント」であり、「ランガージュにより構造化された無意識」であろう。別の仕方で説明するなら、文章の書き手が文章を綴る際、頭の中に浮かぶ様々な語を一つ選び書きつけることになるとしても、その頭の中に流れている彼/彼女の言語の総体があらかじめあることになり、それをもって「非人称的で集団的なアレンジメント」とか「ランガージュにより構造化された無意識」というのだろう。デリダに限らず、ラカンも〈言葉遊び〉を好むとはいえ、それは単なるダジャレなのではなく、近接する語(綴りという文字の審級)やアナグラムに注目することであり、比喩的に言えば論理的な文章が時間軸に沿って線的に縦に続くとするなら、彼らの文章は語のアナグラムや隠喩や提喩でもって空間的に横に広がって行くのである。アナグラムとは単語や文中の文字を入れ替えることで別の意味を生じさせるものだし、理論的なものを修辞化するものだと言ってもよい。ソシュールがこのアナグラムの研究者であったことは周知に属する。ラカンなら、言語によって構成されている無意識を分析するにはこの言葉のアナグラムという文字の審級こそがカギなのだとでも言うところだ。


ソシュールアナグラム研究が浮き彫りにしたものは、丸山圭三郎の『ソシュールの思想』1981によれば「シニフィアンの線状性自体の破壊であり」p176、「シニフィアンと連辞(サンタグム)の単線を複線化し、語の下に語を潜ませることによって音楽の如きポリフォニー化の可能性」を見出したこと、言い換えれば「エクリチュールとレクチュールの二重性のもとに線的展開が対位法的な空間の場に変えられるのであり」、「エクリチュールともう一つのエクリチュールの二重性、すなわち同時代や前の時代の文化のコンテクストという複数のテクスト間の対話をも示唆しているのである」。一つの文を読む際に、私たちが読んでいるのは主語がありその次に述語が来て(間に修飾語があり)という一つの文の流れではあるけれども、そこには単線ではない語の複数の流れがあるというのだ。一つの単語にはそのアナグラムとしての無数の他の語がまとわりついている(「語の下に語が」潜んでいるのだ)。私たちがテクストを読む際に見ているのはテクスト一方の側でしかないということだ。現前のテクストの言葉や文字の周囲には選ばれなかった多くの文字や語(ローマン・ヤーコブソンは文字や語以前の音素や音にもこの潜在性があると見ている)が亡霊のように漂い、背後には他のテクストとの対話があり、それは眼前のテクストがそれ自体で完結するものではなく、他のテクスト、先に書かれたあらゆるテクストとの相関の中でそのテクストが書かれる(読まれる)ということだ。テクストに始まり=起源はない。一編のテクストがどのようなアナグラムの変奏からなり、その変奏によってどのようにテクストが構成されているのかというような視点からテクストを読む可能性をソシュールは主張しているのであるから、これを逆にテクストの生成過程に着目するなら、「ソシュールの考えたコトバの本質は、まさにこの《意味形成性の運動過程》にほかならない」ということになる。テクスト生産者はこのアナグラムのもたらす無意識の動力学に従ってテクストを生産するのだということだろう。


以上のことを言語学者ヤーコブソン言語学的にさらに洗練された言葉で語っている(『一般言語学』1973p26)。言語記号はいずれも、結合と選択の二つの配列様式を含み、前者の意味するところは「あらゆる記号は、それを構成している諸記号から成る、そして/または他の記号との結合としてのみ現れる」、後者は「対立項の間の選択とは、その一方を、ある点でそれと等価であり、他の点ではそれと異なるような他のものと、置き換える可能性である」と。結合はソシュールの「シニフィアンと連辞(サンタグム)の単線」的な組み合わせ、主語と述語との連続的な結びつきであり、選択とは「語の下に語が」潜んでいるその語群の中から結合にふさわしい一語を選ぶことである。そして連結の「構成要素は隣接contiguityの状態にあるが」、選択にあっては「類義語の等価性から反義語の共通核に至るまでの間で揺れ動く、いろいろな程度の相似性similarityによってつながれている」という。私たちの言語活動(ランガージュ)はこのように隣接性と相似性の語に絡まれた星雲状態の中で/からその都度、意味の通るように(連辞のコードに従いつつ)、(隣接性や相似性に基づいて)単語を選んでいるのである、ということになるだろう。


ヤーコブソンを批判的に継承し「隠喩こそ類似を創造するのだ」p189と類似性に〈もとづく〉とされる隠喩と類似性の関係の転倒を試みた(さらに言えば、ヤーコブソンの考えた隠喩の類似性に基づく必然性という隠喩の原理そのものが原理的に解体されたのである)ポール・リクールは『生きた隠喩』1975において、「隠喩は述語作用と命名作用の間の葛藤であり、言語活動における隠喩の場所は、語と文との間にある」p140として、つまり文法(述語作用=隣接性)と語(相似性)との、隠喩と換喩との二項対立を止揚ではなく、「葛藤」の場に置き換えたのだった。これらの研究を受け隠喩や換喩の問題を修辞学一般の領域に移し替え発展させたのがポール・ド・マンの業績であり、文法と修辞学との間の緊張と不連続を扱う『読むことのアレゴリーAllegories of Reading』1979(この表題は、読むことはアレゴリーだ、つまり字義通りに読まないことだという意味にも、読むこと自体が一つ比喩だ、つまり読む行為がそれ自体と重ならないという決定不可能性を言う意味にもとれる)であり、「修辞(学)はこれまで常に言葉の範列的な見方(言葉の代替的関係)だけに満足し、連辞関係(言葉の相互的な隣接性)を問題にすることがなかった」つまり「範列的・隠喩的な比喩」(修辞)に偏り、「連辞的・換喩的な構造」(文法)を蔑ろにして来たけれども、両者の緊張(関係、別の仕方でいうと嵌入とか入れ子構造)をこそ問わなければならないと言う。もし「範列的・隠喩的な比喩」(修辞)を詩や小説に、「連辞的・換喩的な構造」(文法)を批評と置き換えても、いくら修辞的な比喩表現に満ちている詩や小説であっても、文法というコードなしの作品は考えられないし、また論理的な文法に従うとされる批評もそもそもが比喩でしかない言葉を用いる以上、両者が截然と分けられるものではないだろう。こうして批評や哲学が詩や小説との相違が脱構築され、テクストというものが修辞と文法とのダブルバインドにあることが明らかになる。さらにテクストについて、「読みというのは『われわれの』読みではない。というのも、それはテクスト自体が提供する言語(学)的な諸要素のみを用いるからである。作者と読者の峻別は、読みによって明らかにされる誤った区別の一つである。脱構築とは、われわれがテクストに付け加えた何かではない。そもそも脱構築こそがテクストを構成していたのだ」p20という。テクストの背後に著者がいて、こちら側に読者がいるのではなく、著者も読者も同じ側、デリダの言うように、テクストの背後でしかテクストが浮かび出させる図柄を見ることしか出来ないのだった。テクストの作者はむしろ言語システム、「非人称的で集団的なアレンジメント」(ドゥルーズ)であり、「ランガージュにより構造化された無意識」(ラカン)であり、「書かれるもののなかに存在しているのは、後ろから見られた、背中だけである」(デリダ)のだろう。脱構築とは「テクストの文字通り(literal)のレベルと比喩的な(figurative)レベルとの間の『決定不能の』関係、または、矛盾のある関係につけこんで、テクストの言語を」内破させることだと『現代文学・文化批評用語辞典』は言うが、テクストの外部に脱構築を遂行する者がいるのではなく、ド・マンはこの脱構築をテクストそのものにつねにすでにある、テクストを構成するものであり、著者と読者とのいずれからも独立したものだと言っている。だからテクストの外部である「われわれ」のいずれかとしての読者も著者にもテクストを完璧に理解する(統御する)ことなど出来っこないし(〈語るテクストのスキャンダル〉)、「誤読」は起こり得るものというよりは必然なのだとも言っているのである。読者(批評する者)の側から言えば、テクストのアナグラムや隠喩という修辞をいかに統語的な文法に即して語り出すか(と言っても文法より修辞が優位にあるのではない)ということであり(〈転移〉を生起させるテクストの無意識への働きかけであり)、この修辞論を追求したのがデリダの影響を強く被ったド・マンというイエール学派の領袖であり、ラカンと接続することでいっそうその修辞学をフェミニズムとともに散種したのがスピヴァクでありフェルマン(一例をあげると「レトリックの文法を確立するというラカンによる総体的な企て」『狂気と文学的事象』p358強調原文)である。


再度「君が代アリラン」の表題の問題に戻る前に、従弟同士の駿一と雅喬を中心とする「墓守り」と「墓殺し」というマニ教善悪二元論を彷彿とさせる二編にも再度触れておきたい。まず「墓守り」。「一族の中心である祖父」水島雅輝(韓在雲)は「朝鮮語も日本語も一切読みも、書けもしなかった」のに「どこの誰に聞いて来たか知らんが、俺らは朝鮮から来た一族だ、と墓銘に『江華 韓氏の墓』と刻んだんだ」と語る次男水島雅恒(韓琪煥(ハンギファン))に、息子の駿一は「墓はちゃんと守るよ」と答え、「俺が守る墓は、おじいちゃんに始まる俺たちが朝鮮に根を持つことを消せない事実として墓銘に刻んだ墓なのだ。この墓を守ることは、自分のルーツを認め、確認することなんだろう、これからも」と教書的なステレオタイプ化された語りによって輪郭づけられた「水島=韓家のチェサを司る嫡孫」である。しかもお腹が「俺は減った」と言って靖子に給仕させる家父長的な人物でもある。「墓守り」の焦点人物として駿一はその表題からして、朝鮮人としての伝統を守るいわば〈善〉なる人物なのだ。その一方で、日本人女性と結婚し(一族の「純血」を汚し)帰化するだけでなく、子どもがいないせいで妹の娘陽菜が「墓守り」になるだろうと儒教的な男系一族の伝統を破壊し、年を追うごとに回数の減って来る祭祀(チェサ)をやるとき、「そのときだけ、俺のルーツは朝鮮なんだな、と意識」し、「ああ、やっぱり俺は、朝鮮人であることを意識して生きてきたな」と思うのは、日本人の靖子と相対したときでしかないといった「儒教文化で作られた」はずの朝鮮人を裏切る存在だ(〈悪〉)という両面性を付与された人物なのであった。
他方、「墓殺し」の水島雅輝(祖父)の長男である雅康(父)の息子である水島雅喬は、その表題から駿一とは逆の〈悪〉の烙印を押された人物として語られる。父雅康は祖父と折り合いが悪く、そのため「墓守り」が次男の雅恒の家系(孫の駿一)に委ねられたのであった。雅喬は祖母の民族名を思い出せず「徳子」という通名しか覚えておらず、思い出す一族の墓は「昭和四十八年四月建之」とある。「親父は戦争に行き遅れた皇国少年で、あと一年戦争が長引いていたら志願少年兵としてどこかの戦場で死んでたかもな」と語った雅輝は「世の中ががらりとひっくり返り、すべてが信じられ」ず、「ふらふらと放浪した」のち、X市で「炭火焼肉 みずしま」を開き、「家族そろって帰化が許可された」のであった。雅喬は帰化する前の十四歳の時の指紋押捺について「国が、役所が、背広にネクタイの市役所の職員をして、たかだか十四歳のガキを犯罪者扱いして指紋を取」られた際の、「その屈辱は決して消せない」と怒り、自分を「抵抗することも、暴れることもできない、去勢された駄犬だ」(朝鮮人として日本人から抑圧や差別を受ける自らを「去勢された駄犬」と表象するところには彼が自らを男性とし、かつその能力を喪失させられた存在という非植民者のあり様を彷彿とさせるし、ポストコロニアルの時代にもそれが持続していることを暗示しているとも読める)とつぶやく。朝鮮人を差別する日本社会では朝鮮人という出自は「罪」となり、それは翻って、祖父母や両親や叔父だけでなく、自分自身をも「嫌悪する」のであり、そうして「差別される存在だった過去の自分とは異なる存在の証しが、選挙で選ばれ、議員になることだった」のだ。雅喬は徹底して出自を隠して議員として生きている。「日本で生きるなら、日本人である方が楽だし、法律的にも有利じゃないか。出自を明かして得することなんてなにもないのが現実だ」。「朝鮮学校もそれと同じだよ。民族の誇りがなんになる。それで楽に幸せに生きられるのか?」ほとんどクリシェと化した図式的な言葉で朝鮮人としての出自を否定する雅喬(〈悪〉)ではあるけれども、彼は「家にいるときは朝食をつくって」妻の亜沙子「を起こす」という、進んで家事というシャドウ・ワークをこなす点で、家父長制をバリバリに生きる人物ではない。朝鮮人としての出自を否定することで、朝鮮の伝統からの切断によって、彼は家父長制から解放された(〈善〉)のだろうか。
「墓守り」と「墓殺し」の一対の作品はこのように焦点人物が朝鮮人一族の系譜を象徴する「墓」によって、善と悪とが移動し入れ替わり葛藤する様相を可視化するという興味深い構成を持っており、「墓守り」と「墓殺し」という表題にもその善と悪とが交叉(キアスム)chiasme的に入れ込んで嵌入しているのが読み取れる。「墓守り」と「墓殺し」という一対のテクストは、雅喬と駿一という二人の人物の相互交渉という場所において、朝鮮人(在日)と日本人、そして在日朝鮮人の差異と多様性とを思考する場所となっていないだろうか。『こわい、こわい』という短編小説集の劈頭にこの二編が置かれている場所はまた、そのような思考の場所であるとも言えるだろう。さらに付言しておくと、嫡孫としての駿一が祖父以来の「雅」という字を名前に持たず、放逐されたはずの雅康の息子である雅喬がその名に「雅」を継いでいるのは、テクストはむしろ駿一ではなく雅喬こそが〈正統な〉「嫡孫」だというのだろうか。テクストの語らない以上は読み次第だということか。「俺が守る墓は、おじいちゃんに始まる俺たちが朝鮮に根を持つことを消せない事実として墓銘に刻んだ墓なのだ。この墓を守ることは、自分のルーツを認め、確認することなんだろう、これからも」と語るテクストの「根」「ルーツroots」という語、rootsは植物を支える元(もと)(root(ルート)/中心)を指示するシニフィアンとして誰しもが口にする語であるけれども、これらはまた男系の一系を脈々と受け継ぐ経路(root(ルート))ことを示唆するシニフィアンとしても機能し、要するに自分たちのアイデンティティの根元としての血脈を指示するのだろう。一九九三年にはポール・ギルロイが『ブラック・アトランティック』で人々の根っこよりも移動(強制連行か)、大西洋を渡って来たというその移動性の方に着目する(大西洋を挟んだ地域/アフリカ大陸とアメリカ大陸をトータルに捉え人々の往還の意味を問うこの書は空間や歴史の再考を促すものだ)作品が現れた。彼はNégritude(ネグリチュード)/黒人性を「変わってゆく同じものchanging same」という「反(アンチ)-反(アンチ)-本質主義(エッセンシャリズム)」p201を唱え従来のネグリチュードの対する脱構築を行っており、それは根っこという大地に固定された存在として人間を捉える歴史に代えて移動するという視点から自分たち黒人の出自と歴史を環大西洋の運動として記述し直すことでもあった。根っこから移動へという思考のオルタナティブを求めるギルロイのこの書は在日にとっても多くの示唆を与えてくれよう。ついでに「昭和四十八年四月建之」にも触れておく。在日朝鮮人である父の雅康がその墓に「昭和」という元号を刻むのは、彼がすでに天皇制を内面化していることの証左なのかと考えてみるなら、皇国少年に教育されたからこそ、その習慣が抜けずに墓にまで天皇制を持ち込むということになるほど、教育の強さ恐ろしさをこのテクストは語っているのか。


ここで「君が代アリラン」という表題の持つ読みの可能性について。末尾の一節から見てみよう。
 

蜜(ミ)陽(リャン)アリラン、珍(チン)島(ド)アリラン、孤独のアリラン、統一アリラン……。    蜜(ミ)陽(リャン)アリラン、珍(チン)島(ド)アリラン、孤独のアリラン、統一アリラン……。あたしはいろんなアリランを集めて、スマホにストックし、プレイリストをつくって聞いている。それと、あたしオリジナルのアリランがいくつかある。ウリハッキョ・アリラン、「慰安婦」ハルモニのアリラン文科省前金曜日アリランチマチョゴリ征服アリラン、沖縄アリラン。そしてストリートミュージシャンアリラン……。  
エヘヘ、そうだった。君が代アリランなんて、考えたことがあったなぁ……。p162


最初の二つについて、「江原道の山間部に住む住民の生活感情を歌った旌善(チョンソン)アリラン慶尚道の陽気で明るい密陽(ミリャン)アリラン、そしてこの二つの特徴を合わせた珍島(チンド)アリランで、韓国を代表する三大アリランと呼ばれています」(コリアトラベルのHP「瀧口恵子の珍島物語」による)が参考になり、「孤独のアリラン」と「統一アリラン」はアリランのヴァリアントとして「孤独」や「統一」を歌ったものであり、「ウリハッキョ・アリラン」以下の「オリジナルのアリラン」は「ウリハッキョ」やチマチョゴリなどをテーマにしたアリラン(という曲)の謂いだろう。そこで「君が代アリラン」が「君が代」をテーマにしたアリラン(という曲)というように読める。君が代をテーマにしたアリラン? それはいったい何なのか。君が代の歌詞をアリランの節で歌うということか、そうすることで天皇(制)を揶揄しようとするのか。「エヘヘ」といういたずらっぽさを表す間投詞がそのことを言っているのか。それは「君が代」と「アリラン」とを合体させることになるのか。そこで表題「君が代アリラン」を再度眺めてみるなら、「君が代」が天皇(制)を指示するシニフィアンとなり、「アリラン」がKoreanness(コリアンネス)/朝鮮(人)性を支持するシニフィアンと読むなら、後者が前者を領有することを暗示する隠喩となるだろう。しかし同時に歌詞が「君が代」であるなら、その「アリラン」は「君が代」に汚染されることになる。天皇制が朝鮮(人)性に侵犯し毀損するとも、「君が代」が先に来ているのは「君が代」こそが「アリラン」を嚮導する意だとも読めなくはないのだ。ここでも「君が代」と「アリラン」、天皇(制)と朝鮮(人)性とが、「墓守り」と「墓殺し」の表題がそうであるように嵌入しているのだ。さらには光五(グァンオ)が天皇制を批判する〈広悟(グァンオ)〉でありつつ家父長制(天皇制)を生きる〈狂誤(グァンオ)〉であるのも同様の構造なのだと言える。この意味では「君が代アリラン」は一対の「墓守り」と「墓殺し」とともに oxymoron(オクシモロン)(撞着語法とも形容矛盾とも)ないしはマニ教の善と悪を峻別する正義と法の神Ahura(アフラ) Mazdā(マズダー)というだけでは不十分で、Januaryの語源であるヤーヌス神 Janus(双面神)に擬(なぞら)えるべきなのだ。ヤーヌス神は二つの顔を持ち善悪の双方を見つめるばかりか過去と未来をも見通すとされる。「君が代アリラン」と一対の墓物語とは善悪の嵌入する在日のあり様だけでなく、その過去を照射するばかりか在日の未来をも照らしているかも知れないからである。
この対立するものが互いに嵌入しあっていること、入れ子構造を生していることが、両者を別のものとして考えるのでもなく、両者を統合してないし弁証法的に止揚して捉えるのでもなく、この構造が両者の境界を攪乱しずらし偏向させていく様を見つめ見つめ直すことを、両者の対話や差異的な意味作用の運動を浮上させることを要請しないだろうか。光五と福寿の民主主義的代議制の掛け金が政治的なものだとするなら、そして美星の生を支えるものが「アリラン」という芸術とするなら、ここには政治対芸術というお馴染みの図式的対立が浮かび上がり、美星は両親の意を汲んで芸術を政治に従属させたという風にも解釈できるけれども、「君が代アリラン」がそのレトリックによってそのどちらでもないもの、政治主導でも芸術主導でもない場所にとどまること、このダブルバインドの中にとどまり、ダブルバインドに向けて生きることの高らかな宣言だという解釈もできなくもない。美星のこの「君が代アリラン」というレトリックはまさにその矛盾と対立の中に忌避することなく住まいするという決定的な言上げなのである(という風に)。


最後にホミ・バーバ(インド出身の男性にしてアメリカの大学の教官であるというディアスポラであり、わざわざ男性と断ったのは男性のフェミニストだからである)の議論を二つ挙げて締めくくることにしよう(このバーバの思考の考察のためにこれまで回り道を取って来たのだという風にも言えるかも知れないが)。『文化の場所』1994の、まず第一章「理論へのこだわり」から。「解釈の合意が、言表の中で名指されている「私」と「あなた」との間のコミュニケーション行為に過ぎないということは決してあり得ない。意味が産出されるためには、この二つの立場がある〈第三の空間〉を通過することで、流動化される必要があるからだ。この第三の空間は、言語の一般的状況を表すとともに、言表の「それ自身では」自覚することが不可能な、行為や組織の戦略との具体的な関わりを示すのである。この無自覚な関係こそが、解釈行為にアンビヴァレンスを導入する」p64と、「第三の空間」という概念を導入している。これは「言語の一般的状況」という側面から見れば、ドゥルーズたちの「非人称的で集団的なアレンジメント」ないしラカンの言語によって構造化された無意識といってもよいとして、言表自身の無自覚な「行為や組織の戦略との具体的な関わり」とは何かというなら、たとえば「俺が守る墓は、おじいちゃんに始まる俺たちが朝鮮に根を持つことを消せない事実として墓銘に刻んだ墓なのだ。この墓を守ることは、自分のルーツを認め、確認することなんだろう、これからも」(「墓守り」)という言表がこの言表通りの関係を「俺」が「墓」に対して持つことが出来ないことに知らないでいるのを言っているということになるだろう(このことは「俺」が「墓」というシニフィアンと一体化つまり「朝鮮の根」とつながることが出来ない可能性を開くのである)。というのも、バーバによれば「発話の内容はその発話の行われている場の構造をけっして明らかにしない」からである。ことに書かれたテクストの場合、いつどこで誰による言表なのかをこの言表自体が指示しないことであり(さらに第三者がこの「俺」を読む際にはこの「俺」は多様な意味合いを含むだろう)、言表である限り〈差延〉の運動により反復され引用され言表の主体の意図とは異なるように、つまり間違いなく差異を生んでいくだろうということだ。さらに「俺」と書かれたテクストは読者である「あなた」に向けられたものであり、たとえば「ところで、おれの話を聞いているあんたは、誰だ?」(「墓殺し」)という一人称と二人称とについて、エミール・バンヴェニストは『一般言語学の諸問題』1966で、「わたし/あなた」が「主体性の相関関係」にあり、「《わたし》の方は、言表の内部にあり、かつ《あなた》の外部にある」という「超越性と内在性」とを持つけれども、「しかもそれは《あなた》に入れ替わる」という。それは「わたし」や「あなた」という人称代名詞はお互いに入れ替わることの出来る、誰でも「わたし」と言い得る転換子shifterだからであり、そこで「《あなた》は、《わたし》の表す主体的人称に対して、非=主体的人称と定義することもできよう。そしてこの二つの《人称》がいっしょになって、《非=人称》(=《かれ》)の形に対立する」p212(下線原文)と述べている。問題はこの三人称である。三人称は「わたし」と「あなた」の間のような「生きた関係」結びえないからだし、例えばその複数形のthey、“they say”(彼等/彼女らが言う)は非人称化され「……という噂だ」という意味になり「……と噂される」と受動態への転換も可能になる。つまり三人称というのは「わたし」にとっては誰でもない人称、人称ではない人称、非人称なのだ。私とあなた(他者)という対話の閉じられた世界から三人称へと移動することは、彼は彼女はと焦点人物を自分ではないものにするというようなことよりは、私が言葉を語るときに言葉のエコノミーがどのように発動し私という主体がいかにして言葉によって〈語り出される〉かを分節化分析することの焦点化を意味するのだろう(もちろんここでラカン象徴界ドゥルーズの「非人称的で集団的なアレンジメントを想起するのは正しい」)。だからモーリス・ブランショは『文学空間』1955で、作家とはそのような誰でもない非人称の世界の中で語ること、作家自身が語るのではない言語の語る非人称の場所にとどまる存在だと語る。非人称の場所、その空間はまさに空の間(存在しない場所)なのだ。


バーバの言う「第三の空間」とは言説の場所におけるこの非人称の世界のことだとも考えられ、「この〈第三空間〉は、それ自身では表象不可能なものだが、発話の言説的条件を構成し、文化の意味や象徴が、太古以来の統一性や不変性など持ってはいないことの証しとなる。同じ記号でさえも、領有され、翻訳、再歴史化されて、新たに読まれるの」p66だと主張する。第三空間が「それ自身では表象不可能」であるのはラカンの言う「メタ言語は存在しない」ことを意味している。言語について語る言語をメタ言語というのだけれども、ここでは言語表象の外部、言語の外部のことであり、言語が言語の外部については沈黙しなければならないのは、たとえば死や狂気〈について〉は語り得るが、狂気の語りは意味不明であり死者は沈黙するのであるから、死と狂気(無意識を付け加えるべきだろうか)は言語の限界概念としてある言語の外部なのだ。語りえないものを語るにはどのような戦略と戦術とが求められるのだろうか。
すべての言葉が引用であり、仮に他者のでない〈自分だけの言葉〉で語るとするならそれらは余人に了解不能な〈狂人の語り〉になってしまうだろう。象徴界の言葉で語るしかない、象徴界に参入することで人は社会化されるのだとラカンが忠告し、「非人称的で集団的なアレンジメント」が個人を主体化すると語るドゥルーズに従うとしても、しかし個人言語を構築する方途もなくはない。人それぞれの語り方であるイディオレクトという戦略、私たちは普遍的にして一般的な象徴界の言語を個人言語(イディオレクト)として再編し翻訳し改変することで私を生きているのだとするなら、その個人言語を引用(切り取られ別のコンテクストにおかれることで原文とは異なる意味を発生させる)やアナグラム(音や語の換喩性の利用)や修辞(撞着語法や比喩隠喩、アナロジーアレゴリーの使用)や文法の逸脱(連辞の規則をあえて違反することで隣接性/偶然性を活性化させる)などといった戦術を練り上げることによってその自分の語りなるもの=イディオレクトを戦略とすることが出来る可能性は不可能性とコインの裏表だとしてもあるにはあるだろう。ここで「引用と注釈は、同じ一つの現象の二面である」p214というアントワーヌ・コンパニョン(『第二の手、または引用の作業』)の言葉を引用して注釈を加えておくと、反復可能な言葉の海(例えば象徴界)からの引用である言表は別言すれば〈すでに言われたこと〉の反復でしかなく、その反復ないしトートロジーからそれらとは異なる(はずの)個人言語をいかにして構築するかという隘路を切り抜けることを可能にする一つの戦術としてあるのが注釈なのであり、「既に言われたことを発話することによって、いまだかつて発話されたことのないことを再び言うこと」というフーコーの『臨床医学の誕生』1963の序言の言葉、および注釈することは引用先の「一次テクストのなかに身を置き、それが既に言ったことに同意し、その内部で静かに安んじている二次的言表」p216の戦術だというコンパニョンの言葉を引用しておくのが参考になるだろう。つまり二人とも引用することが即ち注釈することだと言っているのだ。もとのテクストから引用された言表(〈すでに言われたこと〉)が異なるコンテクストで再び言われることで「いまだかつて発話されたことのないこと」を生産、ないしは少なくともそこへ向けて働きかける引用それ自体が引用の注釈となるのだと。


「俺が守る墓は、おじいちゃんに始まる俺たちが朝鮮に根を持つことを消せない事実として墓銘に刻んだ墓なのだ。この墓を守ることは、自分のルーツを認め、確認することなんだろう、これからも」は、様々な読む者がそれぞれの時間にこの「俺」にアイデンティファイして読むことによって、テクストの意図なるものがずらされ時には無効化されるだろう。読者は常に誤読する。読者が誰とも知れない「私」というテクストの一人称に自己を重ねて小説を読むことは自分が自分でない者になることであり、それこそ〈狂気の沙汰〉なのではないだろうか。「あらゆる読みは一種の狂気である」、「何故なら、読みは幻影に基づくものであり、われわれが想像上の主人公らと自己同一化するよう駆り立てるものだからである」(『狂気と文学的事象』p91)。小説は人を狂気に駆り立てる凶器なのだ。あるいは小説が「自分が自分でない者になる」ことを要請するテクストという意味では死を暗示するとするなら〈小説(しょう-せつ)〉とは〈殺生(せっ-しょう)〉なのであろう。読者の体験するこの狂気という媒介項の力によって、在日(そして読者)は、朝鮮との「文化的差異という不連続な間テクスト的時間のなかで、自らの文化的アイデンティティを交渉し翻訳する自由がある」ことになる。このような翻訳と交渉(negotiation/交渉であり、negation/否認・否定ではなく)の過程において、「植民地の遺産である様々な意味が、未来の自由な人民の解放の記号へと変革されるのである」p67とバーバはやや大げさな言葉づかいでもって主張している。「発話の分断された空間」つまり「第三の空間」を「理論的に承認すれば、民族的なるものを横断する文化、それも多文化主義のエキゾチズムでも複数文化の多様性でもなく、文化の混淆性の記述と分節化に基づく間民族的文化を概念化する道が開けてくるかもしれない」p68(強調原文)のだと。多文化主義という語が、単一の不変の文化を想定し、しかも互いに交渉することのない文化的無関心を生み、その好例が「引きこもりの国民主義」(『禁じられた郷愁』p394)であるし、またせいぜいエスニック料理として「エキゾチズム」の対象にされるだけなのであるのと対照的に、各人が自らの多文化の混淆性を知ることで、粘り強く翻訳と交渉との間に居続け、その表象化が〈うまくすれば〉「間民族的文化」というものを練り上げることができる可能性の開示へとつながるのであろう。日本文化と日本語とを朝鮮文化と朝鮮語に、そして他者としての言語(日本語)を自身の言語へのという、二重の翻訳過程における境界を超えつつその境界について思考する可能性と不可能性とを開示するだろう。〈在日朝鮮人〉とはこの語が象徴するように(「君が代アリラン」同様に)朝鮮と日本との(文化的言語的)混淆性そのもののメタファーmetaphorだ。メタファーの語源がギリシャ語のmeta(超えて)とpherein(運ぶ)からなるのを参照するなら、在日が朝鮮と日本の文化と言語をその境界を超えて運ぶものとしての「混淆性」そのものだからである。そしてその混淆性としての在日が「純粋な」とされる日本人の相も変わらぬ「万世一系」という「血」の幻想を解体し揺さぶり新たな主体へと変身する/させる可能性と不可能性とを潜在的に所有していることが分かるかも知れないのだ。


「政治的イデオロギーとしてのナショナリズムの言説は私の中心主題ではない。ある意味では、ナショナリズムという用語の歴史的定着と固定こそ、私が対抗しようとするものだ」p240と述べるバーバは、第三章「他者の問題」で、植民地言説の主要な戦略とも言うべき修辞としてのステレオタイプ(の孕むアンビヴァレンス)について考察を加えている。
『禁じられた郷愁』の「醜悪な『朝鮮人』イメージを負の参照項にすることで成立している美しい(醜悪でない)『日本人』イメージ」というこの「イメージ」p245、例えば金鶴泳の「まなざしの壁」にある「強欲で、あつかましくて、酒飲みで、喧嘩っ早くて、貧乏で、汚らしくて、要するに非文明的で、手に負えない、野蛮な人間」(『土の悲しみ 金鶴泳作品集Ⅱ』p244)という朝鮮人の形容的属辞がその典型的なものであり、そこから日本人とはその逆であるというイメージが(再)生産されるというわけだとして、これらのステレオタイプがなぜ反復されるか/されなければならないかは、こういうものだと断言するステレオタイプにはステレオタイプであるがゆえにつねにすでに差異(時間的空間的に差異は生産されるだろう)を生むという不安を抹消し隠蔽するというアンビヴァレンスためなのだとバーバは言う。ここでの文脈に翻訳すると、ネガティブでしかないはずの朝鮮人に「容姿端麗で服の着こなしもよく、青年らしい生気にみちたその男は(中略)きわだってさわやかに映る」梅原健太(小林勝の「日本人中学校」)のような人物がいるから、そのような〈例外〉を排除し隠蔽するためにこそネガティブなステレオタイプが反復されるのである。隠喩的に言えば、植民地統治の〈綻びを縫い綴じるクッション〉の役目をするのがステレオタイプなのだ。欲望と同時に軽蔑の対象であり、「起源とアイデンティティの幻想」に凝り固まった差異の表現(日本人と違って朝鮮人は元来〇〇の存在だ:朝鮮人は日本人と異なる△△な民族だ)としての他者性を読み解くことによってこそ、植民地主義の言説の境界線や「他者の領域からその境界を犯す可能性が胚胎される」(朝鮮人のネガティブな表象:日本人のポジティブな表象のステレオタイプ脱構築する可能性を持つ)p118のだろう。バーバの主張を取り上げるのは、この植民地言説における「差異の様態として、複合的で横断的な決定がなされる場」としての他者性に人種(民族)ばかりか性的な修辞をも視野に入れているところにあるからだ。


権力の装置としての植民地言説の特徴が、人種的/文化的/歴史的な差異を認識すると同時に否認し、そのことによって生産される知(修辞としてのステレオタイプがその典型だ)を介して「従属することで主体となる人々(サブジェクト)」p124のための空間を、他者であると同時に知ることも見ることも出来る社会的実体としての被植民者を作り出すことにあるとして、権力関係は自己と他者、主人と奴隷というような入れ替えても成立する対称的な関係あるのではなく、支配や対立という形をとりつつも脱中心化や不均等な配分によって多様な様態を取り得るという、権力と知の関係を精密に分節化したフーコーを参照しつつバーバは「ステレオタイプフェティシズムの観点から読み解くこと」p130を提案する。


歴史的起源の神話――人種の純血、文化の古さなど――は、植民地的ステレオタイプとの関係で生み出され、否認の過程を通じて植民地言説に取り込まれた多様な信念や引き裂かれた主体を、一様に「規範化」してしまう。フェティシズムの場も、それと似た機能を持つ。それは一方で、起源幻想の素材――去勢の不安と性的差異――を再活性化しながら、同時にそうした差異や不安を、母親のペニスにかわるフェティッシュの対象として規範化するからである。植民地権力の装置の内部では、セクシュアリティや人種に関する諸言説が、機能的な多重決定を受けながら結びついている。「なぜならそれぞれの効果が……ほかの効果と共鳴したり、矛盾したりすることによって、さまざまな局面で浮上してくる多種多様な要素の再調整や、手直しを要求するからである」。p130


 最後の引用がフーコーの文章だとバーバは注している。引用の最初の一文に解説/解釈を加えると、天照大神以来のとか皇紀二六〇〇年とかの神話が、ネガティブな朝鮮人との対照で構築される日本人として、実のところはさまざまな日本人がステレオタイプ化された日本人と(自己認定するように)なることをいうとして、この構造は植民者ばかりかカウンターとしての民族主義を標榜する被植民者にも当てはまるだろう。ちょっと捻りを加えてみると、「朝鮮は儒教の国」「儒教文化でつくられた人の根本が変わるはずもない」「親に連なる祖先を大事にすることは、故郷の朝鮮を忘れないこと」(「墓守り」p16-17)という雅恒の言葉を想起し、「俺が守る墓は、おじいちゃんに始まる俺たちが朝鮮に根を持つことを消せない事実として」「この墓を守ることは、自分のルーツを認め、確認することだろう」p29と駿一が語るのも、朝鮮人としてのアイデンティティの揺らぎ(チェサの回数を減らし墓守を女性の陽菜に任せ、国籍を変え日本人の靖子に向かった時に自らのアイデンティティを意識するばかり)を抱えるにもかかわらず〈朝鮮人〉と自らを認定するところにも当てはまりはしないかと思われるのだ。「親に連なる祖先」という歴史的起源によって多様な人間がいるというその多様さを否認し(駿一自身がコリアネスを裏切っていることは既に述べた)脈々とつながる一族という幻想を語るのである。バーバの引用の後半のフェティシズム(という語)については、すぐに思いつくのが、(母親の求める父のペニスの代補としての)足や髪、衣服などを性の対象とした固着執着する性的な現象というようなことであり、フェティシズムの実践にあっては常に起源(幼児期に経験されたとされる去勢不安と性差の決定)が反復されるというのだ。また性的差異の認識がある対象への固着(フェティシズム)によって「規範化される」とバーバが言うのは、そのセクシャルな行為こそが自らの性を確認し、男なら「男として」というように固定された男性像に自らを重ね合わせる行為につながるからであろう。ここでバーバが述べていることはバトラーのパフォーマティヴの反復による性的主体の立ち上げ(成功することも失敗=否認することもある)という思考とパラレルであるというかその延長上にあるのを示唆するものではないだろうか。性的主体の立ち上げと植民地の主体の立ち上げとが、片やフェティッシュによって、他方がステレオタイプの反復によってというその立ち上げ方がパラレルであると同時に互いに入れ子状になって(嵌入して)いるように捉えようとするそのパースペクティブの分節化なのだ。植民地の主体の立ち上げには性的主体の立ち上げの分析分節化が不可欠だとするのは、これまでの植民地の主体に関する言説に欠如しているものとしてセクシャルに関わるものがあったという批判なのでもあり、だからフェティッシュという固着現象とステレオタイプとの機能的なつながりについて、次のように言う。


フェティシズムはつねに次の二つのものの間の「戯れ」すなわち揺れ動きだからである。すなわち一方で、全体性/類似を始源において肯定すること――フロイトの言葉を使えば、「すべての人間(男)にはペニスがある」、我々の言い方では、「すべての人間(男)には同じ肌の色/人種/文化がある。」他方では、欠如や差異にかかわる不安――ふたたびフロイトを引用すれば、「なかにはペニスをもたないものもいる」、我々の言い方では、「同じ肌の色/人種/文化をもたないものもいる」。言説の中でフェティッシュは、代用としての隠喩(不在と差異を隠蔽する)と換喩(知覚された欠如を近似的に表す)との間の同時的な揺れ動きを表象する。フェティッシュステレオタイプを通じて、支配や快楽だけでなく、不安や防御にも依存する「アイデンティティ」に接近する道が開けるのだ。p130-131


バーバのポスト構造主義的なジャーゴンjargon(支離滅裂で訳の分からない語および部外者には理解できない専門語という矛盾するような用法を持つ語)を翻訳すれば、朝鮮人や日本人という語が「すべての朝鮮人/日本人は同じである」というステレオタイプ的な幻想(そこではまるごと朝鮮人とか朝鮮人そのものとかは存在しない=不在であるし、朝鮮人と日本人にも多様な人がいる現実を見ないことで成立している)を隠蔽する語であり、そのような存在しない朝鮮人や日本人の全体を代理代用として表象する限りで隠喩であるし、「朝鮮人と日本人のなかには同じでないものがいる」という「欠如を近似的に表す」換喩との戯れ、その中にフェティシズムがあり、こちらの文脈に即せば、日本人にとっては植民者としての支配やその支配に与る隠喩的快楽は、それらが換喩的な不安や欠如によって常に不安定にされているし、朝鮮人にとっても家父長制の中で他者を支配する或いはそのような朝鮮人の一員だという快楽が、同じように換喩的な不安や欠如によって不安定にされているということだ。純粋な起源を求める主体(祖先という起源につながる墓が通時的な、一族の集うチェサが共時的な〈クッションの綴じ目〉であったのを想起されたい)の欲望が主体の分裂によって常に脅威にさらされるほかないのは、主体が性差なしには発生することがないからでもある。そこから「私の植民地言説分析は、ステレオタイプを同一化の場における、未成熟のフェティッシュ表象様式と位置づけて、はじめて完成される」というバーバの言葉が出て来る。鏡に映る自己像を自身として認識する(鏡像をアイデンティティとする)というラカン想像界の出来事は常に既に自己を疎外する事態であることは前に述べたけれども、バーバはここから「ナルシシズムと攻撃性」という「二つのアイデンティティ形成の形態の間に、きわめて密接な関係がある」、すなわち鏡に映る自己というナルシシズムとそのゆえに疎外されざるを得ない自己の不安定さがそれを隠蔽するために(その反動として)他を攻撃するようになるという複雑な構造を指摘する。「植民地言説とは、フェティシズムを支える比喩――隠喩と換喩――と、〈想像界〉に現れるナルシスティックで攻撃的なアイデンティティ獲得の諸形式とが、複雑にからみあって分節化されたもの」p135なのだ。植民地の主体がその自己の同一性を獲得する過程においては、その同一性が常に鏡に映った自己(不在としての隠喩)と同じくナルシスティックな面(日本(人)すごーい)と、またその疎外(欠如としての換喩)からの不安(日本はすごくない)による攻撃性(陳述的(コンスタティヴ)な言説の次元では朝鮮人のネガティブな表象、行為遂行的(パフォーマティヴ)な次元では示威行為や社会制度としての抑圧や排除)とが複雑に絡み合っているのだ。こうして植民地の主体がステレオタイプフェティシズムとの間で、権力装置の内部で構築されるのであるとバーバは主張する。
ステレオタイプという修辞、修辞としてのステレオタイプの言説が植民地において重要性を持つのは、断定的であると同時に不安に満ちたものだというステレオタイプに潜在するアンビヴァレンスのゆえに、〈クッションの綴じ目〉として機能すると同時にそれを隠蔽する効果をも持ち(ゆえに幾度でも反復されねばならない)、それは性的な主体として立ち上がる際に働くナルシシズムと攻撃性の双方を未成熟なつまり常に成功するとは限らないから反復されざるを得ないものとして、〈断定(隠喩)/ナルシシズム〉と〈不安(換喩)/攻撃性〉の入れ子状に混淆したスタイルを持つものとして分節化されることになる(さしずめ、セクシャル・ディヴァイドは差異や欠如に基づく換喩として、ナショナル・ディヴァイドは同一性に基づく隠喩として語り得るということか)。「ステレオタイプ化は、偽りのイメージを設定して、それを差別行為のスケープゴートにすることではない。ステレオタイプはもっとずっとアンビヴァレントなテクストで、外への投射(プロジェクション)と内への投入(イントロジェクション)、隠喩と換喩の戦略、置き換え、重層決定、罪の意識、攻撃性などといったさまざまな要素が絡み合っている」p142-143のだ。翻訳すれば(ポスト)植民地言説の分析においては、テクスト論や記号論精神分析フェミニズム、資本主義、民族主義に即した思考に基づく多重の分節化装置が不可欠であるということだろう。(ポスト)植民地言説の知と権力がステレオタイプという知の亜種を介してどのように機能するかの分節化をセクシュアリティという性的主体の立ち上げの失敗と成功にいかなる効果を発揮しているかとして読み解く方向性をバーバは考えているのである。


ステレオタイプ化された朝鮮人像ばかりか、それと相関的に反転させた自己像としての日本人像を、朝鮮人にとっての他者としての日本人、日本人にとっての他者としての朝鮮人を分節するためにも、このような多重化された異種混淆的な分節化装置が求められるということだ。小林勝文学の見る側から見られる側への移行(見る側=前期、見られる側=後期)という分節化を再度取り上げてみる。日本語の〈見る〉には実に多様な意味があり、監視や支配の含意も持ち(パノプティコンを想起されたい)〈面倒を見る〉といえば世話をする(支配下に置く)ことであり(見るvoirことは所有するavoirすることでもあり)、古語では〈見る〉は異性と出会うとか結婚するの意もあるといった具合に、権力とセクシュアリティのないまぜになった語なのである。


小林勝の作品「蹄の割れたもの」(「蹄の割れたもの(チョッパリ)」は足の親指と他の指の分かれた履物を履く日本人のことを指す蔑称)を見てみよう。「フォード・一九二七年」よりも小林勝のテクストのセクシュアリティについて語るならこの作品の方が容易なのは間違いないといえるほど、オクスニ(エイコ)と「ぼく」との性的な交渉(失敗?)の語られたテクストなのである。それはさておきかつて「女中」であったエイコに性的な魅力を感じていた「ぼく」は、敗戦の後の「八月十五日の夜が明けると、街のいたるところに手製の太極旗がかかげられ」るのを見、「手に太極旗をもった朝鮮人の集団」と出くわすのだが、「そのなかにエイコの姿」があった。


一団とすれちがう時急にエイコは顔を固くすると、するするとぼくの方へやってきた。能の面だ、とぼくは思った。はじめて逢った時のあの能の面だとぼくは思った。エイコ、と思わずぼくは言った。するとエイコは強く首をふった。
そうだった。エイコなんて、しょせん架空のものであり、日本人だけがその実在をおろかにも信じていた虚像にすぎなかったのだ。エイコなんていう女は、はじめからどこにもいなかったのだ。
あたしは、オクスニ、と女はゆっくり言った。不意に聞き覚えのある喉の含み笑いがぼくをふるわせた。彼女はきらきら光る眼で、ぼくの顔をじっと見た。その時、ぼくは電光のように、彼女の眼の中の言葉を読みとった。あたしはオクスニ、そしてあんたは、チョッパリ、と。そのまま彼女はぼくから離れて行った。ぼくが見送っていると、オクスニがぼくを指さし、女たちがどっと笑う声が聞こえた。『禁じられた郷愁』p101


このオクスニが「じっと見た」という行為は、かつては被植民者として植民者たる「ぼく」の支配下にあったエイコが今や被植民者ではなくなったオクスニとして「ぼく」を見つめるという支配被支配の逆転の構図、磯貝の言う「植民地下にあって民族をうばわれた朝鮮人がそれをうばいかえし、朝鮮人に帰るということが、日本人を拒否することと同時、同意味であったということ」の表象であり、「見られる存在である日本人としての作者が、見る側の位置へ踏みこんで自己を照らそうとした」ことを意味する光景であるのはもちろんとして、さらには性的な主体としての立ち上げに失敗した「ぼく」が容赦なく嘲笑されえいるのだ。「ぼくが見送っていると、オクスニがぼくを指さし、女たちがどっと笑う声が聞えた」(『禁じられた郷愁』p191原典を参照できないので『禁じられた郷愁』から引用した)と。「女たち」(複数形=女性一般という提喩)が笑うという表象にはまさに「ぼく」が男性としての主体の立ち上げに失敗していることの隠喩(メタファー)ないし寓意(アレゴリー)として読めるということだ。


ここで「彼女の眼の中の言葉を読みとった」に注目すれば、〈目は口ほどにものを言う〉ではないが、眼の語ること、目が語り得るものであることをテクストは証言している。見る時にはすでに語っていることになるのは、言語によって自己が構成されているからであり、見ることが言語の網の目で見ることでしかないからであり、ゆえにフェルマンの「言語はエロティックなものである」に倣って〈見ることはエロティックなものだ〉と、また「語る身体のスキャンダル」(藤高和輝/バトラーの言うように「身体の語りが意図によって十分には制御されないため」なのだ)についても〈見る身体のスキャンダル〉と言えないだろうか、つまり見るという身体行為がすでにつねに言語で構築された網の目で世界を見ることであるなら、見ることと語ることとが不可分であり、目こそが語りかつ失敗する(〈身体の見るが意図によって十分に制御されないため必然的に失敗する〉)からである。見ることが自己という身体を生成させる言語によるものであるなら、見る身体の語ることを語るテクスト(語り手の統御できないテクスト)は二重に言語の語る(失敗する)ものである以上〈見る身体のスキャンダル〉なのではないだろうか。そのことがテクストの修辞としてどのように表れているか(知savoirと権力pouvoirをともに見るvoirが支えている)。


江戸の川柳「日に三箱(みはこ) 鼻の上下(うえした) 臍(へそ)の下」、「箱」は千両箱、一日に千両の動く場所が、朝の魚河岸(鼻の下の口)、昼の歌舞伎(鼻の上の目)、夜の吉原(臍の下)、身体における語ることと見ることが性行為と並べられているのがここでは参考になる。目と口と性器とが身体の三大機能として見るばかりか、目と口が性器に支えられているとも見うるのは、およそ性差なるものが人間の文化だからであろう。もっともそこにある裂け目や断絶や差異(例えば同性愛)を縫合するために修辞としてのステレオタイプが動員されるのであるのだが。フロイトが生命力=リビドーを性的欲望と見たことを思い出せば、性的欲望こそが人間の行為の起動源だとも見うるから、性的なもの/セクシュアリティが見ることと語ることとを生起させる、見るも語るも性的なニュアンスをつねにすでにまとっている、と言うことも可能だろう。見ることは語ること以上にエロティックなのではないだろうか。語ることがエロティックだとすれば、見ることはそれ以上にエロティックであり、まことに〈見る身体のスキャンダル〉なのである。見ることが支配被支配の権力機能を持つのは当然としても、それが最も効果を発揮するのは窃視(覗き見)や覆面やパノプティコン(一望監視装置)のように見るが見られないときであり、見られる対象に対して自らを隠すときなのだから、見る見られるという相互の関係にあっては、単純に見る=支配、見られる=被支配ではなく自在に入れ替わり得るものとなる交換の可能性もあり、だからそこに言説による翻訳と交渉の空間が開かれる可能性を与えてくれるのではないかとい3046ことだ。


オクスニとの戦後の対面の光景は「ぼく」の〈見られている〉と同時に〈見ている〉事態によって担保されているのではないかということで問題にしたいのは、「ぼくが見送っていると」という「ぼく」の視線を指すのではなく、オクスニが「じっと見た」という行為を「ぼく」が見ているからこそ「じっと見た」ということをテクストが語ることが出来るということであり、「ぼく」が見ていることによってオクスニが「じっと見た」というテクストの語りが成り立つことだ。オクスニが「きらきら光る眼で、ぼくの顔をじっと見た」のを「ぼく」は見ているのだ。ここには見ると見られるという二人の身体行為の交錯が互いの支配被支配の権力関係の中でのヘゲモニー闘争の場所(支配被支配の競合と転換)として現れることを意味し、そればかりか主体性(アイデンティティ)が他者を構成的外部とするのを承認するなら、他者の承認が必要なのを承認するなら、ここで二人の主体がどのように相手を鏡として自己を映し出しているか、そしてその状況が見る身体のスキャンダル、見ることにおける言語作用によっていかなる翻訳と交渉が展開されているかという〈第三の場所〉から見てみる可能性が開けるだろう(言葉=知savoirと支配被支配=権力pouvoir関係が見るvoirによって生起する)。「彼女の眼の中の言葉を読みとった。あたしはオクスニ、そしてあんたは、チョッパリ、と」にはかつての植民者として支配者としてあった「ぼく」(断定・ナルシシズム)が敗戦という時間的歴史的な出来事を契機に今やその主体性を喪失し敗戦国の人間(欠如・不安)としてオクスニに対面するというアイデンティティ・クライシスの状況にあるばかりか、相手の眼の中に「あんたは、チョッパリ」という言葉を読みとる行為には自己が朝鮮人のエイコとのそれまでの〈主人対召し使い〉という植民地状況における権力関係から〈勝利者対敗北者〉という権力関係に変換されたことの自覚によって彼女の「ぼく」に対する軽蔑を受け入れるさまが表れていよう。一方、オクスニの「あたしは、オクスニ」はそれまでの「女中」としてのエイコという被植民地の支配される人間から〈朝鮮人〉としてのアイデンティティを回復し植民地の人間ではなく支配する立場に立つことができた、と果たしてそう簡単に言い切れるかというのは、たとえば「あたしは、オクスニ、と女はゆっくりと言った」というオクスニの「あたしは、オクスニ」が日本語であるとするなら被植民者から解放されたはずのオクスニが相変わらず植民者の言語で自己を定立する被植民者としての自己の残滓を引きずっていて、また「女中」としてエイコと呼ばれた過去の自分をけっしてなかったことには出来ない(欠如・不安)以上、何とか現在のオクスニとしての自己の内に統合しなければならないという難題(不安/攻撃性)を抱え持っており、そのアイデンティティの内部に亀裂や揺らぎを内包していることになるからだ。「女はゆっくりと言った」というようにオクスニは他者である眼の前に見ている「ぼく」からは「女」と表象される存在だとテクストの語るところには、植民地下での「女中」というロールプレイを生きた人間からその軛(くびき)を解かれた「女」という存在への変身も含意されることになろう。「あたしは、オクスニ」という発話は「エイコ、と思わずぼくは言った」と「ぼく」の発話への返答なのだというところにも、オクスニが「ぼく」の個人言語たる「君はエイコ」をオクスニは自己の個人言語「あたしは、オクスニ」に翻訳変換したのは女としての主体の回復(亀裂や裂け目を内包する不安)でもあろうし、「ぼく」が「見送った」というのも単なるエイコへの未練や執着というよりは「ぼく」の「見送る」というかつての植民者としての能動的支配的な姿勢を維持しようとする「ぼく」(断定/ナルシシズム)への執着を暗示し、それに対してオクスニが「笑った」というのは敗戦という事実にもかかわらずいつまでも植民者としての自己を捨てきれないでいる「ぼく」の愚かさを嘲笑う行為(自己のアイデンティティの不安からの攻撃性)であり、オクスニと「ぼく」との翻訳を介しての支配被支配のまた女と男との権力関係における交渉が読みとれるのである。翻訳と交渉、翻訳としての交渉、交渉としての翻訳。同様のことは「赤いはげ山」の金容徳と竜太との関係にも見て取れるはずであり、小林勝のテクストを両者の翻訳と交渉のプロセスをテクスト論や記号論精神分析フェミニズム、資本主義、民族主義に基づく多重の分節化装置で読み解くことはスリリングな行為であるばかりか、その読みを通してテクストの余白の分節化と読む者の無意識の開示(に向けての働きかけ)とがふたつながらに実演される〈転移〉の発動する第三の場所が現前するかも知れないのである。朝鮮人を一方的に被植民者として支配されるないしは反逆する存在として、あるいは支配する植民者としての日本人を贖罪の意識(もちろん重要なテーマだ)から捉えるという「ガチガチ」の原理主義的な読みから解放されるなら、小林勝のテクストの(読みの)豊饒性がよりいっそう明らかになるのではないかと想像する。


ゆえにこのテクストの読みの審級においては、第二派フェミニストの問いかけ、男性中心主義的な言葉によって女が自分を語ることは可能かという問いかけはややナイーブなものだと考えられるかも知れない。可能かどうかと問う問いの立て方よりは、女が男の言葉で語るテクストの空間においてどのような翻訳と交渉が行われているかという問題の構成の仕方の方がはるかに〈生産的〉ではないだろうか。女が男性中主義的言語で自らを語る空間にはどのようなエコノミーが作動し翻訳と交渉がなされているか、もっと一般化して男の言語と女の語りというこれらの二項対立の彼方へと、〈私〉が〈他者〉を語るテクスト空間にいかなる亀裂や矛盾が生産され、その翻訳と交渉がいかに失敗するかという出来事や経験の中に〈語る(見る)〉という身体の行為があらわになり、セクシュアリティが権力と知とどのように相互交渉するか、権力と知がセクシュアリティの中にどのように自己を現前させているかの探求としての第三の空間へと私たちを導く可能性と不可能性とが待ち受けているだろうと期待するのはあまりに楽観的だろうか。死や狂気や無意識が限界概念であるように〈他者〉も限界概念として、「超越性と内在性」を合わせ持つとしても〈私〉にとって目の前に見る〈あなた=他者〉を語る=表象することの不可能性と可能性とを、あるいはこの不可能な経験の可能性を、バーバの言う第三の空間への働きかけを目指して問われなくてはならないということだろう。第三の空間が空の間として存在しないものだとしても、そこに至ることが不可能だとしても、そこに働きかけようと志向することは、男と女や朝鮮人と日本人という二項対立の彼方で新たな出会いと出会い損ないを希望するあるいは「間民族的文化」の構築の可能性を問う私たちには出来るだろうから、出来るだろうと夢想する希望だけはあるだろうから。


あるいはポストコロニアルの時代の在日朝鮮人が自らのアイデンティティ構築に際しての、「朝鮮は儒教の国」「儒教文化でつくられた人の根本が変わるはずもない」「親に連なる祖先を大事にすることは、故郷の挑戦を忘れないこと」、あるいは「盃に酒をつぎ、香炉のうえで三度廻して供える。箸をトントンと鳴らして祖先に合図し、お供えのご馳走のうえに何度も置き換える。そして朝鮮式の礼をする。親父がやり、俺がやり、最後に女たちがやる朝鮮の儀式……。そのときだけ、俺のルーツは朝鮮なんだな、と意識した」というテクストをステレオタイプ化された語りとして捉え直し(墓やチェサを「スケープゴート」として一蹴し葬り去るのではなく)、このようなテクストがどのような複雑な構造を持ち、いかなる効果を発動させるものであるかを丁寧に分節化する必要があるということだ。さらにあるいは「フォード・一九二七年」のスンギーや梅原健太こと崔圭夏がどのようなステレオタイプ化された像としてテクスト内に形象化されているかを多層的な視点からつぶさに分析する必要があるということでもあるだろう。ただバーバの植民地の権力と知の産物であるステレオタイプ言説に関する考察に付け加えておきたいのは、この考察が植民地言説だけでなくポストコロニアルの時代の、さらにはステレオタイプという言説の批判一般に適応可能なのではないだろうかということ。ステレオタイプステレオタイプとして反復されるのは権力と知なるものが常に内包するアンビヴァレンスのゆえにその縫合に失敗するからであり、どうしても反復強制しなければならないのである。さらにここでバーバがセクシュアリティという語ではなくフェティッシュという語を用いるのかを考えると、フェティシズムがある対象に固着する〈物心崇拝〉として性的欲望の逸脱形式でもあるからで、植民地における性的主体の立ち上げがフェティッシュとして考察されるところにはその立ち上げの失敗があらかじめ含意されており、失敗するほかないものとして、その失敗を隠蔽するがために反復されるのであることが理解される。「フォード・一九二七年」の「ぼく」が「女中」である女性の形象として胸=乳房に固着するステレオタイプには男性としての性的主体の立ち上げに失敗していることを示唆していたのが思い出される。ただ一つ付け加えておかなければならないのは、植民地言説における権力と知の表象としてのステレオタイプを植民地(異人種間・異民族間)とフェティシズムとの相互交渉の中で(嵌入として)分節化するバーバの方法は、民族的主体と性的主体とのその立ち上げにおける差異や不連続性はないのか、両者の差異の分節化を問題として構成しなくて好いのか、セクスレクトとナショナルレクトの相違は対称的なものとして見るならそこに不連続性があるのかないのかという問いかけはどうなるのか、ということだ。民族的主体と性的主体とが不可分のものであるとしてもその差異性を問うことはやはりこれからの課題として残り続けるようにも思える。

 

文学作品を読むというのは読む主体にとってどういう意味を持つのか、テクストの読みの実践にあってはテクストと読む者(の身体)とに/あいだにどのようなことが生起しているのか、読むことはテクストの無意識を読むことなのか否か、そこに起こる〈転移〉はテクストを読む者ないしテクストそれ自身にとっていかなる効果を生産するのか、〈転移〉が自己の〈変身〉をもたらすことの不可能性と可能性とはいかなる場所で演じられるのか、などなど考えるべきことは多い。


そしてまたポストコロニアル文学としての〈在日朝鮮人文学〉の研究は、在日朝鮮人の終焉を唱える一部の研究者の言うのとは裏腹に、まだまだ終わるどころかその緒についたばかりだとも言えるのではないだろうか。大著『禁じられた郷愁』を踏まえて小林勝についても依然として残る欠如(天皇制や家父長制や資本主義)を埋めていく道もあるだろうし、今なお書き続ける黄英治の作品についてもさらなる探求(家族の持つ意味や効果、家族主義と天皇制との関りその他)のみならず、頻出するところのすでに言われたこととしてのクリシェの引用がどのようにかつて言われたことのない効果を生み出しているかの更なる読みが試みられなければならないであろう。また金鶴泳や金石範、金蒼生や李静枝についても、植民地主義や家父長制、それに新植民地主義による格差社会という多重のパースペクティブの下でのさらなる読み直しがなされねばならないのは言うまでもない。